とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「日本人の自然観・民俗学の視座から」野本寛一さん

2014-10-09 23:13:15 | 社会人大学
今日は、今年最後の社会人大学だった。講師は、近畿大学名誉教授の野本寛一さんである。人間の生活において、誕生、育児、結婚、死に至るさまざまな儀式が伴っているが、こうした通過儀礼とは別に、普段の衣食住や祭礼などの中にもさまざまな習慣、しきたりがある。これらの中にはその由来が忘れられたまま、あるいは時代とともに変化して元の原型がわからないままに行なわれているものもある。民俗学は、こうした習俗の検証を通して伝統的な思考様式を解明する学問だという。身近で行われている訳のわからない習慣みたいなものの意味が、民俗学の講義で分かると面白いかなと楽しみにしていた。

野本寛一さんは、静岡県出身の日本の民俗学者だ。フィールドワーク重視の研究手法に忠実なことで知られ、ひたすら歩き、景物に目を凝らし、人々の語りに耳を傾けてきたという。著書には、『地霊の復権 自然と結ぶ民俗をさぐる』『自然と共に生きる作法 水窪からの発信』『自然災害と民俗』等がある。

今回のテーマは、日本人の自然に対する思いという事で、四季折々の自然現象と人間の営みについていろんな例が挙げられていた。例えば、「タムシバやコブシの花がたくさん咲くと米が豊作となる」「麦の穂がビワの色になるとアワビがうまくなる」「トチの穂が出たら味噌を掻き込む」等だ。昔の人たちは、こういった自然の変化を捉え、農業の時期や食材を最適な時期に食べる事を伝承してきたのだと思い知らされた。だが、こういった伝承も生産する側と消費する側がはっきり分かれてきてしまっている現代では、消えて行く運命なのだろう。また、山形県には、「草木塔」という石塔があり草木を供養したものだという。動物を供養する塔はよくあるが、草木までも供養するという感性は昔の日本人が、如何に自然に対する思いが強かったことを表しているのかもしれない。

また昔の女性の地位について、野本さんの説は好意的である。地方によって生理の期間に女性が月小屋と呼ばれる小屋に籠もる風習があったというが、この風習は、いわゆる「血の穢れ」を排除しようとする社会の論理だけで行われてきたのではなく、むしろ生理の女性に安息の機会を与えるものであったという説だ。一年中家事に追われる女性のために休み日が設けられ、家庭の中で働く女性を保護する思想が民俗社会の底流にはあったからではないかと言われている。同じような話で、細江町の歴史民俗資料館に、産気づいた女性が籠るコヤ(産屋)が復元されていたのを見たことがある。コヤは、「お産は神様から子供を授かる神聖なことで、生死を重んじ、派手なことを控えて身を慎しむ」ための場所だったといわれているそうだ。

その他、印象に残ったのは、「仲間になるには、その国の食い物を食べる」という事や、「町の人は、草木を根こそぎ持って行くが、村の人は種や根を残しておき絶やさないようにしている」という話は、現代でも通じることである。

「仏教は幸福学」ひろさちやさん

2014-10-02 21:54:29 | 社会人大学
9月はまったくなかった社会人大学が、久しぶりにあった。この日の講師は、宗教思想家の“ひろさちや”さんだ。評論家であり、仏教の一般向けの解説書を“ひろさちや”のペンネームで執筆している。ペンネームの由来は、ギリシア語で愛するを意味するPhilo(フィロ)と、サンスクリット語で真理を意味するsatya(サティヤ)の造語だという。

宗教の話というと、どうも苦手でずうっと聞いていられるか心配だった。しかも、今日は早起きして仕事に行ったせいか、眠たくて仕方がなかった。しかし、宗教絡みの話ながら逆説的なユーモアある話が時折出てきて、ふと我に返って重要な話は聞くことが出来た。

基本的な話として、世の中にはいろんな人がいて、みんなそのままでいいのだという。優等生もいれば劣等生もいる。犯罪者がいるから、警察や裁判官、弁護士の仕事がある。病人がいるから、医師や看護師、薬剤師の仕事があるという。世の中には、いなくていい人はいない。どんな境遇でも、そのままで幸せになればいい。それぞれが、仏様から与えられた役割を果たして生きているから、そのままでいる事が幸せに繋がるという事だ。すなわちそれが、仏教の教えだという。

何だかわかったようで、よくわからない。多分、それが悟りを開いた人には通じることなのかもしれないが、未だに煩悩の塊のような凡人の私には、そんな思いにはなかなか到達しそうもない。死ぬまで、いろんな思いに囚われて、一喜一憂していくのだろう。

「男と女」古今亭志ん輔さん

2014-08-22 18:40:08 | 社会人大学
8月最後の社会人大学は、落語会だ。今回で4回目となる落語家の古今亭志ん輔さんが登場した。今回は、どんな噺になるかと期待していたが、一番目のお題が「試し酒」で、2011年の時に聞いた噺だった。

内容はと言うと、こんな噺だ。

病気が治った近江屋が、見舞いに来てくれた返礼に坂倉屋を訪ねた。近江屋が、唯一の飲み友達だった坂倉屋は、喜んでお祝いに一献やりましょうと勧めたが、近江屋は、近頃すっかり飲めなくなったと断った。「大酒飲みの近江屋さんが、そんなことはないでしょう。」となおも食い下がった。近江屋は、大酒飲みといえばお供の下男が床上げの際、五升は飲んだと坂倉屋に話した。坂倉屋は、その下男に会ってみたいから、ここに呼んでくれと言う。呼ばれた男は、田舎から出てきたばかりという素朴な男で身体は小さく、坂倉屋は五升の酒を飲むとは信じられない。坂倉屋は、この人には五升は無理だという。しかし、近江屋は、どうしても飲むと言い張るので、二人で飲めるかどうか、賭をすることになった。下男は、「五升と決まった酒を、計って飲んだことがないので、わからねぇだ」という。坂倉屋は、「もし、今ここで、見事五升の酒を飲み干したら、褒美をやる」。それを、聞いて下男は喜んだが、飲めないときは近江屋が坂倉屋をご馳走するということになった。下男は、飲めないときは、旦那が損をする。飲めるかどうかおもてに行って考えさせてくれと言い、しばらくすると下男が帰ってきた。やがて「五升飲む」という賭が始まった。坂倉屋自慢の一升はいる大きな杯で、一升、二升、三升と飲み干して上機嫌な下男が、ついで四升も飲み干した。そして、最後の一升も一気に飲み干してしまう。驚いた坂倉屋は、下男に質問した。「おまえさん。酒のうーんと飲めるまじないか何か知っているんだろう。それを、是非教えてくれと、頼みこむ」。下男は、「そんなものは、何もねぇーだ!」。坂倉屋は、不思議な顔をして「それじゃあ、何だって、おもてに行って考えていたんだい?」。すると下男は、笑い出して「なぁに、五升と決まった酒が飲めるかどうか、わからねぇから、さっきおもての酒屋で、五升飲みに行ってきたんだ」 (2011年のブログから)

前にも聞いた噺だなあと思ったが、何度聞いても面白い。特に、志ん輔さんの芸が細かい。下男が、酒を一升ごと飲み干していく様子が、本当にうまいのだ。扇子を盃に見立てて音をたてながら飲み干していく動作が、本当に酒を飲んでいるように見える。げっぷを出したり溜息をついたり、扇子をうまく使いこなし顔の表情やら手の動きも芸が細かい。

休憩後の二つ目の話は「唐茄子屋政談」である。これも昨年聞いた噺で、上下二つに分かれる人情話だが、通しで最後まであった。内容は以下の通り。

上(2013のブログから)
道楽が過ぎた若旦那、勘当されても「お天道さまと米の飯はついて回る」とうそぶいて反省の色がない。だが、ころがりこんだ先の友人たちからも見放され、親戚を頼っても相手にされず、とうとう宿無同然となって吾妻橋から身投げしようとするところを、偶然通りかかった叔父に止められる。「お、叔父さん……! お願いです、助けてください」「なァんだ、てめえか……止めるんじゃなかった。さ、飛び込みな」口では散々悪態をつくものの、その実甥の行方を心配し続けていた叔父の家に連れて行かれた若旦那は、心を入れ替えて何でも叔父のいう事を聞くと約束する。翌日若旦那は叔父に言われて天秤棒を肩に、慣れない唐茄子の行商を始めるが、肩に食い込む重さのあまりに「人殺しィ!」と荷を投げだす始末である。通りかかった人たちの情けで唐茄子を買ってもらい、今更ながらに人情の温かさを味わうのであった。だが、昔覚えた道楽は忘れることができないもので、売り声の稽古をしようと吉原田舗に来かかると、ついつい花魁との甘い思い出に浸って一人で惚気てしまう。

下(2013のブログから)
気を取り直した若旦那は、その内に三ノ輪の裏長屋を通りかかり、ぼろをまとってはいるがどこか品のあるおかみさんに呼び止められて唐茄子を売る。夫は浪人で今は遠くで行商をしているが、うまくいかないのか送金が滞っているという身の上話を聞き同情した若旦那は、お腹をすかせた子供に自身の弁当を食べさせ、「おあしはいりませんから。ここにわずかながらお金があるんで、これを差し上げます。これで何か買ってくださいまし。」と唐茄子の売り上げを無理強いに渡して去る。涙を流して喜ぶ母子。だが、入れ違いにきた因業な大家が、「店賃としてもらっておくよ。」と取り上げてしまう。そうとは知らない若旦那、家に帰って叔父に売り上げを差し上げた事を言うが、「お前、そんな嘘をついてどうする。」と信じてもらえない。やむなく、叔父ともども三ノ輪の裏長屋に来ると、そこは蜂の巣をつついた騒ぎ。聞けば、件の母子が、親切な人から恵んでもらったお金を大家に取られたことを苦に心中を図ったというのだ。幸い母子とも無事だったが、怒った若旦那は大家を殴り長屋の者も加勢する。裁きの末、大家はきついおとがめを受け、母子は叔父の持っている長屋へ引き取られ、若旦那は奉行から青差五貫文の賞金とお褒めを受け勘当も許される。

長い話だが、若旦那が唐茄子(かぼちゃ)をどうやって売って、親の勘当を解くかが焦点だ。道楽者で、人の苦労を知らない若旦那が、一文無しになって初めて人の為になる事をして勘当を解かれるという噺である。この噺では、扇子を天秤棒になぞらえてずっと肩に当てている。時折、「トーナス」と掛け声が出てくるのが、何故か笑える。

最後に、質問コーナーがあったのだが、事務局長から早めに終わるようにせっつかれ困ったような顔をしていた志ん輔さんだったが、さすが噺家である。話術でうまく切り返していたのが印象的だった。

「魅惑の十一面観音巡礼」関根俊一さん

2014-08-06 19:25:14 | 社会人大学
昨日は、島田の社会人大学の講演を聞いてきた。講師は、帝塚山大学教授の関根俊一さんだ。奈良国立博物館研究員として日本美術に関する展覧会や「正倉院展」を担当している方で、専門は、日本美術史、日本工芸史だという。

今回のテーマは、「魅惑の十一面観音巡礼」だ。仏像の話となると、正直言ってまったく知らない事ばかりである。お釈迦様、如来、菩薩、権現様とかいろんな仏像がある事は知っているが、それらがどのような位置づけで、どんなふうに区別されているのすら知らない。特に今回は、十一面観音の話ということだったが、最初は、顔が11もある観音様という事ぐらいしかわからず、それがどんな意味なのかも講演を聞いて初めて知ることが出来た。

まず、菩薩(ぼさつ)とは、仏教において一般的に成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者のことを指すという。菩薩は、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象になった。特に 「観音経(かんのんぎよう)」などで説かれる菩薩が観音菩薩で、衆生(しゆじよう)の声を聞き,その求めに応じて救いの手をさしのべる慈悲深い菩薩として多くの信仰を集めたという事になっている。

観音菩薩(かんのんぼさつ)は、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられたという。苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べるとされており、今回はその中の十一面観音のお話だ。ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものである。

十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされ、女神のような容姿に造られたものが多い。多くの十一面観音像は右手を垂下して数珠を持ち、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている姿であることが多い。そして、本面以外に前三面が菩薩としての慈悲の表情、左三面(向かって右)が怒りの表情、右三面が(向かって左)が牙をむき出す表情、背面に大笑いする表情となるのが正しい十一面観音の姿だそうだ。

仏像の姿には、いろんな意味があるというのがこの講演で少しわかった気がする。他には、東大寺のお水取りの話などもあったが、あまり馴染みがない話なので、すべてを理解することはできなかった。ただ、こういった仏像のことを理解した上で、改めて見に行くと興味が増すのは間違いないだろう。

「感じの良い話し方と聴き方」石亀美夜子さん

2014-07-25 20:40:15 | 社会人大学
今回は、社会人大学の講師としては初めてとなる石亀美夜子さんの登場だ。石亀さんは、フリーアナウンサーとして「ルックルックこんにちは」日本テレビ/「ファミリー東京」テレビ東京/「モーニングショー」「スーパーモーニング」テレビ朝日などに数多く出演しており、話すことにかけては、まさしくプロ中のプロだ。他にも、各種企業・専門学校等で「接遇のマナー」「話し方」「自己表現学」の講座を受け持つなど研修講師としても活躍中だという。

また、司会者や講師だけにとどまらず、真打ちの三遊亭圓王師匠との出会いから落語を学び、2008年「三遊亭花王」という名で社会人女流落語家としてデビューし、年に数回高座にも出ているという。次は講師ではなく、落語家として登場してもらうのも面白いかもしれない。

さて、講演は要点が判りやすくまとめられたレジメどおりの内容だった。、

1.相手に好感を持たれるポイント

(1)人は見た目で判断される?
初めて会った人の印象は、出会い頭の数秒が勝負だそうだ。アルバート・マレービアンの法則によれば、人の印象は視覚情報で55%、聴覚情報で38%、言語情報で7%というから、いくら話がうまくても見た目が良くないと好印象にならないのだ。やはり、初めて会う人には、身なりや動作には気を付けないといけない。

(2)笑顔とアイコンタクト
話をする時は、笑顔で相手の視線をしっかり見据える事。ただ、まともに相手の目を凝視するのではなく、圧迫感を与えない程度に見るのがいい。少し視線を下げて顔の真ん中の小さな三角形を見たり、男だったらネクタイ、女だったネックレスを見るくらいの視線でもいいそうだ。これだけで、相手は自分の目を見て話しているように感じる。

(3)言葉と表情、態度を一致させる
面白かったり、楽しい話では、表情や態度も話に合わせて動きを付けると更に好感を持たれる。

2.感じの良い話し方のポイント

(1)「聞きやすい声」で話す。
自分の声を録音して聞くと、自分ではないように感じるが、本当の自分の声がどんな風に相手に聞こえてるかを知るチャンスである。聞きやすい声は、母音がポイントで、アイウエオを少なくとも1ヶ月続けて練習すると効果があるそうだ。劇団四季が開発した「口の体操」はこんな風に行う。まず、アエイウエオアオと言う。次にカケキクケコカコ、サセシスセソサソと続き、タ行、ナ行、ハ行、マ行、ヤ行、ラ行、ワ行と同じ母音の並びで発音する。これを1ヶ月続けられればたいしたものだ。

(2)分かりやすく話す
日本語は、間の取り方が違うと、まったく違う意味になる事が多いのでわかりやすく間を取ることが大事だ。
例:私は父と、母について話した。私は、父と母について話した。

(3)「相手が聞きたいことは何か?」を意識する。

(4)最後にプラス表現で終わる会話を!
日本語は、最後の言葉で印象が決まる。途中までどんないい話をしても、最後にマイナス効果の言葉で終わると、すべてが台無しになってしまう。最初と最後に、プラス表現が含まれていれば、すべてが好印象に繋がるのである。

3.聞き上手のコツ(「聞く」から「聴く」へ)

(1)相手に興味を持つ。

(2)話しやすさをつくる⇒ペーシング
相手と視線を合わす。うなずき、あいづちを適度に挟む。相手が使った言葉を自分も使う。相手の言った事を繰り返す等。

(3)共感的に聴き、反応する


とまあ、こんな感じで講演が進んだ。声は大きく、はっきりしていて明瞭で聞きやすい。やはりアナウンサーだけあってお話は上手である。声の出し方も、トレーニングをいろいろしただけあって素晴らしいものである。今まで、話し方とか聴き方なんて意識したことなかったが、今回のお話を意識して実践していけば、話すことに自信が持てるかもしれない。

内田青蔵氏と行く鎌倉旧宅めぐり

2014-07-06 22:33:54 | 社会人大学
5日は、社会人大学の課外講座という事で、鎌倉まで出かけていった。鎌倉といえば、いろんな観光地が有名だが、今回はそういう場所は一切いかず、昭和初期に建てられたモダンな住宅を建築学者の内田青蔵氏の解説付きで見学するツアーだった。戦争が始まる前に建てられた洋館ばかりで、明治大正の匂いを感じさせるノスタルジックな感傷に浸ることが出来た。

まず最初に見学したのが、鎌倉文学館である。


鬱蒼とした林の中を進むと手掘りのトンネルがあり、鎌倉文学館の建物はその先だ。


トンネルを抜けると、視界がぱっと開け、モダンな洋館が現れた。


この建物は、現在「鎌倉文学館」として使われているが、元はといえば、旧加賀百万石・前田家の第16代当主・前田利為侯爵の別荘として建てられものだという。戦後は、デンマーク公使や佐藤栄作元首相が別荘として利用したこともあるが、1983年に第17代当主・前田利建から鎌倉市に寄贈され、1985年から文学館として公開されている。


内田先生から、建築様式に関するいろんな説明があったが、専門的な話でどうすごいのかは良く分からない。ただ、当時の建築物としては贅の限りを尽くしたものだという事は良く分かる。1階が鉄筋コンクリートで主に使用人の部屋や調理場として使われていたという。2階3階が木造で反六角形の張り出し窓、半円形欄間の飾り窓、ベランダの手摺等洋風デザインが使われ前田家の家族が寝室や居間、食堂などとして使っていたそうだ。ただ、瓦葺の切妻屋根といった和風デザインもあり、和洋折衷の外観であるという。やはり、前田家という武士の家柄であることから和風デザインにもこだわったようである。


そしてこの洋館の前には、広い芝生の庭があり、その奥はローズガーデンとして春秋には200株以上のバラが花を咲かせるそうだ。




雨の中、傘を差しながら内田先生の解説を聞く。


今回の目的は、建築探訪ということなので、文学館自体の話はあまりなかったが、この文学館には川端康成、芥川龍之介、三島由紀夫などのそうそうたる鎌倉ゆかりの文学者たちの自筆の原稿や愛用品が展示されており、文学に興味がある人にはそちらのほうも大いに楽しめるはずである。

次に寄ったのが、旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)と呼ばれる建物で、昭和4年の春に華頂博信侯爵邸として建てられたものである。現在は、鎌倉市が取得し市の景観重要建築物、国の登録有形文化財(建造物)に指定されているそうだ。残念ながら、中の見学は許可されず、外回りと庭だけの見学となった。


建築様式としては、古典的なハーフティンバースタイルの趣ある洋風建築だというが、ハーフティンバーの意味が良く分からないのでそうなのかと聞き流していた。


裏に回ると立派な庭があり、さすが皇族関係者の邸宅は凄いなあと感心する。


旧華頂宮邸は、端正で厳然としており神奈川県内では戦前の洋風住宅建築を代表するものだという。ただ、当初の家具・調度がほとんど残っていないというのが残念だと、内田先生は話していた。

旧華頂宮邸のすぐ近くには、報国寺があり、観光客で賑わっていた。


今回の見学コースではないので、空き時間に少し中を見た程度で終わってしまったが、「竹の寺」とも称されるらしく、竹林をよく見ておきたかった。




次に行ったのが、旧加地利夫邸である。こちらは、特にこの屋敷を熱心に研究していた建築学者の井上祐一氏の解説を聞きながら中を見学した。ただ、この屋敷は個人の持ち物で一般には公開されておらず、井上先生のつてで見学を許されたものなので、残念ながら写真は撮っていない。どこがすごいかというと、F.R.ライトという建築家の直弟子で、帝国ホテルの建設にも携わった遠藤新の代表作であるというがポイントだ。照明や家具などすべてが遠藤新による設計で二つとないものばかりになるそうだ。


最後に寄ったのが、葉山にある山口蓬春記念館だ。山口蓬春は、古典による伝統的日本画を探求する一方で、西洋画の技法を取り入れる等、従来にない数々の試みを実践し、独自の新日本画の世界を築いた日本画家である。




この記念館は、山口蓬春が晩年を過ごした邸宅で、アトリエは東京美術学校(現:東京藝術大学)の同窓生である建築家の吉田五十八による設計だという。全面ガラスの開放的なアトリエが特徴的だ。


4か所の邸宅めぐりは、結構ハードなスケジュールだった。鎌倉の街中は大型バスが止められる場所が少なく、ほとんど徒歩での移動となり、この日だけの歩数は1万4千歩くらいもあったそうだ。歩くことには自信があったが、団体でちまちま歩くから意外と疲れる。最後の見学が終わったのが午後5時を過ぎていた。それからバスで帰るのだが、静岡や焼津での乗降があり、浜松に着いたのは午後10時を回っていた。それから解散して家に帰ると午後11時近くとなり長い一日になってしまった。

「さわやかに夏を」大谷康子さん&榎本潤さん

2014-07-03 23:49:54 | 社会人大学
今年も、ヴァイオリン奏者の大谷康子さんがピアニストの榎本潤さんと共に社会人大学にやってきた。大谷さんは、16年連続となるそうでこの社会人大学がお気に入りで、とても楽しみにしているという。特に浜松は、音楽の街ということもあり観客の反応が他の街に比べとてもいいという事らしい。

まず、最初の名曲は、毎度おなじみのエルガーの「愛の挨拶」だ。この曲は、エルガーが8歳年上の愛する女性に捧げた曲である。大谷さん曰く、符号が並べられた譜面を正確に間違えずに演奏するのが名演奏という訳ではないと力説する。演奏するうえで、その曲が作られた背景、作曲者の思い、誰のために書いたのかという事を知っておかなければならないという。この話をした後、もう一度「愛の挨拶」を演奏してくれたのだが、最初は譜面通り正確で演奏者の思いが入っていない弾き方だ。その次に、エドガーの思いを汲んだ大谷さんが思い入れを一杯こめた演奏となった。両方を聴き終えてみて明らかにその違いが良く分かった。後者のほうが、やはり愛する女性に捧げたいという思いがすごく響いてきた。この思い入れをどう表現するかというと、もちろん気持ちだけで済むわけではない。ヴァイオリンの場合は、弓に張られた馬の毛の使い方で調整するのだという。強くひいたり弱くひいたりして強弱をつけることで曲の感じが全く変わってくるのである。やはり、名演奏家というのは、こういった微妙な部分をうまく弾き分けることが出来るから人の心を打つのであろう。

次に、ヴィヴァルディの「四季」を春、夏、秋、冬と分けて演奏。それぞれの季節を表す特徴を詳しく解説された。普通のクラシック演奏会では、こういった解説など聞けることはない。久々に音楽の授業を受けているような感覚もあったが、一流の演奏家の解説とあらば勉強になる話だ。「四季」の次は、一転して「日本民謡の組曲」となり、茶っきり節などをヴァイオリンとピアノ演奏で聴く。

榎本潤さんは、日本唱歌の合唱指導を最近では精力的にやっているそうで、大谷さんの演奏の後、この会場でも懐かしい日本唱歌の合唱指導があった。曲目は、「ふるさと」「春の小川」「朧月夜」「こいのぼり」「茶摘み」「夏は来ぬ」「我は海の子」「村祭り」と我々の世代なら、間違いなく歌詞カードなくても歌える曲ばかりだ。小学校以来であろう懐かしい唱歌を全員で歌った。参加者は、年配の女性が多かったが、皆さん思いのほか美しいコーラスで感心した。流行の歌を歌うのもいいが、やはりどんな世代でも共通して歌えるような歌も残していかねばならないと思った。

最後は、ハンガリー舞曲の演奏だったが、アンコールで今流行の「アナと雪の女王:Let It Go」 を演奏。昔からの曲も大事だが、流行もしっかり掴んでいるところは、やはりプロである。この曲を聴くと何だか勇気が出そうになる。最後に得したような気分になったのも確かである。

「医療の心得と生活習慣病の心得」田中圭さん

2014-06-27 18:37:54 | 社会人大学
今年第2回目の社会人大学であった。
今回の講師は、医学博士の田中圭さんである。
数年前に講師で来られたことがあり、今回は二度目の講演だった。
今回は、ネット流出、録画、録音等NGという事だったので、残念ながら詳細は載せられない。

とりあえず概要だけを載せておくことにする。
以前も、医学界の常識を破る大変面白い講演であったが、今回も大変面白くタメになる内容だった。
今回のテーマは、
1.ワクチンの心得
2.生活習慣病の心得
3.病院に頼らない体つくり
の3つだった。

基本的にこの先生の言いたいことは、医者に頼らず個人個人の自然治癒力を高め病気にかからないようにしようということである。
やたらに薬に頼ったり、検診結果に右往左往することなく自然体で生きていくことが長生きに通じるというわけである。
特に医者の言う事をうのみにしないで、分からない事は自分でもしっかり調べるといった行動も必要だという。
何だか、お医者さんがこんなこと言っていいのかというお話も多々あったが、非常に参考になった。
詳しくは、この先生の著書を読むと分かる。

「絵を描くことは生きる事」画家 水村喜一郎さん 

2014-06-12 22:50:09 | 社会人大学

(柿)

今年初めての社会人大学の講師は、画家の水村喜一郎さんだ。9歳の時に高圧線で感電し両腕を肩から失うが、不自由さを伴いながらも、先生や友人たちの温かい応援を受けながら、手の代わりに口と足を使って生活の全てにわたり何事にも果敢に挑み、自助の精神を貫き通したという人である。

小さいころから画家を夢見て、事故後もすぐに口に筆をとり、14歳の時から油絵を描き始め、17歳の春に初めて公募展に入選する。入選を機会に油絵への情熱が高まり、創作活動に打ち込み、静寂と安らぎを宿す世界を独特の美しさで描き「描く詩人」と言われているという。

2013年5月に、長野県東御市に自身の作品を集めた「水村喜一郎美術館」を開設。同年8月には、天皇皇后両陛下が来館されたことでも話題になった。両陛下が水村さんと初めてお会いしたのが、昭和56年国際障害者年中央記念事業芸術祭で、水村さんの「柿」の絵の前で両陛下は15~20分立ち止まってご覧になったことが来館のきっかけだったそうだ。皇居・御所には、水村さんが漁港を描いた作品などが飾られているらしい。

講演では、皇后陛下と「柿」にまつわる話や、子供時代の話などを親しみのある口調で語られていた。ただ、社会人大学での講演は、初めてではないようで、怪我をして絵を描くようになった経緯や、画家としてどんな生活をしてきたかという話はあまりなく、初めて聞く私のような聴講者にとっては、少し物足らない内容だった。

2014年の社会人大学の募集が始まった

2014-04-03 22:36:04 | 社会人大学
今年も、社会人大学の募集案内が届いた。創設して51年目になるという息の長い講座である。
さて、今年のテーマは「知識を増やし美しく生きる」ということだ。
本を読んだり、手紙を書いたり、見知らぬ地への旅で美しく人生を生きようと呼びかけられた。
まさに、私の理想とする生き方である。
今年もいっぱい本を読んで、見知らぬ地への旅もいっぱいしたいと思っている。

そして、今年の講師陣は下記の通りだ。

《1回目》画家 水村喜一郎さん 「絵を描くことは生きる事」
 水村さんは9歳のとき感電事故で両腕を失い、口に筆をくわえて絵を描いてきたという。長野県東御市に昨年オープンした個人美術館「水村喜一郎美術館」には、天皇皇后両陛下も訪れたそうだ。

《2回目》医学博士 田中佳さん 「医療の心得と生活習慣病の心得」
 病気を医者任せにしないで、治療方針を決める知恵と対策を身に着けてほしいという内容である。今回で2回目だが、また為になる話が聞けそうだ。

《3回目》ヴァイオリン奏者 大谷康子さん & ピアニスト 榎本潤さん 「さわやかに夏を」
 大谷さんは、16年連続。榎本さんは、昨年に引き続きの大谷さんとの共演になる。7月の公演になるが、さわやかな夏の夜のクラシックコンサートになるだろう。

《4回目》コミュニケーションアドバイザー 石亀美夜子さん 「感じの良い話し方と聴き方」
 フリーアナウンサーとしてテレビ番組のレポーターや司会者として活躍した方で、東京スチュワーデス学院で「話法」の講師も務めたという。大勢の前で話すことがある人には、しっかり聞いておきたい講座になるだろう。

《5回目》奈良大学文学部文化財学科教授 関根俊一さん 「魅惑の十一面観音巡礼」
 専門は、日本美術史、日本工芸史ということで、奈良や京都の古美術品の薀蓄が聞けそうだ。話を聞いてから、奈良や京都に行ってその作品を見れば一味違う感覚になるかもしれない。

《6回目》落語家 古今亭志ん輔さん 「男と女」
 この方の高座は、お馴染みで4回目となる。演目がまたもや“男と女”なのだが、今回も面白おかしく聞かせてもらえそうだ。

《7回目》宗教思想家 ひろさちやさん 「仏教は幸福学」
 人生のあれこれに憂うのではなく「あとは野となれ山となれ」の精神で現状を受け止め、“今を楽しむ”ことが日本人には必要だという。こういう話を聞けば、生きていくのがずっと楽になりそうだ。

《8回目》近畿大学名誉教授 野本寛一さん 「日本人の自然観・民俗学の視座から」
 自然災害に対する防災と言う点では気象予知、地震予知、また土木工学的対応が進んでいるが、災害に関して伝承されてきた警句や言い伝えを地域別・体系的に掘り起こし、民俗学の視点からいろいろ調査されている方だ。年寄りの話は決して無駄ではないにちがいない。


毎年10回の講座であったが、今年は8回で終わりのようだ。消費税アップでいろいろ経費がかかるようになってしまったのかもしれない。回数が減るのは残念だが、仕方ない事だ。