とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2020白馬雪遊び:白馬47スキー

2020-02-25 17:36:49 | スキー
2日目の朝、ペンションの前で記念撮影後、白馬47スキー場に向かう。


途中で、スキーセットがない人がレンタルショップによるというので、立ち寄っていくが、かなり混んでいて受け取りまで時間がかかった。何とかスキー場に着くと、駐車場がめちゃ込みで、ゲレンデからだいぶ遠い場所に止めざるを得なかった。しかも間が悪いことに、チケット売り場もめちゃ込みだ。チケットを購入してゴンドラ乗場に向かうも、目を疑うような長蛇の列だ。はるか彼方に最後尾があると思いや手前の列まで蛇のしっぽのように繋がっている。


こんなに混んでいたのは、隣の八方尾根スキー場のゴンドラが朝から強風で止まってスキーヤーたちが白馬47に流れたことと、白馬47のリフトが動いておらず、ゴンドラしか動いてないというのが原因だ。通常ならゴンドラ待ちなどあり得ないスキー場だっただけに、目論見が外れてしまった。ゴンドラ待ちの列に付いてゴンドラ駅間近まで来るのに1時間近くもかかってしまった。


やっと上のゲレンデに着くと、各自のレベルに合わせ、好きなコースを滑ろうという事で集合場所と時間を決めて滑り出す。午後1時過ぎ、昼食も取らずにゴンドラ山頂駅前に集まる。


ここから最後の一滑り。みんなで林間コースを滑って、ゴンドラ乗場迄一気に下る。




その後、レンタルスキーを返しに行ったりしたこともあり、温泉にも立ち寄らず、遅い昼食を取って帰路に着いた。今回は、スキーの時間が実質2時間くらいしかなく、“物足らない感”がかなり残った。例年は、2月でスキーを終わりにしていたが、もう1回くらい行ってもいい気分だ。

2020白馬雪遊び:スノーシュートレッキング

2020-02-24 22:41:04 | いろいろ
毎年2月は、雪遊びと称して白馬で雪と遊ぶツアーを企画している。今回も、1日目は白馬山中でスノーシュートレッキングをする。スノーシューで山を歩くとなると、土地勘があって雪山歩きに慣れているガイド付きのツアーが安心だ。毎年いろんな地区のガイドさんにお願いしてきたのだが、今回は、Evergreen Backcountry Guidesというツアー会社にお願いした。白馬村の和田野にあるこの会社は、スタッフの9割以上は外人で、日本人スタッフは数少ない。白馬村にやってくる外国の観光客をターゲットにしているせいか、受付に行っても日本人スタッフはおらず、英語しか通じない。事前のやり取りは、英文のメールをやり取りして何とか予約にこぎつけ、この日に至った。


事務所の雰囲気は、カナダに行ったときによく見たアウトドアショップの雰囲気とほとんど同じだ。周りにいる客もほぼ100%外国人だ。仲間に英会話ができる人がいたので、何とかツアーを進めることが出来た。


スノーシュー、ストック、ブーツなどが全員分揃ったところで、栂池高原スキー場に向かう。


スノーシューのコースは、栂池の山頂ゴンドラ駅からスタートするとの事で、ゴンドラ乗場に向かう。雪山登山という事になるので、事前に登山届の提出が必要になった。


山頂ゴンドラ駅に着いた。山麓は雨模様だったが、山頂に着くと標高が高く気温が低いので雪に変わっていた。我々のメンバーは全部で7人。そして、ガイドは、日本人のNさんとアラスカ出身のBさんだ。とくに立派なひげを蓄えたBさんは、白馬に16年以上住み着いており白馬の山を知り尽くした雪山の専門家らしい。


雪が降りしきる中、二人のガイドの案内のもと、雪山を歩きだす。


大粒の雪が降りだし、直ぐに頭やリュックサックが真っ白になる。


スタートが遅かったので、30分ほど歩くと、もうお昼近くになっていた。盆地となって風当たりが少なく広い場所を探して昼食休憩をすることになった。Bさんが、スコップを取り出し、上手にテーブルを作る。


テーブルの上には、パンと飲み物が出てきた。


まずは、温かいスープを頂く。




スープのほかに、野菜カレーを別のコップに入れてもらう。ちぎったパンにカレーをつけて、そのまま口に運ぶ。雪山での食事だけに食べ方もワイルドだ。


食事の後は、多少日本語の話せるBさんの話を聞く。




大木に宿ったサルオガセに雪が付いて垂れ下がってい。幻想的な風景だ。


回りは、全くの銀世界。音もなく静かに雪が降り積もっていく。


新雪を踏み分け、さらに山を登っていく。


日本人ガイドのNさんの話を聞く。


栂池ロープウェイの自然園駅の真下までやってきた。標高1900m近い場所だ。


ロープウェイ駅近くまで来たところで、上りは終わり、ここから下山していく。


すぐ下には、バックカントリースキーの団体が滑って下りてきていた。


我々も林道を歩いて下山していく。


早稲田大学所有の山小屋・神ノ田圃ヒュッテの横を通り過ぎる。


雪崩の恐れがあるという場所は、一人ずつ20mくらいの間隔をあけて通り抜ける。


栂池高原スキー場の栂の森ゲレンデまで下りてきた。周りには、スキーヤー、ボーダー、利リフトが見えるので、やっと人がいる場所に戻ったという安心感がある。


ゴンドラ山頂駅に着いたところで、メンバー全員で記念撮影。ずっと雪の中だったが、静寂な雪山の雰囲気を堪能できた1日スノーシュートレッキングコースだった。


ゴンドラで山麓に下りると雪は雨に変わっていて、急いで車に乗り込み宿に帰る。トレッキング中は雨ではなく雪だったのが幸いだった。

2020東大山河津桜まつり

2020-02-17 22:18:18 | いろいろ
毎年、2月中旬くらいから花川堤防には400本の河津桜が優美なピンクの花をつける。今年もそろそろ咲き出すだろうと、15日(土)にマラニックをしながら走って見に行ってきた。

和地小学校前の荒巻川ほたる公園の駐車場に車を止め、花川の堤防沿いを走っていく。河津桜の並木がある場所まで来ると、「東大山河津桜まつり」の幟が立っていて、ちょうど2020年2月15日(土)~3月8日(日)まで開催するとあり、ちょうど祭りの初日だった。祭り用の駐車場には、既に多くの車が止まっていた。肝心の桜の開花状況は、もうばっちりの見頃だ。


奥まで進むと、売店もたくさん出ていてお客で賑わっている。




水面に写る河津桜が美しい。ただ、残念なことに曇り空で青空が見えない。




売店での買い物はあとの楽しみにして、長寿の鐘を鳴らして先に進む。


東大山河津桜まつりの会場だけでは、マラニックの距離としては短すぎるので、さらに先にある花川運動公園まで足を延ばす。花川運動公園内にも、河津桜が30本近く植えられておりこちらも満開だった。




花川運動公園の端まで走って行ってから、反対側の堤防に移動して、東大山河津桜まつりの会場まで戻ってくる。こちら側は、菜の花畑の黄色と河津桜のピンクのコラボで、一際写真映えする。




菜の花畑の中に入って写真を撮る人も多い。


その後、売店に寄っておでん、焼きそば、うどんなどを食べる。お腹いっぱいになって、走るのが苦しかったが、ゆっくり走って駐車場に戻った。やはり、今年は温かいせいか例年に比べると開花が早い。天気がいい日にもう一度見に行ってもいいかなと思った。

2020西表島マラソンツアー:4日目竹富島おさんぽコース

2020-02-16 21:28:32 | 観光
今回のツアー最終日だ。西表島の民宿「マリウド」さんの車で上原港まで送ってもらう。ずっと欠航だった西表島上原港⇔石垣島の定期船がやっと運行できるようになり、朝の出発に余裕ができた。


上原港から見た朝日。


上原港に貼ってあったイリオモテヤマネコの写真。世界で西表島だけに生息する希少種で、種の存続ぎりぎりの100頭ほどしかいないと言われている。今回、本物を見る機会は、全くなかったが、国の天然記念物で、絶滅危惧種に指定されている動物である。夜中に、飛び出して交通事故死にあうイリオモテヤマネコが少なくないとの事で、西表島では、ドライバーに制限速度の40km/hを守るよう注意を呼びかける運動が行われているそうだ。


午前8時発の石垣島行きの定期船に乗る。


石垣島に着くと、すぐさま竹富島行きの定期船に乗りかえて、竹富島に向かう。竹富港からは、バスで竹富観光センターの水牛車乗り場に移動。これも初めてだが、まずは、水牛車に乗ってゆっくり島内を観光だ。


水牛は何頭もいて、我々の牛車を引っ張ってくれたのは「劉」くんだった。


次から次へと、別の水牛車が付いてくる。


竹富島の家々は、琉球石灰岩の石垣、ふく木の防風林、屋根は赤瓦といった伝統的な建築様式をふまえていて、古い沖縄の集落景観をそのまま残している。


水牛車に揺られ、ガイドの案内を聴きながら景色を見ていく。


赤瓦の屋根にシーサーを置くのは、魔除けの意味合いがあるという。石垣越しに咲くブーゲンビリアの花々も南国特有の雰囲気を醸し出している。


竹富島の道は、浜から運んだ白砂が敷き詰められている。毎朝、島民が道の砂をきれいに掃いて均しているそうだ。


石垣の中に置かれたおびただしい数のレンタサイクル。シーズンにもなると、島はレンタサイクルで動き回る人で一杯になるようだ。


最後は、ガイドさんの三線の演奏と民謡を聞いて水牛車観光が終わった。


水牛車観光が終わった水牛車。


我々メンバーで、水牛の「劉」くんと記念撮影。


この後は、歩いて島内を観光する。日差しが強くなり、ガイドさんから配られた傘を被る。


水牛車では回れなかった場所も含めてのガイド付きの散歩コースだ。


ここは有名な民謡"安里屋ユンタ"のモデルとなった美女クヤマが生まれた家だ。琉球王国時代の竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマは役人に逆らい求婚を撥ね付けた。クヤマの気丈さは、八重山の反骨精神の象徴として語り継がれているという。


石敢當と呼ばれる魔よけ。市中を徘徊する魔物は直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐというわけだ。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされ、悪いことが人ではなく、石に敢えて当たってくれという意味があるそうだ。


白砂が敷き詰められた道は、よく見ると真っすぐではない。緩やかにカーブがつけられている。ガイドさん曰く、台風が多い地域だけに風が真っすぐ通り抜けないよう、あえてカーブをつけ、家屋への被害を少なくなるようにしてあるそうだ。


ガイドさんの説明を聞きながら、十字路に立って道の様子を確認している様子。


世持御嶽(ユームチオン)。竹富島の集落の中央にあり、火の神、農耕の神を奉る行事が行われる御獄。10月ごろに行われる『種子取祭』は、五穀豊饒と島民の繁栄を祈願して行われる竹富島最大の行事で、この『種子取祭』の期間の内の2日間はツアー等も一切行われないそうだ。


お散歩中にも、水牛車が何度も通り抜ける。


竹富郵便局。竹富島唯一の郵便局。本土の郵便局と違い、木造でできており赤瓦の屋根とシーサー、そして昔ながらの赤いポストがある。ここで手紙を出す時に係の人に伝えると、赤瓦屋根とミンサー織の帯、星砂がデザインされた風景印を押してくれるとの事。


最後に、「あかやま展望台」というお土産屋さんの屋上に登る。以前は、「なごみの塔」という高い展望台から島の景色を見ることが出来たのだが、現在は、「なごみの塔」が老朽化のために立ち入り禁止となってしまい、かわりに「あかやま展望台」から島の東西南北を見渡すことが出来る。


赤い瓦屋根の家屋が並んでいる様子を見ると、これが竹富島の風景だというのがよくわかる。


竹富島を水牛車とお散歩で楽しんだ後、ふたたび定期船で石垣島に戻り、バス、飛行機を乗り継いで帰路に着いた。本土を出る時は、雪もちらつく寒い日だったが、南の島々に来ると、気温は一気に上がり汗ばむ気候にビックリ。日本は、南北に細長く、四季を数日間で一気に楽しんだ気分だった。

2020西表島マラソンツアー:3日目西表島ピナイサーラの滝・カヌー&トレッキング

2020-02-15 20:16:17 | スポーツ
3日目は西表島のアクティビティを1日楽しむ。宿で開催している「ピナイサーラの滝・カヌー&トレッキング」の参加だ。初めての西表島を楽しむならこれが一番人気だという事で楽しみにしていた。

参加者は、我々のグループ9人と他の観光客の3名が2グループに分かれて、ツアーガイドと共に現地に向かう。スタート前に、カヌーのパドル捌きの練習を一応練習する。


一同、パドルを担いでカヌー乗り場に向かう。


途中で見かけたマルハチの木。名前の由来は、葉が落ちたあと、幹に丸の中に逆「八」字形のある跡が残るからだ。南の島に多く自生し、小笠原諸島に行った時もよく見かけた植物だ。


途中途中で、ガイドからこの辺りの植生の話なども聞く。


シングルカヌーに乗り込み、これからヒナイ川の上流に向けて遡っていく。


緩やかな流れなのでカヌーが揺れることもなくゆったりと進んで行く。


さらに漕いでいくと、目の前の崖に大きな滝が見えてきた。これが今回の目的地であるピナイサーラの滝だ。沖縄で一番落差のある滝だという。


一旦、カヌーから降りて、ピナイサーラの滝上まで行くためにトレッキングとなる。上陸して最初に見たのが、板根と呼ばれる板状に張り出した根を持つ植物だ。樹木の地表近くからの側根の上部が、平板状に著しく偏心肥大し、樹木の支持や通気の働きをする根になっている。熱帯雨林の高木やマングローブ植物に多く見られるという。


板根の中に入って記念写真だ。人間と比べても、いかに板根が大きいかがよくわかる。こんな植物は初めて見た。


滝上までのルートは、かなり険しい道だ。ロープ場や岩場をいくつも登っていく。




やっと滝上の流れまでたどり着く。


流れの中をジャブジャブと踏み分け、滝上先端まで進む。


ここから滝つぼまで、水が流れ落ちている。


岩の上に這いつくばって滝つぼを覗いてみる。


凄い勢いで水が流れ落ちているのがわかる。落差は約54mあり沖縄最大だ。名前の由来は、“ピナイ”が顎髭を意味し、“サーラ”が下がったものという意味で、遠くから見ると老人の長い顎髭のように見えることからだという。


滝つぼ覗きが終わり、一旦安全で広い場所まで行って昼食休憩をすると、ちょうど後続グループが到着した。


この日の昼食は、ガイドさんお手製の八重山そばだ。


岩盤の上で出来立ての八重山そばを頂く。


休憩場所は、結構広く、大勢のツアー客が集まってきていた。


昼食が終わり、今度は滝つぼまで行くために、山を下っていく。


ピナイサーラの滝つぼに到着する。たしかに老人の長い顎髭のようにも見える。時折、風で水飛沫が横に流れると髭がなびいているかのようだ。


滝つぼ前の岩に登って、滝と一緒に記念撮影。


滝つぼ前で、ハイビスカス茶とマンゴージャムを乗せたクラッカーで午後のティータイムだ。


ピナイサーラの滝をまること楽しんだ後、沢沿いに下り、カヌー乗り場に戻る。


色とりどりのカヌーが並んでいる様は、なかなか絵になる。


再び下流に向かって漕ぎ出す。


マングローブの森を眺めながら、ゆったりと川を下っていく。


最初は、カヌーの操縦に不安だった仲間たちも、帰りは難なく見事なパドル捌きでスタート地点に戻ることが出来た。


「2020西表島マラソンツアー:4日目竹富島おさんぽコース」に続く。

2020西表島マラソンツアー:2日目西表島やまねこマラソン

2020-02-14 20:35:01 | マラソン
石垣島のホテルの朝食は、なんと朝から海鮮丼だ。あらかじめスタッフが用意したシートに、海鮮丼のネタ、トッピング、ご飯の銘柄、醤油の種類等をチェックして渡すシステムである。ネタは12種類もあり、選択に迷うが、なんとかチェックを入れてスタッフに渡すと、厨房にいる寿司職人が希望通りの海鮮丼を作ってくれるのである。しかも、それ以外にサラダやてんぷら、漬物、フルーツ、味噌汁もバイキング形式で取ることが出来る。


これが、自分が頼んだ海鮮丼。まさに朝から贅沢な朝食になった。


さて、石垣港から西表島への定期船に乗る。西表島には二つの航路があり、西表島の上原港と大原港に向かう二つだ。マラソンのスタート地点に近いのは上原港なのだが、北風が強いと欠航になることが多く、この日も欠航になってしまい、風の影響の少ない大原港への定期船に乗り、大原港で下船する。


大原港からは、上原港近くのマラソン会場に行く直行バスが出ており、そのバスに乗って会場に向かう。


1時間ほどでマラソン会場に到着する。既に大勢のランナーで賑わっていた。


中に入っていくと、やまねこ帽子を被った可愛い女の子たちが、帽子を売りに来た。みんな、やまねこ帽子と子供たちの売り込みが気に入って、我も我もと買い込む。


買い込んだやまねこ帽子を被って、ヤマネコ君と記念撮影だ。


受付会場は、上原小学校となっており、校庭にはヤギが飼われている。


受付を済ませてから、この日に泊まる民宿の人にお迎えを頼み、一旦宿に帰り荷物を置いていく。マラソンのスタートは、12時40分からなので、しばらく休憩してから、会場に戻る。我々の参加種目は全員23キロで、参加者は600名近くだ。大会委員長の挨拶などを聞き、スタートを待つ。


12時40分。スタートとなり、結構早いペースで走り出す。フルマラソンやウルトラマラソンとは違い、最初からハイペースな流れなので、付いていくのがいささか苦しい。


コース上からは、牛が放し飼いされている風景も見え、のどかな感じだ。


天気は薄曇りで、この時期としては涼しくて走りやすい。


浦内橋を渡ると、マングローブ林やヤエヤマヤシの群落が見える。


橋の上では、みんな写真を撮っていく。


子午線モニュメント。1997年、西表島に123度45分6・789秒の子午線が通っていることが発見され、「子午線のモニュメント」が建てられたそうだ。何故か、あわもり君も一緒に写っていた。


「おーりたぼーりょー!(また来てくださいね)」と地元の方言で応援してくれる。


西表漁港が見えてくると、8キロくらいだ。


10キロくらいで西表トンネルの中を通過する。


11.5キロの折り返し地点だ。これからは同じ道を戻っていく。


沿道のブーゲンビリアが満開だ。


残り1キロ地点。晴れてきて暑くなってきたが、残り僅かだと思い頑張る。


そして、ゴール。タイムは、2時間30分ほどだった。


仲間のHさんは、年代別で第1位。さすがだ。


Hさんを入れて、表彰台で記念撮影。


午後6時からは、ふれあいパーティーがあり、ほとんどのランナーが残っている。竹富町体育協会会長の挨拶でパーティーが始まった。


その後、来賓の挨拶や舞踊が行われた後、ランナーお待ちかねのサバニの登場だ。サバニとは、琉球列島で漁や運搬に使われていた木造の舟のことだ。そして、サバニの上には山盛りの刺身が乗っかっている。


サバニの前には、あっという間にものすごい人だかりとなり、刺身の状況を撮るのも一苦労だったが、決死の思いで何とか撮ることが出来た。


しかし、写真を撮れたものの、刺身を取ることはとんでもない状況だ。押し合いへし合いでなかなかサバニに近寄ることができない。まさに人間の本性を垣間見た感じだ。


喧噪が終わり、サバニの上に残ったのは、刺身のつまとフルーツのみ。ほとんど刺身を取ることはできなかった。


そして、そのあとに登場したのはスペシャルゲストの“ティンクティンク”だ。“ティンクティンク”は、りんけんバンドの照屋林賢氏がプロデュースする沖縄県の女性音楽ユニット。紅型の衣装で登場し、三線、三板、太鼓を演奏する。グループ名は沖縄方言で三線の音を表現する擬声語に由来するそうだが、最初グループ名を聞いたときは、ピンクピンクだと思い込んでいた。この大会では、過去にはBEGINや夏川りみがゲストで登場したらしい。


“ティンクティンク”の演奏に合わせて、メンバーたちも踊り出す。




その後の抽選会では、誰一人当たることなく、がっかりして会場を後にする。ただ、あとでわかった事だが、その後も抽選会があり、残っていれば何か当たったかもしれない。

ただ、良かったことは、ゲストの“ティンクティンク”が我々の宿と同じだったらしく、宿で一緒になり、ちゃっかり記念写真を取れたことだった。


参考.マラソンのコースマップ


「2020西表島マラソンツアー:3日目西表島ピナイサーラの滝カヌー&トレッキング」に続く。

2020西表島マラソンツアー:1日目小浜島観光

2020-02-13 22:18:36 | 観光
7~10日にかけて沖縄八重山諸島の島旅に出かけてきた。一番の目的は、西表島の「竹富町やまねこマラソン」に出場する事だが、ついでに周辺の島々も観光して回ってきた。

1日目は、中部国際空港から那覇空港で乗り継いで石垣空港に向かう。石垣空港からはバスで石垣島離島ターミナルに向かう。石垣島離島ターミナルは周辺の島々に向かう船が沢山出ており八重山諸島の玄関口だ。まずは、仲間とともに小浜島への定期船に乗りこむ。


定期船の後方デッキから、石垣島離島ターミナル方向を見る。


小浜島の小浜港に到着する。結構風が強い。


小浜港のターミナルの看板には、「ちゅらさんばし 旅ぬかろい」と書かれている。「ちゅらさんばし」は、「ちゅら=美しい」とNHK朝ドラの「ちゅらさん」、そして桟橋をかけているらしい。また、「旅ぬかろい」は、旅の安全祈願を意味し「良い旅を」とのメッセージが込められているそうだ。


小浜港からは、あらかじめ予約しておいた島内観光バスに乗る。我々のメンバーで貸し切り状態だ。


まずは、車上から島の景色を見て回る。道路の両側は、ほとんどサトウキビ畑だ。


ちゅらさんのロケ地となった小浜小中学校。ドラマでは、古波蔵恵里、古波蔵恵達、上村文也が通っていた学校だ。


こちらも、ちゅらさんのロケ地となった民宿「こはぐら荘」の看板のある古波蔵家。一般の人の家屋であるため、中の見学はできない。




バスから一旦降りて、小浜島の西の浜に向かう。浜の入り口には、貝殻のアクセサリー類が何気なく置かれている。値段がつけられているが、誰も近くに人はおらず、おおらかな島だ。


砂浜に出ると、やはり風が強いが、前方には美しい海が広がっていた。


この浜と、反対側に見える西表島の間の海峡は、「ヨナラ水道」と呼ばれ、別名「マンタウェイ」とも呼ばれているそうだ。マンタは、大きな胸ビレを優雅にはばたかせて大海を泳ぐ巨大エイの事だが、この海峡でよくマンタが目撃されることから絶好のマンタスポットとなっていて、ダイビングする人たちのあこがれの海峡だ。


浜から戻り、待っていたバスに乗り込む。


海人(うみんちゅ)公園のシンボルでもあるマンタ展望台が見える。


最後に寄ったのは、西大岳(にしうふだき)展望台だ。250段ほどの階段を上っていく。


階段の途中からは、オレンジ色の可愛い屋根の建物がかたまって見える。かつて「コーラルアイランドリゾート」などと呼ばれていた「別荘村サンゴ倶楽部」だ。その向こうに見える島は「嘉弥真島」、そして更に向こうに見えるのが石垣島だ。


西大岳展望台には、「ちゅらさんの碑」があり記念撮影ができる。ここからの眺望は一際いい。


さとうきび畑の中を走り、小浜港に戻る。


小浜港からは、25分ほどで石垣島に戻る。石垣島離島ターミナルの桟橋に立っているのは、石垣島生まれでプロボクサーとして大活躍した具志堅用高の像だ。石垣島の大スターとして、今もマルチタレントとして活躍している具志堅用高の栄誉を讃える記念像である。人気の写真スポットになっており、我々もさっそく記念撮影する。




石垣島のホテルにチェックインするが、夕食がないので近くの居酒屋に向かう。居酒屋の前にも、具志堅用高の顔ハメ看板。なかなか面白い絵柄だ。


9人のメンバー全員がそろったところで、乾杯。


ホテルへの帰り道で見つけた「もーもー神社」。幸運の神様「ビリケンさん」に似た御神体「うし神様」が2体置かれ、「もーもー神社」としてお参りできるようになっている。左のうし神様は厄払いと金運、右のうし神様は縁結びに御利益があるといわれている。もともとは、焼き肉店のオーナーが設けたもので、今や石垣島の観光名所の一つだ。




それからホテルに戻る。翌朝は、西表島に渡り、「竹富町やまねこマラソン」に出場する予定だ。

「2020西表島マラソンツアー:2日目西表島やまねこマラソン」に続く。

2020JRさわやかウォーキング~城跡コース~

2020-02-03 22:19:33 | ウォーキング
1月に続いて、2月もウォーキングに参加してきた。今回は、JRと天竜浜名湖鉄道の共催で天浜線桜木駅からJR袋井駅までの約13キロのコースだ。パンフレットを見ると、体力に自信のある方向けの健脚向けコースとなっていた。

まずは自宅から遠州鉄道西鹿島駅まで向かい、天浜線に乗り換え桜木駅で降りる。桜木駅は、周辺に大手企業があり、結構通勤客の乗降が多いそうだ。桜木の由来は近隣にある雨桜神社とこの周辺の地区名である垂木のそれぞれから一文字ずつとって桜木という地名が生まれたという。桜木駅本屋及び上りプラットホームは国の登録有形文化財に登録されており、レトロな雰囲気がなかなかいい。


駅前で、JRさわやかウォーキングの受付があり、コースマップを貰ってスタートする。


住宅地を抜けると、直ぐに田園地帯となり、青空のもと、サクサクと歩いていく。


1時間ほどで、油山寺に到着する。遠州三山の一つ医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)は、大宝元年(701)に行基大徳によって開山された真言宗のお寺だ。油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに由来している。


油山寺は、行基大徳による開山から1300年あまり、目や足腰にご利益があると、親しまれ、目の霊山として知られている。


「瑠璃の滝」。孝謙天皇が御眼の病気を患った折、境内を流れる「るりの滝」に加持祈祷を行い、この霊水で御眼を洗ったところ、病気が全快したといわれている


瑠璃の滝前にある滝堂の天井には見事な「白龍の画」が描かれている。


三重塔。建久元年(1190)に源頼朝公から眼病平癒のお礼として建立された。その後、戦国時代の兵火にさらされ、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて再建したといわれている。滋賀県の長命寺と京都府の宝積寺(ほうしゃじ)の三重塔と共に「安土桃山期の三名塔」の一つに数えられている。塔の高さはおよそ23メートル。上層にいくほど塔身が細くなるよう設計されており、安定感のある美しい塔だ。


一番上まで上がって行くと、薬師本堂がある。本堂には本尊の薬師如来と油山寺の守護神である軍善坊大権現が祀られている。


本堂の内部を見ると、目の霊山という事で「め」という文字が目立つ。絵馬には、目の病が治るようにと書かれたものがほとんどだ。


油山寺からさらに1時間ほど歩くと、可睡斎に到着する。東海道一の禅の修行道場である可睡斎は悠久六百年の歴史を刻む徳川家康公が名づけた古刹。現在は、曹洞宗・専門僧堂として多くの雲水(修行僧)が修行をしているそうだ。


可睡斎には何度も来たことがあるのだが、国登録有形文化財に登録された瑞龍閣にはまだ入ったことがなかった。今回は、目玉である「ひなまつり」のイベントが開催されているという事で、入場料を払って初めて中に入る。ウォーキング参加者には、入場料の割引がある。迷路のように張り巡らされた会場の中には、あちらこちらにお雛様が飾られている。


庭園前の廊下にも、お雛様がずらっと飾られている。




瑞龍閣のなかにあるトイレは「日本一の東司(とうす)」と呼ばれ、炎の神「宇烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)」が祀られている。炎の神様は「烈火で不浄を清浄とする」とされ、本来清浄なる自己に目覚めさせる徳をもつといわれている。その効力なのか、とても清潔で綺麗なトイレだ。


さて、油山寺の「ひなまつり」イベントのメイン会場に入る。2階の「菊の間」と「牡丹の間」は各50畳もあり、木造建築物としては日本有数の規模だ。そして「牡丹の間」には、高さ3.5メートル・重さ50キロの巨大な「傘福」と、可愛らしい「2,000体さるぼぼ」が展示されている。




圧巻なのは、「菊の間」に飾られた"日本最大級のひな飾り"だ。きれいに並べられた32段・約1,200体のおひな様は、今にも天井に届きそうである。ひな壇は、幅9メートル・高さ3メートルにも及び、凄い迫力を感じる。




1階では室内ぼたん園も開園しており、展示・グルメ・体験など、ひなまつりに関連したいろんなイベントが開催されていた。




可睡斎では、寺院に参拝する事より「ひなまつり」イベントで十分満足してしまった。かなり見学で時間もかかり、ゴールの締切り時間も考えると、次に行かなければならない。その後も、せっせと歩き、タイトルにもある城跡に着いた。場所は、久野城址だ。久野城は袋井市鷲巣に所在する平山城で、東海道を見渡せる位置にあり、明応年間(1492~1501)に久野宗隆によって造られたと伝わっている。


久野城址は、「袋井メロンマラソン」のコースとして、いつもこの横を通り過ぎていたのだが、一度も意識したことがなく、今回初めて城址だったことを知った。整備された階段を登っていくと、“北の丸”の場所に出た。枯草が生い茂り、城址らしきものはない。


さらに上に上がって行くと、“本丸”があった場所に出た。“北の丸”よりもかなり広い。


南側は見晴らしがよく、袋井市内が良く見える。ベンチの横には、大きな看板が立っている。


何が書かれているのかと、回って前を見てみると「久野城址」と書かれていた。これだけ大きければ、市内からよく見えるのだろう。


久野城址を出ると、14時を回っていた。ゴールの15時には1時間もない。東海道どまん中茶屋に着いたのは14:45。お茶を頂いて、いそいで袋井駅に向かう。


最後は、小走りや速足で14:57くらいにゴールに到着。ぎりぎりセーフで完歩のスタンプを頂くことが出来た。


袋井駅からは、JR掛川駅まで戻り、天浜線の西鹿島から遠州鉄道経由で帰宅する。さすが健脚コースというだけあって、自宅に着くと歩数は3万歩にも達していた。このところ良く歩いているので、ちょうどいい足慣らしになった。

参考.今回のコースマップ