とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2022北海道・樽前山&後方羊蹄山登山ツアー:3日目小樽観光

2022-08-31 21:38:41 | 観光
3日目は、当初、余市市の余市岳に登る予定だったが、ロープウェイが運休中と言うことで、登山時間が大幅に増えてしまうことから中止して、小樽周辺の観光に切り替える事にした。

朝一で、小樽港内にあるクルーズ船の受付に向かい、青の洞窟クルーズに参加する。青の洞窟は断崖絶壁に現れる小樽の隠れた名所だ。陸からは見に行くことができないので、海から洞窟を目指すツアーだ。

まずは、明治時代に建設された日本で最初のコンクリート製の防波堤で、北海道遺産に登録されているという小樽北防波堤をすり抜けていく。


大海原に飛び出すと、湾内とは違い、そこそこ揺れがあってスリルがある。万一の時のために腰には海水を含むと急激に膨らむという救命具を付けている。


観覧車が見えるのは小樽水族館だ。


トド岩。名前の由来は、毎年春先にトドがくつろいでいるからという。もうトドはいないが、カモメが多数羽を休めている。


赤岩山。ロッククライミングで全国的に非常に有名な場所だ。この辺の地層は1500万年前の地層と言われ、まさに秘境だ。ゴツゴツした岩肌と古代の地層が合わさった情緒を感じることができる。


巨大なクマが立ち上がっているようなクマ岩。


断層が連なる岩壁と洞窟が見えてきた。


先行していた別の観光船が洞窟から出てきた。


我々もいよいよ青の洞窟に入っていく。


洞窟は、入口と出口が別にあり、ぐるっと周回できる。一面のブルーの海面は神秘的だ。季節によって輝き方が変わるので、いつ訪れても新鮮な驚きがあるという。




ウミツバメが飛び交う洞窟内を回っていくと、出口が見えてきた。


洞窟を出ても、付近の海面は濃いブルーだ。


窓岩。窓岩の向こうにはモアイ岩と呼ばれる岩が見える。


クルーズのクライマックスは、トド岩周辺でのカモメへの餌やり体験だ。船長がかっぱえびせんを周辺に蒔くと、カモメが集まってきた。


かっぱえびせんを一つ摘まんで空に向けると、カモメが上手に咥えていく。


船の周りには、いつの間にかたくさんのカモメが集まっていた。


80分ほどのクルーズを終え、小樽市内の市場で買い物をしてから余市方面に向かう。ちょうどお昼近くとなり、最近テレビでも紹介されたという、ウニ専門店「世壱屋」でウニいくら丼を食べていく。


すぐに、ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所に到着する。あらかじめ工場見学を予約しておいたので、13時からの工場見学ツアーに参加する。


ガイドさんに連れられて工場内に入っていく。


蒸留釜のある建物。ここでは、今でも石炭をくべて蒸留作業を行っているそうだ。


ウイスキーができるまでの製造工程が紹介されている。


RITA HOUSU。創業者である竹鶴政孝の奥さんであるリタ・竹鶴にちなんでいる建物。以前は研究室として使われていて、リタハウスの中でさまざまな銘柄が生み出されたという。ニッカウヰスキーの初代のRare Old Nikkaや丸びんニッキー、ブラックニッカシリーズやスーパーニッカなど、数々の名ブレンドのゆりかごでもあるそうだ。


ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏とリタ夫人が結婚後の生涯を送った邸宅。2人は当初工場の敷地内に自宅を建てて住んでいたが、夜中でも工場の様子が気になって休まらないということで、余市川を隔てた山田町に家を移築。現在、敷地内にある旧竹鶴邸は、平成14年(2002)に再移築されたもので、平成17年(2005)2月にキルン塔や蒸溜棟などと共に国の登録有形文化財に認定されている。


倉庫に保管されているウイスキーの樽。


ブラックニッカのラベルに描かれていることでお馴染みのヒゲの立派な男性。ニッカウヰスキー株式会社のマスコットキャラクターだ。この男性は、19世紀英国の「W・P・ローリー卿」という人物。ローリー卿は、香りの効き分けが得意であったとされるウイスキーブレンドの名人で、「キング・オブ・ブレンダーズ(ブレンドの王様)」と呼ばれていた。描かれているのは、ウイスキーの原酒をテイスティングしている姿なのだ。ところで、ニッカという名前は何故付いているのか気になっていたが、最初は「大日本果汁株式会社」という会社が設立され、同社の略称「日果(にっか)」の片仮名書きが現在のブランド名になったというわけだ。


工場見学の最後は、酒好きにはたまらない試飲コーナーだ。


3種類のウイスキーを試飲できる。私は、運転手なのでソフトドリンクしか試飲できなかったが、他のメンバーはすべて試飲していた。


工場見学が終わると、フリーとなり売店やミュージアムを見学する。


最後は工場の看板を背景に記念写真を撮って、帰路に着いた。


今回、山は予定通りに登ることができなかったが、観光でも十分楽しめることが出来、それなりに満足できた。北海道は、何度行っても景色や食事が素晴らしい。

2022北海道・樽前山&後方羊蹄山登山ツアー:2日目後方羊蹄山

2022-08-30 22:19:13 | 山登り
2日目の早朝5時に宿を出て、真狩キャンプ場に向かう。キャンプ場にある登山者用駐車場に車を止め、羊蹄山登山口に向かう。


入山届に記入して、6人で山頂目指して歩き始める。私以外は、みんな初めての羊蹄山だ。


30分ほどで1合目に到着する。メンバーの一人が、どうも調子が悪そうだ。


2合目手前の展望台分岐辺りで、一人が体調不良でとても行けそうもないとの事で、私が付き添ってそのまま下山する。残りのメンバーで、山頂に行ってもらう事にした。以後は、先に進んだメンバーから送られた写真だ。

4合目を通過。


7合目に到着。どうやら雲の中に入ってきたようだ。




9合目付近。風が強くなってきたらしく、目を開けるのもエラそうだ。


山頂の方向を示す看板まで行ったようだが、これ以上先に進むのは危険だと判断し、下山する事にしたそうだ。


下山途中で下界と雲の境界がはっきり見える。


スタートから7時間後にやっと山頂アタックメンバーが下山してきた。結果的に、今回は誰一人として羊蹄山山頂に行くことはできなかった。やはり、心残りが大きく来年以降にリベンジする事になった。


キャンプ場を出て小樽方面に向かうが、羊蹄山を見ると、山頂部分がすっぽり雲に覆われているのがハッキリ見える。下界は、何の問題もないが、雲の中は風が吹き荒れていたのだと思うと、山の天気は、本当に変わりやすいものだという事がよくわかる。


小樽に向かう途中にある毛無山山腹の標高約470mにある展望所には、風船のブランコを彩ったフォトフレームが設置されている。空に向かって漕ぎ出すような写真を撮ることができるというので、試しに写真を撮ってみる。


予定より早く小樽市内に着いたので、小樽市内を散策する。最初は、田中酒造の亀甲蔵を見学だ。


小樽の洋菓子屋さんのルタオ本店。


小樽運河。陽が沈みかけ、運河に明かりが灯り始めた。


その後、小樽駅近くのお鮨屋さんで美味しい鮨を食べて宿に戻った。

参考1.後方羊蹄山の高低図&コースタイム


参考2.後方羊蹄山のコースマップ


「2022北海道・樽前山&後方羊蹄山登山ツアー:3日目小樽観光」に続く。

2022北海道・樽前山&後方羊蹄山登山ツアー:1日目樽前山

2022-08-29 18:22:49 | 山登り
7月に続いて2度目の北海道遠征だ。今回は、北海道の南西部にある樽前山と後方羊蹄山を登る計画である。まず1日目は、新千歳空港からレンタカーで、支笏湖の南側に位置する樽前山(たるまえさん)の7合目登山口を目指す。

昼を少し回った頃、登山口の駐車場に到着する。天候は曇りで、雨の心配はなさそうなので支度を整え、6人のメンバーで登り始める。


しばらくは整備された階段状の道を進んで行く。


広い道となっているところもあり、登山初心者やファミリーでも気軽に登ることができそうな道だ。


森林限界を過ぎて、しばらくすると外輪山の取り付きに到着する。


火口内部は、白い霧に包まれ、展望が悪い。


霧の中を、最高峰の東山目指して進む。


結構キツイ登りだ。


登山口から50分弱で樽前山の東山1022mに登頂する。樽前山は日本二百名山の一つで、最高地点は火口中央部に突き出た樽前溶岩ドーム1041mだが、火口周辺は立ち入ることが出来ないので、現在行けるピークの最高点は東山だ。


火口の樽前溶岩ドームは霧の中で全く見えなかったが、東山から支笏湖方面の霧が晴れてきて展望が良くなってきた。


次第に霧が晴れて、風不死岳方面も見えてきたので、火口淵を回り、樽前山一周コースを歩くことにした。




眼下には、樽前山の裾野と支笏湖が広がる。


火口淵をほぼ半周したところで一休み。


火口中央部には、巨大な溶岩ドームがくっきり姿を現していた。樽前山も活火山の一つで、噴火と陥没を繰り返し三重式活火山という珍しいカルデラを形成している。この溶岩ドームは北海道の天然記念物に選定されているそうだ。


少し位置が変わると、蟹か鬼が地面から顔を出しているように見えるのが面白い。


もう一つのピークである西山を目指して登り返す。


樽前山の西山994mに到着する。


西山の山頂には、ソーラーパネルで覆われた観測機器のようなものが設置されている。


溶岩ドームをさらに回り込んで行くと、今もなお活発に火山性ガスが噴出している様子がよく見える。


樽前山神社奥宮に到着する。


ここは、苫小牧市内にある樽前山神社の奥宮で、神社本庁が「特別な扱いをすること」と定めている北海道で6社しかない別表神社の1つだという。樽前山神社奥宮略記には、樽前山は住古より秀麗なる尊容から山そのものを神山・神体と仰ぎ、域いは山嶺を神おわします崇高なる霊域と仰ぎ祭祀を厳修などと記載されている。


樽前山神社奥宮から外輪山取り付きに向かって進む。


活発に火山性ガスを噴出している溶岩ドームを眺めながら進む。


外輪山取り付きの分岐から下山して行く登山者の姿が見える。


上り始めた時よりもグッと霧が晴れ、支笏湖の色が鮮やかなブルーになって見えてきた。




支笏湖をバックに記念写真。


3時間ほどで外輪山を一周して、7合目登山口に無事到着する。午後から天気が良くなってきたせいか駐車している車の台数がかなり増えていた。


その後、ニセコの宿に向かう。翌日は後方羊蹄山に登る予定だ。

参考1.樽前山の高低図&コースタイム


参考2.樽前山のコースマップ


「2022北海道・樽前山&後方羊蹄山登山ツアー:2日目後方羊蹄山」に続く

2022第3回信越トレイル:セクション9

2022-08-10 21:22:19 | 信越トレイル
セクション9は、秘境秋山郷の集落を結ぶ山旅だ。秋山郷の入り口に当たる結東温泉「かたくりの宿」からスタートする。


すぐに出てくるのが、「見倉の吊り橋」への案内看板だ。“ゆれる”とわざわざ書いてあるのが吊り橋への興味をそそる。


看板前で記念写真。


いざ、「見倉の吊り橋」に向けて出発だ。


木立の中をグングン下っていく。


木立の間から中津川渓谷とエメラルドグリーンの中津川の流れが見えてきた。


吊り橋の入り口に着いた。


確かに、この吊り橋は揺れそうだ。この橋、実はオダギリジョー、香川照之、真木よう子といった今をときめく俳優が出演した西川美和監督の映画『ゆれる』や、NHK大河ファンタジー『精霊の守り人』のロケ地にもなったことで有名な橋なのだ。


間隔を空けて恐る恐る橋を渡り始める。下を見ると流れは美しいが、やはりそこそこ揺れて怖い。


映画「ゆれる」では、橋の中ほどで真木よう子が転落するシーンがあり、それを思い出すと尚更怖い。一緒にいた香川照之がわざと落としたのか、事故だったのかが焦点となり、映画の重要なポイントとなった場所なのだ。


吊り橋を渡りきると、急な山道を登り返す。登り終えると見倉集落に出た。わずか4軒の庭先には小さな田んぼと畑があり、自然と共生した循環型の暮らしが営まれているという。


見倉集落の中を通り、先に進むと栃の森だ。栃の実は大事な食料源になるそうだ。


風穴の前まで来た。風穴というからには大きな穴でもあるのかと思っていたが、草に覆われそれらしき穴はよくわからないが、やけに涼しい場所だった。


草むらを掻き分けてみると、小さな穴が所々にあり、そこから冷たい風が出ていた。まるで冷蔵庫の入り口にいるかのような心地よい場所だった。


見倉トンネルの前に出る。どうやら我々はトンネルの上を歩いてきたらしい。


その後は、舗装路を歩き大赤沢の集落までやってきた。山源木工さんの手前から「蛇渕の滝」の看板を見て、滝見物に向かう。


蛇淵の滝。その名前の由来は、その昔秋山郷の熊取名人がこの付近に熊を追ってきて、川にかけられた丸太を渡り終え、ふと後ろを振り向いたところ、それは丸太ではなく大蛇であった。恐ろしさのあまり一目散に山道を逃げ去ったということで、以来この滝を「蛇淵の滝」と呼ぶようになったと言われているそうだ。


大赤沢の集落を出ると、再び山道に入る。「牧之の道」と呼ばれる道で、今から250年程前に、越後の魚沼郡塩沢村(現・南魚沼市)に生まれた鈴木牧之が、歩いた道とされている・


鈴木牧之は、江戸をはじめ、しばしば各地に旅をしていた。文政11年(1828) 59歳の時、初めて秋山郷を訪れた。彼が書いた「秋山記行」は、この地の珍しい風俗や習慣などを絵と文章で克明に綴った大変貴重な記録で、秋山郷を全国に知らしめたとされていることから彼が歩いた道が現在もしっかり整備されているのだ。


「牧之の道」で見かけたキノコ。


甘酒村跡に到着する。江戸時代、鈴木牧之が訪れた時には2軒の家があったと書かれているが、その後、甘酒村は天保の飢饉(1833〜1839)において住人が餓死し、廃村となったと言われている。現在は、記念碑と石造物がならび、村が存在したことを今に伝えている。


現在も誰かが管理している水田が広がっており、集落の面影が残っている。


甘酒集落跡を出てグングン下っていくと苗場神社だ。苗場神社で、信越トレイルの完歩を祈る。


鳥居を抜ければ、セクション9のゴールだ。


ゴールとなる小赤沢の秋山郷総合センター「とねんぼ」に到着する。


「とねんぼ」には到着したのは、まだお昼前だが、朝が早かったので2階のテラスでランチ休憩をする。


この日は、お迎えが来るまで時間が十分にあったので、「とねんぼ」から数分先にある「保存民家」を見に行く。今から230年ほど前に作られた茅葺き、中門造の民家で1975年に修復し、保存展示している。秋山郷を襲った飢餓の歴史の紹介や、江戸時代後期の住まいの様子が伺える。


13時半頃お迎えが到着し、無事戸狩温泉に戻り帰路についた。第4回は、10月上旬に苗場山登山をして信越トレイルの最終回とする予定だ。

参考1.信越トレイル・セクション9の高低図&コースタイム


参考2.信越トレイル・セクション9のコースマップ

2022第3回信越トレイル:セクション8

2022-08-09 22:03:14 | 信越トレイル
前日のセクション7だが、健森田神社から森宮野原駅までのルートが間違っていたことがわかり、健森田神社から信越トレイルをやり直すことにした。


国道迄行かずに、健森田神社前の細い道から住宅の間を下っていく。


しばらく進むと、森宮野原駅の線路側が見えてきた。


踏切を渡る。ガイドブックに載っていた写真通りの風景を確認できた。


これで、正規のルートでセクション7を歩き終えた。


森宮野原駅からいよいよセクション8が始まる。道の駅「信越さかえ」を通り過ぎ、河岸段丘を登りきると広大な田園地帯に出る。ここからは、起伏ある台地の舗装路歩きがずっと続く。


中子の湖の横を通る。


道路脇で見かけたオオウバユリ。あまり見た事のないユリだった。


坂を上がって行くと、中子の湖が見えた。


人が住むような家もない山の中に大きな建物が見えてきた。


妙法育成牧場の建物だ。ここは、新潟県が管理運営する牧場で、県内の酪農家から子牛を預かり、大きく育てて返すという。苗場山麓に広がる河岸段丘は、育ち盛りの牛にとってはとても良い生育環境なのだ。


広大な牧草地の中を進む。


牛が何処かにいないか、気になって見渡してみたが、あまりにも暑い日だったのか、どこにも牛の姿が見えない。建物の中に入ってしまっていたのかもしれない。


舗装路がまだまだ続く。


久しぶりに木陰の道に入るとホッとする。


舗装路が終わり、やっとブナの森に入っていく。


大きな杉木立の下にたたずむ道祖神「あずき地蔵」が見えてきた。


可愛らしいお地蔵さんだ。ここが結東への分岐となり、秋山郷への急な九十九折のあずき坂に続いていく。あずき坂は、昔の人たちも利用した古い道だ。


長い下りが終わり、古峯神社の裏手に出ると、「佐藤佐平治の救済」という看板が立っていた。新潟県津南町と長野県栄村の山間にまたがる秋山郷は、特殊な断崖地形や生活文化など、伝統的な暮らしの匂いが残る秘境で、江戸時代当時の往来は過酷で、大雪で閉じ込められると飢饉に見舞われ、村人が餓死する村も出てしまう。遠く三島郡片貝村の造り酒屋・佐藤佐平治は、有名な”米百俵”どころか、籾3000俵という、とてつもない規模の救援を江戸時代から昭和まで100年以上に渡る援助をしていたという事が書かれていた。江戸時代にこのような人がいたとは、驚きで畏れ入った。


古峯神社の鳥居を抜けると、セクション8のゴールが間近だ。


秋山郷結東温泉「かたくりの宿」に到着する。


「かたくりの宿」は、旧中津峡小学校を宿泊施設としてリノベーションし、1993年にオープンしたそうだ。この日は、「秘境秋山郷のマタギ展」が開催中だった。壁に書かれたマタギの言葉が興味深かった。


参考1.信越トレイル・セクション8の高低図&コースタイム


参考2.信越トレイル・セクション8のコースマップ


「2022第3回信越トレイル:セクション9」に続く。

2022第3回信越トレイル:セクション7

2022-08-08 22:30:03 | 信越トレイル
8月の第1週から第3回となる信越トレイルの再開である。前の日から戸狩温泉の民宿に宿泊して、翌朝セクション7の入り口となる松之山口の駐車場まで送ってもらう。


天水越のブナ林の中を登っていく。




関田山脈のブナ林はこれで見納めとなる。


信越トレイルの分岐に出ると、前回からの続きとなる。しばらくは急坂が続くが、やがてピークを越えると徐々に下り坂となり、新潟県津南町方面の展望が開けてきた。


里山出合に出ると、登山道は終わり林道となる。この日のゴールとなる森宮野原駅までは、残り3.6キロだ。


その後、舗装道路に変わり田園地帯の中を進む。


所々に大きなため池があり、水田に送る水が蓄えられている。


日差しが強くなり、アスファルトからの照り返しや直射日光を避けるため、女性陣は日傘を差すことになった。


水田の稲穂や里山の木々の緑が眩しいくらいだ。


下の方に国道が見えてきたと思ったら、健森田神社の前に出た。


そして、その先にあるのは、ゴールとなる森宮野原駅だ。セクション7は2時間ちょっとで終わりだ。


森宮野原駅には、最高積雪7.85mの標柱が立っている。昭和20年の豪雪の際に、森宮野原駅付近で最高積雪7.85mを記録した。積雪量は当時としては日本一で、その凄さを示す標柱が立てられたそうだ。当時、2階建ての家の屋根まで雪が積もり、電柱の電線をまたぐことができたと言う。現在でもJRの管轄する駅においては日本一の積雪記録となっているらしい。 


あまりにも早くゴールしてしまったので、森宮野原駅近くの栄村震災復興祈念館「絆」に立ち寄る。


東日本大震災の翌日、2011年3月12日未明、長野・新潟県境付近を震源とする、マグニチュード6.7、震度6強の地震が栄村を直撃し、激しい揺れが村を襲った。暗闇の中で家屋は傾き、道路は寸断され、村の8割の人々が避難を強いられたが、震災直後から多くの人々によるボランティアや義援金、物資の支援があり、復旧も早い段階で行うことができたという。


今後もこの未曾有の災害を忘れることなく、後世に伝えていくために記録を残し防災意識をいつも持ち続けていけるよう、復旧・復興の記録の展示室を整備したそうだ。東日本大震災の影響は、遠く離れた栄村にも甚大な被害を及ぼしていたことは、あまりよく知らなかったが、この施設を見て改めて大変な災害だったのだという事を思い知らされた。


栄村震災復興祈念館「絆」を出るとお昼だ。駅前の八百屋で美味しそうなスイカを売っていたので、冷えたスイカを買ってみんなで分け合う。




近くの道の駅「信越さかえ」まで歩き、屋根のある休憩所でランチ休憩する。




まだ時間は十分あるので、信越トレイルからは外れ、道の駅「信越さかえ」から3キロほど先にある栄村歴史文化館「こらっせ」まで足を延ばす。「こらっせ」は、旧東部小学校志久見分校を改修し設立された施設だ。栄村の伝統技術や文化を残し、伝え、発展させ、村らしさを究めることを目標にしているという。


2011年の震災で一度は失いかけた村の歴史や文化を保管・展示しており、常駐している職員の方からいろいろ説明を聞くことが出来た。


一通り説明を聞き終わる頃、民宿のお迎えのバスが到着して、宿に帰ることができた。

参考1.信越トレイル・セクション7の高低図&コースタイム


参考2.信越トレイル・セクション7のコースマップ


「2022第3回信越トレイル:セクション8」に続く。