とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

今夜から那須岳へ

2014-08-29 18:33:57 | 呟き
昨年、強風の為途中で撤退を余儀なくされた栃木県の那須岳に今夜からいく予定だ。
今回無事登頂できれば、78座目の百名山となる。
しかし、今回も天気は今一つよくないみたいだ。
風さえなければ、何とか登れると思うのでとりあえず決行するつもりである。
ダメでも、那須高原周辺は温泉の宝庫なので、今回も温泉三昧にはなるはずだ。

富士山を模した氷で飲む酒はうまいかな!

2014-08-27 22:51:53 | グッズ


富士山をモチーフにしたグッズの人気が高まっているのだが、これは面白いと思ったのが、BRUNOから発売された「FUJI ON THE ROCK」だ。本体に水をいれ、冷凍庫で凍らせるだけで透明な部分と白い部分の2層に分かれた富士山型のロックグラスが作れる製氷器である。

価格は1296円と、まあまあの値段だ。お酒を飲む人へのプレゼントなどにすると良さそうだ。透明な部分と白い部分の2層は、断熱材の厚さの違いで凍らせるスピードを変え、美しいバランスを作っているそうだ。忙しい毎日の中、こんなグラスでのんびりとお酒を飲むのもいいかもしれない。

詳しくはこちらから
http://idea-onlineshop.jp/index.php?pg=product_detail&am=06760219

2014志賀山&四十八池・大沼池トレッキング(後半)

2014-08-26 21:42:20 | 山登り
裏志賀山(志賀山神社)から下山すると木道に出る。分岐に鳥居があり志賀山神社の入り口を逆から来たようだった。


分岐から四十八池方面に向かう。広い湿地帯の中に整備された木道が続いている。


浮島や湿原植物が数多くみられる希少な湿地帯である。




四十八池は、志賀山と鉢山の間の標高1,880mに位置する湿原である。湿原内には大小60の池塘が点在し、希少な湿原植物の群落やトンボの希少種が生息することから、日本の重要湿地にも選定されている。


少し、雨が降ってきたので四十八池の休憩舎で昼食休憩とする。幸い大した雨ではなく、雨具を着るほどではなかった。四十八池から分岐に戻って大沼池方面へと向かう。大沼池は、裏志賀山から下山するとき見えたエメラルドグリーンの池である。

大沼池の入り口で、大蛇神社と書かれた場所に寄り道してみる。半島のように飛び出た場所をぐんぐん下って行くと池のほとりに出た。池の中に赤い鳥居が建てられている。




大沼池には、下記のような大蛇と黒姫の伝説が伝わっているそうだ。

「大沼池の大蛇と黒姫の物語」
 大沼池に棲む大蛇は志賀高原の守り神でしたが、嫁はいませんでした。ある春、いつものように見るからに立派な若者に姿を変えた大蛇は中野東山の花見に詣で、一人のとても美しい女性と出会いました。この女性は時の中野の最高権力者である、小館城の殿様高梨摂津の守政盛の娘、黒姫でした。二人は互いに惹かれあい、恋をしました。しばらくの交際の後、若者は「私は大沼池の主で、志賀高原の守り神の大蛇です。私にあなたの娘の黒姫を下さい。」と願い出ましたが、殿様は「人間でもないものにどうして娘をやれるものか」と言下に断りました。
 しかし若者はあきらめず毎日毎日城を訪れお願いしました。根負けしたのか、殿様は「わしの乗った馬の後をついて城の周りを七周できたら姫をやろう」という条件を出しました。若者は喜んでこれをのみましたが、これは罠でした。殿様は城の周りに刀を逆さにして植え、その上で大蛇を走らせ、殺そうとしたのでした。
 その日がきて若者は殿様の後をついて走り出しましたが、殿様は馬の名手、追いつけなくなった若者は大蛇の姿に戻り後を追ったからたまりません。大蛇の体は逆植えの刀に裂かれ、傷つき血は流れ、恐ろしいありさまになりながらも、約束どおり七周まわりました。殿様の計略どおり大蛇は倒れ、起き上がってきませんでした。
 しかし、やがて息を吹き返し起き上がってあたりを見回した時、誰もいないのに気づいた大蛇は、殿様が約束を破ったのを知りました。怒りに震え志賀高原に戻った大蛇は、一族郎党の手を借りて雨雲を呼び、暴風雨を起こし、さらに志賀高原中の池を決壊させて大水で小館城を流そうとしました。
 中野の村に大洪水が起こり、人も動物も飲み込まれ、田畑は流され中野一体は壊滅状態になったのでした。中野の東山が楯になって濁流から難を逃れた小館城から、すっかり流された城下をみて悲しんだ黒姫は、事態を収束しようと決意し、ひとり大沼池に身を投げました。
 それを知った大蛇はそれまでおこしていた雲を散らし、洪水を止め大沼池に戻っていったのでした。この大蛇は現在も志賀高原の大沼池に守り神として祀られています。また、毎年八月に大蛇祭りが行われています。

大蛇神社から大沼池正面に向かう。標高1,694mに位置する水深26m、周囲5kmの湖である。志賀山から噴出した溶岩によって川がせき止められたことで形成され、湖水はpH4.4という強い酸性であるため、魚類は生息しないそうだ。エメラルドグリーンの神秘的な湖で、見る位置から何色にも色が変わって見える。


池の前には、レストハウスもあり、広場で池を見ながらゆっくり休憩できる。


広場で休憩した後、大沼池をぐるっと回っていく。湖面近くよりも高い場所から見たほうがより濃いエメラルドグリーンに見える。


大蛇神社が、反対方向に見えてきた。




ここで見るとまた違った緑色に見える。


緑色が隻を超えると透明になっていく様子が何だか不思議だ。


逆池経由で下って行く。


大沼池とは、全く違う無色透明の逆池だ。


志賀の源水がある清水公園にでる。岩の間を豪快に清水が流れ落ちていた。




「志賀の雫」と名付けられた湧き水は、10秒も手を付けていることが出来ないくらい冷たい。冷たい湧き水は、乾いた喉を潤し山旅の最後にふさわしい。ペットボトルを何本も持ってきて水を汲みに来ている人も多かった。




清水公園から大沼池入口はすぐそこだ。1台、先に駐車しておいた車で硯川に戻った。硯川には、ほたる温泉と熊の湯温泉がある。今回は、熊の湯温泉の「熊の湯ホテル」に日帰り入浴で立ち寄る。熊の湯温泉は、全国屈指の濃厚なエメラルドグリーンの温泉である。この色の温泉はなかなかない。熊が傷を癒したと伝えられるほどの濃厚な硫黄が特徴で、もちろん源泉かけ流しである。




帰りがけには、ほたる温泉の平床大噴泉を見て行く。自然の営みは凄い。志賀高原には、こんな温泉が数多くある。






今回は、山以外に池めぐりと珍しい温泉にも立ち寄り、欲張りな山旅となった。帰りがけには、桃が安くなっていたのでお土産に買って帰った。秋になれば、リンゴが美味しい信州である。

2014志賀山&四十八池・大沼池トレッキング(前半)

2014-08-25 22:59:08 | 山登り
久々に夏の志賀高原に出かけてきた。志賀高原といえば、スキーのメッカとして毎冬通ったものだ。しかし、夏の志賀高原も見どころ満載で、避暑がてら行くにはとてもいい場所だ。何年か前に、夏の志賀高原の岩菅山に登った事があり、今回は、志賀山やその周辺の池めぐりを楽しんだ。

今回の参加者は、kazukawaさん、Nさん、Kちゃん、そして長野在住のIさんとWさんも現地集合で駆けつけてくれたので総勢6名のパーティとなった。道の駅「北信州やまのうち」で合流した後、志賀高原のほたる温泉前の駐車場に移動する。天気が心配だったが、青空が広がっていた。


ほたる温泉前には、前山サマーリフトがありリフトに乗れば、ちょっと楽できるのだが、あいにく朝早いのでリフトはまだ動いていない。最初からリフトに乗るつもりはなかったので、そのまま登山道に向かう。


ここが標高1680mの志賀山登山道・池めぐりコースの入り口だ。


入口付近には、ヤナギランが咲いていた。この花を見るようになると、そろそろ秋が近いなと感じさせられる。




少し上がって行ったところから、反対側を見ると笠ヶ岳が見えていた。そして、左側に広がっているのが熊の湯スキー場のゲレンデだ。このゲレンデは、スキーヤー専用で滑りやすかった記憶がある。


さて、志賀山への登山道は、しばらくは広くて緩やかで歩きやすい。




こんなところにも「熊が出没ご注意!!」の看板がある。看板の向こうに見える山は、横手山だ。熊鈴を鳴らし歩き出す。


広い湿地帯が広がり、小さな池がところどころに見えてきた。アザミに蝶が止って蜜を吸っている。


ちょっと大きな池があるところに出た。「渋池」である。


池の中には、いくつもの浮き島があり、湖面が鏡のように空を映し出している。写真を逆さにとっても分からないくらいの美しい水面だ。


優雅にカモが泳いでいる。


渋池の前で、まずは記念撮影。


池めぐりコースから別れ、志賀山への健脚コースに向かう。


30分ほどの上りだが、やはり天気が良くて暑くなってきたので結構きつくなっていた。休憩を入れたかったが、もうちょっとの声に励まされ一気に志賀山山頂まで行ってしまう。標高2037mもあり、馬鹿にはできない山だ。


志賀山山頂からも横手山が良く見える。それにしても、いつの間にか青空が消えて黒雲がグッと張り出してきていた。山の天気は、本当に変わりやすい。


反対側は、まだ青空だ。


志賀山を下りて、次の裏志賀山に向う。


下山途中で、下に見えたのは「お釜池」。この辺りは、とにかく池が多い。


ウツボグサ。


裏志賀山に向う登山道から、エメラルドグリーンの大沼池が見えた。


いいなと思っていたら、一気に雲が流れてきた。一雨来そうである。


急いで、裏志賀山山頂2040mに到着する。山頂標識はなく、志賀山神社の小さい社があるだけだ。


展望はないので、とりあえず山頂写真を撮って下山だ。


2014志賀山&四十八池・大沼池トレッキング(後半)に続く。

「男と女」古今亭志ん輔さん

2014-08-22 18:40:08 | 社会人大学
8月最後の社会人大学は、落語会だ。今回で4回目となる落語家の古今亭志ん輔さんが登場した。今回は、どんな噺になるかと期待していたが、一番目のお題が「試し酒」で、2011年の時に聞いた噺だった。

内容はと言うと、こんな噺だ。

病気が治った近江屋が、見舞いに来てくれた返礼に坂倉屋を訪ねた。近江屋が、唯一の飲み友達だった坂倉屋は、喜んでお祝いに一献やりましょうと勧めたが、近江屋は、近頃すっかり飲めなくなったと断った。「大酒飲みの近江屋さんが、そんなことはないでしょう。」となおも食い下がった。近江屋は、大酒飲みといえばお供の下男が床上げの際、五升は飲んだと坂倉屋に話した。坂倉屋は、その下男に会ってみたいから、ここに呼んでくれと言う。呼ばれた男は、田舎から出てきたばかりという素朴な男で身体は小さく、坂倉屋は五升の酒を飲むとは信じられない。坂倉屋は、この人には五升は無理だという。しかし、近江屋は、どうしても飲むと言い張るので、二人で飲めるかどうか、賭をすることになった。下男は、「五升と決まった酒を、計って飲んだことがないので、わからねぇだ」という。坂倉屋は、「もし、今ここで、見事五升の酒を飲み干したら、褒美をやる」。それを、聞いて下男は喜んだが、飲めないときは近江屋が坂倉屋をご馳走するということになった。下男は、飲めないときは、旦那が損をする。飲めるかどうかおもてに行って考えさせてくれと言い、しばらくすると下男が帰ってきた。やがて「五升飲む」という賭が始まった。坂倉屋自慢の一升はいる大きな杯で、一升、二升、三升と飲み干して上機嫌な下男が、ついで四升も飲み干した。そして、最後の一升も一気に飲み干してしまう。驚いた坂倉屋は、下男に質問した。「おまえさん。酒のうーんと飲めるまじないか何か知っているんだろう。それを、是非教えてくれと、頼みこむ」。下男は、「そんなものは、何もねぇーだ!」。坂倉屋は、不思議な顔をして「それじゃあ、何だって、おもてに行って考えていたんだい?」。すると下男は、笑い出して「なぁに、五升と決まった酒が飲めるかどうか、わからねぇから、さっきおもての酒屋で、五升飲みに行ってきたんだ」 (2011年のブログから)

前にも聞いた噺だなあと思ったが、何度聞いても面白い。特に、志ん輔さんの芸が細かい。下男が、酒を一升ごと飲み干していく様子が、本当にうまいのだ。扇子を盃に見立てて音をたてながら飲み干していく動作が、本当に酒を飲んでいるように見える。げっぷを出したり溜息をついたり、扇子をうまく使いこなし顔の表情やら手の動きも芸が細かい。

休憩後の二つ目の話は「唐茄子屋政談」である。これも昨年聞いた噺で、上下二つに分かれる人情話だが、通しで最後まであった。内容は以下の通り。

上(2013のブログから)
道楽が過ぎた若旦那、勘当されても「お天道さまと米の飯はついて回る」とうそぶいて反省の色がない。だが、ころがりこんだ先の友人たちからも見放され、親戚を頼っても相手にされず、とうとう宿無同然となって吾妻橋から身投げしようとするところを、偶然通りかかった叔父に止められる。「お、叔父さん……! お願いです、助けてください」「なァんだ、てめえか……止めるんじゃなかった。さ、飛び込みな」口では散々悪態をつくものの、その実甥の行方を心配し続けていた叔父の家に連れて行かれた若旦那は、心を入れ替えて何でも叔父のいう事を聞くと約束する。翌日若旦那は叔父に言われて天秤棒を肩に、慣れない唐茄子の行商を始めるが、肩に食い込む重さのあまりに「人殺しィ!」と荷を投げだす始末である。通りかかった人たちの情けで唐茄子を買ってもらい、今更ながらに人情の温かさを味わうのであった。だが、昔覚えた道楽は忘れることができないもので、売り声の稽古をしようと吉原田舗に来かかると、ついつい花魁との甘い思い出に浸って一人で惚気てしまう。

下(2013のブログから)
気を取り直した若旦那は、その内に三ノ輪の裏長屋を通りかかり、ぼろをまとってはいるがどこか品のあるおかみさんに呼び止められて唐茄子を売る。夫は浪人で今は遠くで行商をしているが、うまくいかないのか送金が滞っているという身の上話を聞き同情した若旦那は、お腹をすかせた子供に自身の弁当を食べさせ、「おあしはいりませんから。ここにわずかながらお金があるんで、これを差し上げます。これで何か買ってくださいまし。」と唐茄子の売り上げを無理強いに渡して去る。涙を流して喜ぶ母子。だが、入れ違いにきた因業な大家が、「店賃としてもらっておくよ。」と取り上げてしまう。そうとは知らない若旦那、家に帰って叔父に売り上げを差し上げた事を言うが、「お前、そんな嘘をついてどうする。」と信じてもらえない。やむなく、叔父ともども三ノ輪の裏長屋に来ると、そこは蜂の巣をつついた騒ぎ。聞けば、件の母子が、親切な人から恵んでもらったお金を大家に取られたことを苦に心中を図ったというのだ。幸い母子とも無事だったが、怒った若旦那は大家を殴り長屋の者も加勢する。裁きの末、大家はきついおとがめを受け、母子は叔父の持っている長屋へ引き取られ、若旦那は奉行から青差五貫文の賞金とお褒めを受け勘当も許される。

長い話だが、若旦那が唐茄子(かぼちゃ)をどうやって売って、親の勘当を解くかが焦点だ。道楽者で、人の苦労を知らない若旦那が、一文無しになって初めて人の為になる事をして勘当を解かれるという噺である。この噺では、扇子を天秤棒になぞらえてずっと肩に当てている。時折、「トーナス」と掛け声が出てくるのが、何故か笑える。

最後に、質問コーナーがあったのだが、事務局長から早めに終わるようにせっつかれ困ったような顔をしていた志ん輔さんだったが、さすが噺家である。話術でうまく切り返していたのが印象的だった。

映画『GODZILLA ゴジラ』

2014-08-19 22:27:26 | 映画


解説(シネマトゥデイより)
怪獣映画の傑作として映画史に名を残す『ゴジラ』を、ハリウッドが再リメイクした超大作。突如として出現した怪獣ゴジラが引き起こすパニックと、ゴジラの討伐に挑む人類の姿を壮大なスケールで活写する。メガホンを取るのは、『モンスターズ/地球外生命体』のギャレス・エドワーズ。キャストには『キック・アス』シリーズなどのアーロン・テイラー=ジョンソン、『ラスト サムライ』などの渡辺謙ら実力派が結集。ゴジラの暴れぶりもさることながら、凶悪度の増したデザインに息をのむ。

あらすじ(シネマトゥデイより)
1999年、日本。原子力発電所で働くジョー(ブライアン・クランストン)は、突如として発生した異様な振動に危険を感じて運転停止を決意。だが、振動は激しさを増して発電所は崩壊し、一緒に働いていた妻サンドラ(ジュリエット・ビノシュ)を亡くしてしまう。それから15年後、アメリカ軍爆発物処理班の隊員である、ジョーの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、日本で暮らす父を訪ねる。原発崩壊事故の原因を調べようと侵入禁止区域に足を踏み入れた二人は、そこで思いも寄らぬ光景を目にする。


なかなか映画を見に行くときがなかったが、やっと今話題の『GODZILLA ゴジラ』を見に行くことが出来た。見た感想は、はっきりいってガッカリだ。60年前に初めて製作された「ゴジラ」をリブートした作品という触れ込みでかなり期待していたのだが、やはりハリウッドで作られた映画は、日本人の感性とはかけ離れた作品になっていたようだ。

とにかく突っ込みどころ満載で、どこが良かったというより、どこが酷かったという事しか思い浮かばない。まず、最初に出てくる日本にある原子力発電所のある場所の風景だ。後方には、雪を抱いた富士山がしっかり映っている。そして、実際に事故があったスリーマイル島の原子力発電所を想起させるすり鉢状の原子力発電所があり、そこで異常が発生し原子力発電所が崩壊するというシナリオである。世界遺産である富士山の裾野で原子力発電所の事故が起きるなんて設定は、どうも嫌な感じだ。富士山があれば日本という事がわかるだろうという、安直なシナリオとしか思えない。

そして、原子力発電所に隠されていた秘密は、ゴジラの敵となるムートーという怪獣が眠っていたという点である。このムートーという怪獣は、かなりグロテスクだ。エイリアンとコウモリを掛け合わせたような怪獣で、かなり不気味である。なにか地獄から這い出てきたようなイメージさえあり、ここまで気持ち悪い怪獣を作らなくてもいいだろうにとも思ってしまった。

のっけから怪しい怪獣が出てきて、ゴジラはどうなんだと思っていると、何やら思わせぶりに前半の早いうちに登場する。初代ゴジラは、かなり焦らされて登場するが、このゴジラはそれほど焦らされた気はしない。しかし、突然正面が映った段階で、これは何だ!ゴジラではないと思った。首がほとんどなく頭から胴体までそのままズドーンと繋がっている不細工なゴジラだった。ハリウッド版ゴジラの第1作は、トカゲのようなゴジラで、これまた酷かったが、今回は、逆にクマが巨大化したような姿に唖然とする。せめてゴジラのスタイルは、日本版に合わせてほしかった。

もともと「ゴジラ」という映画は、核実験の放射線で恐竜が変異した生物であると解説されており、科学の暴走で、あってはならない恐ろしいものを生み出してしまった人類へのアンチテーゼ的な作品だった。しかし、アメリカで作られた作品であり、やはりそんなメッセージ的なものは何もない。ゴジラは、人類を救うヒーロー的な扱いであり、敵となるムートーは徹底的に叩きのめすが、空母、駆逐艦、戦車、戦闘機にはまったく戦いを仕掛けない。海兵隊もゴジラに、戦いを仕掛けようともしない。「ゴジラ」というタイトルを付けるとしたら、人類対ゴジラという構図でなければならない。他の怪獣は必要ないのだ。ゴジラは、人類がいくら頑張っても倒すことのできない神のような存在であり、人類への警鐘を促すようなテーマ性を前面に打ち出してほしかった気がした。

ゴジラやムートーのリアルな映像は、たしかに目を見張るものだった。さすがCGの進歩は凄いものだとは思ったが、その中で登場する人物たちは、今一つ共感を覚えない人ばかりだ。主役は、海兵隊の一兵士とその家族であるが、いてもいなくてもいいような役どころで、パニックになっているさなか子供をほったらかしにして仕事に行ってしまう母親や父親は何だろうと思ってしまう。最後に核爆弾の起動タイマーは止められたのだろうか。そのあたりが良く分からないうちに、物語は終わってしまった。

一番可哀想なのは、芹沢博士役の渡辺謙だ。彼も、はっきりいって大した役どころではない。ほとんど唖然とした顔でゴジラやムートーを見つめているだけである。ゴジラやムートーに対する対策について的確なアドバイスをして軍隊に協力するわけでもない。「ゴジラ」というセリフを言うためだけに登場したのではないかと思ってしまう。ハリウッド映画に登場する日本人は、いつもこんな扱いで登場するのが関の山である。

という訳で、期待していただけあってその落差は大きく辛辣な批評になってしまった。やはり日本でリブートすべき映画だった。

イルカがしゃべった

2014-08-18 22:03:27 | ニュース
イルカが人の言葉を真似られることが世界で初めて証明されたそうだ。しゃべった言葉は「ピヨピヨ」「おはよう」など8種類で、動画が公開されている。しゃべるイルカは、鴨川シーワールドで飼育されているシロイルカの「ナック」で、飼育員が「ピヨピヨ」と声をかけると、上手に「ピヨピヨ」と返し、他に「ほう?」とか「ハハハ……」もまねてみせている。

このナックの声の周波数やリズムを分析すると、飼育員が話す声と同じパターンであるといい、たしかに人間の声を認識して発生しているようだ。イルカは知能が高いと言われているが、これだけのことができるという事がわかっただけでも素晴らしい。インコやオウムが人の声を真似することがあるが、単なる真似ではなく、人の言葉を理解して真似しているところが凄い。

詳細は、こちらから。
http://goo.gl/9g28Va

「神々の山嶺(いただき)」夢枕獏/著

2014-08-17 21:22:58 | 読書
神々の山嶺〈上〉 (集英社文庫)
クリエーター情報なし
集英社


夢枕獏というと、「サイコダイバー・シリーズ」「陰陽師」「餓狼伝」等のエログロの伝奇バイオレンス的な作品しか知らなかった。ほとんど読んだことはなかったが、しばらく前に読んだ「大江戸恐龍伝」は面白かったので、これからちょっと読み始めてみたい作家には、なっていた。そんななか、新田次郎の後を継ぐ山岳小説家が夢枕獏であるという話を聞いて驚いた。私は、そんなことは今まで知らなかったのだが、近年ではこの作品は、山岳小説の最高峰とも呼ばれ、コミック化もされ全世界で100万部を超えるベストセラーになっていたのだ。さっそく、図書館で借りてきて、上下巻で1000ページ近い長編を一気に読んでしまった。

内容は、登山家でカメラマンである深町誠が、前人未到のエベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂に挑む羽生丈二を追っていく姿が描かれる。この作品のキーポイントは、ジョージ・マロリーはエベレストに登頂したのか?という実際の登山界の謎を絡めている点だ。ジョージ・マロリーは実在の人物で、1924年のイギリス第3次エベレスト遠征隊でアンドリュー・アーヴィンと頂上にアタックしたが遭難し、登頂したかが謎となっていた。深町が、マロリーのカメラを見つけることからその謎が明らかになっていくのも見どころである。ただし、その部分はフィクションであり、本当のところは未だに謎らしい。

登場人物は、この二人が主役だ。一人は、天才的クライマーである羽生 丈二(はぶ じょうじ)だ。谷川岳一ノ倉沢をはじめとする国内の数々の難所を攻略しているが、知名度がなく金もないので海外遠征もままならなかった。しかも、協調性がないことと、あまりにも登山を優先させるその生き様に、ザイルパートナーは長続きせず、弟子の岸文太郎を事故で失ってからは単独登攀を好むようになっていく。1979年グランドジョラス冬季単独登攀中に滑落して負傷するも、驚異的な精神力と体力で生還する。その経験を買われ、1984年の冬季エベレスト登山隊に参加するが、第1次アタック隊に参加出来ないことを不満に下山、失踪する。その後ネパールに不法滞在し、シェルパとして働きながらエベレストの冬季単独登攀を計画していた。その間にマロリーの遺体とカメラを発見しており、これが深町と縁を結ぶきっかけとなる。エピソードモデルは森田勝という実際にいた登山家である。(ウィキペディアより)

そして、もう一人はクライマー兼カメラマンの深町誠(ふかまち まこと)だ。1993年のエベレスト遠征で仲間を失い、カトマンズに滞在中に故買屋でマロリーのヴェストポケット・オートグラフィック・コダック・スペシャルを入手したことがきっかけで羽生丈二を追いかけることとなる。(ウィキペディアより)

そして、羽生のライバルとして名前が良く上がってくるのが、長谷 常雄(はせ つねお)である。羽生に先駆けて鬼スラや海外の高峰を単独登攀するライバルだったが、1985年のK2無酸素単独登山で雪崩に巻き込まれて死亡したとされている。モデルはトレイルランニングレース ハセツネ(長谷川恒男)カップ 日本山岳耐久レースで知られる、あの長谷川恒男のことだ。

世界最高峰の山に魅せられたふたりの男の交錯する人生を軸に、険しくそびえ立つ山々に命を賭けて挑む姿と、彼らを取り巻く人々の思いを壮大なスケールで描いた大作である。最後のシーンでは、読みながら魂が震えるような感動でみたされてしまった。山に何故登るのか!山に登れば何が得られるのかといった疑問にも何らかの回答が得られるのかもしれない。それが何であるかは、読んだ人ごとに違うだろうが…。

そして、小説だけにとどまらず、この作品の映画化が最近決まったそうだ。スケールの壮大さがネックとなり映像化が難しいとされていただけに、作者本人が「なんということであろうか。この物語が、現実に映画化される日が来ようとは」と興奮していたという。タイトルは、『エヴェレスト 神々の山嶺(かみがみのいただき)』として、ロケハンは既に始まっており、2015年春にはネパール他にて撮影を予定し、2016年に公開になるらしい。公開されれば、かつてない規模の日本の山岳映画になる事は間違いない。

「かもめのジョナサン完成版」リチャード バック (著)/ 五木 寛之 (創訳)

2014-08-15 07:37:20 | 読書
かもめのジョナサン完成版
クリエーター情報なし
新潮社


40年前、世界的な大ベストセラーになったという「かもめのジョナサン完成版」を読んだ。この本の事は知っていたが、読んだことはなかった。この作品には人間は登場せず、カモメの世界で如何に速く飛ぶかということに全てを掛けたジョナサンというカモメのお話だ。

大まかなあらすじ(ウィキペディアより)
主人公のカモメ、ジョナサン・リヴィングストンは、他のカモメたちが餌をとるために飛ぶことに対して、飛ぶという行為自体に価値を見出してしまう。ジョナサンは食事をするのも忘れ、速く飛ぶことだけのために危険な練習を重ねる。そしてその奇行ゆえに仲間から異端扱いされ、群れを追放されてしまう。それでも速く飛ぶ訓練をやめないジョナサンの前に、2匹の光り輝くカモメが現れ、より高次の世界へと導かれる。「目覚めたカモメたち」の世界のなかでジョナサンはより高度な飛行術を身につけ、長老チャンから「瞬間移動」を伝授される。そしてある日、弟子を連れて下界に降り、カモメの人生は飛ぶことにあるという「思想」を広めようと試みるが、下界のカモメからは悪魔と恐れられるようになる。

40年前は、3部で終了しており、より高度な飛行能力を身につけたジョナサンが世界から消え去って終わっている。宗教的な世界に入り込んだようなお話で、確かに違和感を覚える終わり方であった。40年前、そんな終わり方でありながら何故大ベストセラーになったのだろうか?3部まで読んだ時点では、あまりにも抽象的なお話すぎて、どこがいいのか良く分からなかった。40年前の人々の感じ方と現代の人々の感じるところは違っていたのかもしれない。

この作品は、もともと4部作で構成されていたのだが、作者が何らかの理由で第4部を封印していたそうだ。ところが、数年前、作者が小型飛行機の操縦中に事故で瀕死の重傷に遭い、その際いろいろ想う所があって、今年第4部を含めた完全版を発表したのだという。40年ぶりに完成版が出たわけで、そういった意味で読んでみたい作品になった。

完成版を読んでみた結果は、間違いなくスッキリした終わり方になっていたといえる。偶像化され神として祀り上げられた者は、後の者たちからは、その姿や言動だけを捉え崇拝するだけとなり、その思いがどうだったかについては関係なくなってしまうのだ。まるで、今世界で起こっている宗教的な対立を皮肉っているようにも思える。第4部では、そんな皮肉っぽい描写も交えながら、結局は第1部の「楽しく自由に空を飛びたい」というお話に戻っていく。第3部で、消化不良のままだった感覚が、第4部でしっかり消化できたようである。五木寛之は翻訳ではなく、創訳となっている。直訳ではなく判りやすいように創作した部分もあるようだが、初めて読む者にとっては、読みやすかった。40年前に読んだ人も、完成版を読んで未消化の部分をスッキリさせてほしいものだ。

2014東北登山「3日目:八幡平」

2014-08-14 00:15:45 | 山登り
3日目の朝もずっと雨である。時折突風も吹き荒れ、台風が消滅したというのに雨雲が上空には厚くかかっていた。3日目は、八幡平に登る予定なのでチェックアウトの時間まで目一杯様子見することにした。やることといったら温泉に入ることくらいしかない。露天風呂に行ってみると、誰もおらず貸し切り状態だ。露天風呂の全容がわかるよう、写真を撮っておく。下にある3つの浴槽は、温めで長時間入っていることが出来る。奥にある囲いの向こうが、女性専用の露天風呂だ。


一段上がったところにある露天風呂。ここはかなり熱い。温め湯が好きな私は、数分しかもたない。そしてさらに上にある露天風呂は、泡ブクブクで湯温は最も高い。


こちらは、男性用の内風呂だ。朝掃除が行われたので、湯が少ないが徐々に増えてきていた。


午前10時、もう宿を出る時間だ。雨はまだ降っているが、八幡平に登る事にして藤七温泉彩雲荘を出発する。


藤七温泉を出て、すぐ上の道路際から荒涼とした景色が見えてくる。あちらこちらから噴煙が上がっていて、ここが藤七温泉の源泉のようだ。まさに地獄といえるべき景色だが、このおかげでワイルドな露天風呂に入ることが出来たのだ。




10分ほどで八幡平山頂レストハウスに到着する。駐車場、レストランなども完備され立派な観光地だ。それでも、さすがに観光客はまばらである。八幡平山頂は、ここから歩いて20~30分という距離なので、前日同様雨具を着て手ぶらで山頂に向かう。


八幡平(はちまんたい)は、岩手県と秋田県の間に広がる広い高原である。県境をまたいで秋田県側から登りはじめる。


登りだしてすぐに見かけた不思議な凹地。この凹地ができた原因は謎だという。




雨水がザーザーと流れる道を進んでいく。


噴火口に水が溜まった鏡沼。晴れていれば、コバルトブルーに染まり、岸近くまで生えた針葉樹林の木陰が、くっきりと映る鏡面のような沼になるそうだ。


隣合った二つの火口に、水が溜まって出来た眼鏡沼。眼鏡に例えて名前が付けられている。


ほどなく八幡平山頂1613mである。77座目の百名山となったが、今までで一番楽ちんな山になってしまった。天気が良ければ、もっと下の方から登ってくるつもりだったが、天気と行程を考えると仕方がない。


雨に濡れたクルマユリ。


湿原の間を進んでいく。


滑り止めの付いた木道がずっと続いており、その間に無数の沼や湿原が点在している。








木道の途中で、激しい水の流れがあった。どうなっているかと先に進んでみた。


水の流れは、八幡沼からだった。東西600m、南北200mという八幡平では最も大きな沼である。おりしもの大雨で、増水した水が下流に流れ出していたのだ。風で波打つ湖面は、まるで大きな海のようで怖い感じだ。


沼の中から葉っぱが一杯伸びている。


ニッコウキスゲの群落も雨の中だ。


八幡沼を一周し駐車場まで戻った。きついところは少なく、晴れていれば、楽しい高原歩きが出来る場所だ。八幡平レストハウスで雨具を脱ぎ、最後にもう一度温泉に入っていく事にした。どこがいいか分からないので、地元の人の情報から松川温泉に行くことにする。

樹海ラインをずっと下って行く途中で次第に雲がとれ、青空が見えるようになってきた。青空を見るのは久しぶりなような気がする。大きく裾野を広げた山は、岩手山だ。八幡平と岩手山がこんなに近いとは思わなかった。次は、岩手山にも登らなければならない。


松川温泉は宿が松風荘、松川荘、峡風荘、ペンションの4つがあり、その中で丁度真ん中あたりにある松川荘の内風呂と露天風呂に入る。源泉100%かけ流しで、高温と低温の2種類の源泉があり乳白色の湯である。




近くには、珍しい地熱発電所があり、蒸気がもくもくと上がっていた。


あとは、東北道などを経由して無事盛岡駅に到着。レンタカーを返し、東北新幹線、東海道新幹線で無事帰宅する。天気は残念ながら恵まれなかったが、東北の山、温泉、観光をしっかり楽しめた旅だった。