24日(金)の夜から25日(土)まで、しんしんさんの呼びかけによる「夢街道90キロ」のマラニックに参加してきた。このマラニックは、浜松市の山間部北遠(ほくえん)をこよなく愛す「しんしん」さんの呼びかけで始まった。平成の大合併で、浜松市は太平洋から長野県境までの広域な面積を持つ自治体となった。そして、浜松市最北端の水窪町と背中合わせの長野県南信濃村の遠山郷まで、北遠地域を通って駈け抜こうという趣旨で始まったものだ。車では越えることのできない青崩峠から秘湯と秘境の里・遠山郷にたどり着いた時、どんなロマンを感じるか楽しみであった。
20時半、浜松駅南口に集まったのは20名ほどのマラニック愛好者ばかりだ。お馴染みの顔ばかりで、和気わいわいの雰囲気である。当初は、エイド、サポートなしの自己完結型のマラニックのつもりでいたが、急遽「遠山郷」観光協会のKさんが車でサポートしてくれることになり、内心ホッとする。それでも何でもかんでも頼るつもりはなく着替えだけ預かってもらうことにした。背中の荷物が少し軽くなって助かった。
浜松駅南口でワイワイやっているうちに、スタート時間の21時を過ぎていた。急いでスタート前の集合写真を撮る。スタートは5分遅れの21:05である。
浜松駅の中を集団で走り出す。知らない人たちが見たら、きっと異様な集団に思われただろう。
北口に抜け、浜松駅前の繁華街を抜けザザシティの角から国道152号バイパスをまっすぐ北上する。浜松市役所、浜松城公園前を通りどんどん進む。夜だからヘッドランプで前方を照らし、背中にはチカチカライトを点滅させながら進む。浜北区くらいまでは、車の通行量もあり街灯もそれなりに点いているのでそれほど寂しくない。だが、旧152号に入ってからは、車も少なくなりランナーもバラけて一人旅になってしまった。私は、ナイトランには慣れているので、それほど寂しいという事はなかった。むしろ、自分のペースで走れる一人旅のほうが楽だ。
23:50 19キロ地点の西鹿島の鹿島橋に到着する。前後には誰も見えない。真っ暗な中で橋の写真を撮る。
23キロあたりで最後のコンビニに到着する。この先にはまったくコンビニがないので、まず腹ごしらえをすることにした。あっためたドリアとビールをかき込んで少し休憩する。コンビニでは一人のランナーが休んでいたが、しばらくして行ってしまったのでまた一人旅が続く。船明ダムを抜け、天竜川東岸を更に北上する。トンネルを二つ越え、道の駅「花桃の里」に着くとKさんがエイドを開いていてくれた。そして、とっくに先に行ってしまっていたと思っていた「うっちゃん」がいたのでビックリした。その後は、「うっちゃん」やNさんと前後しながら、真っ暗な道を走り続けた。
2:25 秋葉ダムの灯りが見えてきた。秋葉ダムの上にある広場が最初のチェックポイントである。灯りに引き寄せられるように先を急いだ。
秋葉ダムのチェックポイントの表を見ると2名しか記入がなかった。私が3番目なのだが、どう見てもそれほど早い気がしない。書き忘れて行ってしまった人がいたのか、何だか府に落ちなかった。後で聞いたら、先行組の中で道を間違えた人が数名いたようで、いつの間にか追い越していたようだ。「うっちゃん」やNさんと少し離れてしまっていたので、ベンチに腰掛け、おにぎりとスポーツドリンクを飲みながら休憩する。
秋葉ダムからは、東岸の道路を走る。車はほとんど通らず、家や街灯もなく真っ暗な道だ。時折、ホタルが乱舞していたり、カエルの泣き声がしたりと自然に囲まれたコースだが、一人では心細くなる道かもしれない。途中の吊橋で天竜川を横断して、西岸に戻る。2時間ほど走っているうちに、空が白み始めてきた。次のチェックポイントの手前の目印になる赤い橋が見えたときはホッとした。大輪橋である。時間は4:29、距離にして51キロ地点だ。もう既に全コースの半分以上を走っている勘定だ。
橋を渡った所のトイレ前でしばらく休憩する。冷たいコーラが喉に染み渡る。通りすがりのトラックのお兄さんに訳を話すと「頑張れ」と応援される。チェックポイントは更に2キロ先だが、Iさんがエイドをしてくれていると聞いていたので、一がんばりして先を急いだ。2番目のチェックポイントは西渡の信号機前だ。5:08 53キロのCP2に到着する。空は明るくなったが、うす曇で日射しがないので厳しい暑さは感じられない。このままの天気で行って欲しいと願った。Iさんのエイドで、ビールとお汁粉を頂き、左折して国道152号から外れる。
そのまま進むと佐久間町に行ってしまうのだが、今回は、塩の道を走る。塩の道とは、人間が生きていくのに必要な塩をはじめとする海産物などを、内陸に運ぶのに使われた道のことをいう。西渡のバス停横から、秋葉道・塩の道が始まる。「そば団子で山姥退治」の看板が目印だ。
集落を抜け更に先に進むと、急な坂や、狭く踏面の小さな階段が続く「八丁坂」に入っていく。この八丁坂を通ることで、昔の人たちの交易の労苦と生活の匂いを垣間見ることができた。私たちは、大した荷物を背負っていないのに坂を上るだけで息が切れていたが、塩の道を歩いたかつての人々は、きっと大荷物を背負っていたのだろう。
八丁坂を上り終えると峠らしきところに出た。頭上にあるホースに「夢街道90km」の垂れ幕が下げられていた。しんしんさんがこんな場所にも吊るしてくれたのだろう。
八丁坂は、ずっと歩きだったがここから下りなのでやっと走ることが出来る。その後は、「間庄」「立原」「横吹」という村々を抜けていく。水窪川の橋の袂に着いた所で本来なら左折するのだが、崖崩れのため「通行止め」となっている。時間は、6:38。
水窪川の橋の袂を右折する。少し大回りとなるが国道152号線の「相月トンネル」入口に出る。ここからは国道なので道に迷う心配はない。しばらくは、水窪の中心街なので店や住宅も多い。水窪の道の駅でも、しばらく休憩しておにぎりを食べる。途中まで一緒だった「うっちゃん」はいつの間にか、先に行ってしまった。もう追いつけない。
水窪の街中を抜けると、あとはひたすら上り坂を進む。最後のチェックポイント「雑貨屋・はくりや」までは、かなりある。もうほとんど走る気力がないので歩き続ける。やっとのことで「はくりや」に到着したのは9:13だった。距離は74キロである。残り16キロではあるが、単なる16キロではない。ここから標高差500mほどを上がらなければならない。今回の一番の難所「青崩峠」を越えるからだ。「はくりや」では冷たいトマトとキュウリを頂く。塩をつけたトマトとキュウリは一番のご馳走である。
そして、更に上ること約2キロ。草木トンネル手前で青崩峠の分岐にでる。看板では距離が4キロで時間にすると10分となっているが、これは車の場合だ。人間の足では、相当かかるはずである。この先も歩きが続くことになる。
夢街道90キロマラニック(後半)に続く。