とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024はが路ふれあいマラソンツアー:2日目マラソン

2024-12-20 17:32:59 | マラソン
全国で最も多くいちごを生産している「いちご王国・栃木」の中でも、「はが路」はその栃木県内でもダントツ1位の生産量を誇る地域だ。はが路ふれあいマラソンは、真岡市、益子町、芳賀町、茂木町、市貝町の1市4町を巡る周回コースとなり、エイドではイチゴがたくさん出るのだろうと期待して参加した。

コースと高低図は以下の通り(大会公式HPより)




スタート前の会場の様子。


号砲が鳴り、いよいよスタートだ。


とりあえず、完走だけでもしたいとスタートしたが、今ひとつ調子が出ない。第1、第2、第3関門までは何とか通過できたが、35キロのエイドでトイレに寄ったせいなのか、36キロの第4関門に2分ほど間に合わず、あえなく足止めとなってしまった。自分では、残りの距離と自分のペースを考え、ギリギリ時間内にゴールできると思っていたので、かなりショックだった。そんなわけで、途中でカメラを出す余裕もなく、コースの写真も無い。

バスで、ゴール地点につくと、ちょうど仲間がゴールしたところだった。


大会終了直後は、もうフルマラソンは諦めないといけないかなと思っていたが、日にちが経つと、気持ちを切り替えて、再チャレンジしてみようかなという気持ちにもなってきた。

「2024はが路ふれあいマラソンツアー:3日目真岡市観光」に続く。

2024松代トレイルツアー:2日目松代ラウンドトレイル

2024-11-13 18:13:45 | マラソン
トレランの大会は、ロングが36キロで制限時間が8時間、ショートが13キロで制限時間は5時間だ。とてもロングは走れそうもないので、ショートにエントリーした。スタートは、10:30なので朝もゆっくり出発できる。

10時前に松代城跡の駐車場に着き、受付に向かう。受付は、ラン友のSさんがいてくれたので心強い。


スタート地点は、松代城跡から歩いて800mの象山神社となる。スタート地点で武者姿のスタッフと記念写真を撮る。


一緒に走る仲間たちとも集合写真。


10:30。ショートのランナーが一斉にスタートする。参加者は300名弱だという。


佐久間象山の像の横を通り抜けて、象山神社を出ていく。


住宅の前を抜けると、象山の登山口に入る。若いランナーたちは、坂をもろともせずに駆け上がっていくが、私は息が切れてとても走ってはいけなくなる。


あとは、標高差500mの登坂が続く。特に最後のキツイ上りは心臓がバクバクして何度も休み休みして登っていく。その間に多くのランナーに抜かれていった。


キツイ上りがやっと終わり、紅葉の尾根道を進む。


木々が途切れた場所からは、戸隠山、高妻山、黒姫山などがくっきり見える。


11:40。やっとこのコースの最高点である鞍骨山798mに到着する。かつては山頂に鞍骨城が築かれ、武田信玄と上杉謙信の川中島合戦の戦局に 大きなかかわりがあったという。天正十二年武田滅亡後、上杉軍がこの山一帯を制圧し、鞍骨城には直江兼続が入城したと言われている。


12時過ぎ、天城山(てしろさん)694mに到着。この山頂にもかつては天城城があり、鞍骨城の出城だったようだ。また、山頂には、坂山古墳ともいわれる石室の跡が残っている。


天城山を過ぎると、広い林道となりグングン下っていく。登坂でだいぶタイムをロスしたので頑張って走り、6キロ地点のエイドに到着する。


エイドからも林道が続くが、少しずつ登坂となっており、思ったより走れない。何とか10キロ地点を通過するとあと3キロ。


残り2キロあたりから登山道となり、最後の山登りだ。象山山頂を過ぎると、最後の下りだ。


象山神社の紅葉と青空がキレイなので思わずカメラを向ける。


あとは平たんな歩道となり、松代城跡が見えるとホッとする。


ゴールが見えた。


3時間ちょっとで無事ゴール。舗装道路を走るフルマラソンと比べるとトレランはさすがにハードだ。


他のメンバーも2時間半~3時間半の間で全員完走。しかし、トップは1時間ちょっとでゴールしていたらしい。久しぶりのトレランは、体力の衰えを痛感させられたが、好天に恵まれ、山が良く見えて嬉しかった。

参考1.松代ラウンドトレイル(ショート)の高低図&コースタイム


参考2.松代ラウンドトレイル(ショート)のコースマップ


「2024松代トレイルツアー:2日目地下壕観光」に続く。

2024小布施見にマラソン

2024-07-16 18:55:20 | マラソン
先週末は、長野県の小布施町で開かれた「小布施見にマラソン」に参加してきた。7月なんて暑くてとても走れないと敬遠してきた大会だったが、参加した人からは、かなり高評価で有名な大会だった。特にハーフで制限時間5時間と言うことで、歩いてでも完走できるんじゃないか、暑い時期の練習と思えばいいじゃないかと考え直して、夫婦でエントリーした次第だ。

公式HPの大会コンセプトをみると、

海の日!! 海のない小布施に 波をつくる。ONの道より、OFFの道。
この大会は、速さを競うだけではなく、時には立ち止まり、小布施を見て、楽しみながら走る見に(ミニ)マラソンです。 「土手を行く 野道を駆ける 路地を走る」というコンセプトでコースをめぐりながら、小布施の町の人とランナーのみなさん、 ボランティアのご縁をつなぐ「縁走=えんそう」を楽しみましょう。

と書かれている。大会が終わり、あらためてこのコンセプトがよく分かった。まさに小布施の街を見て、楽しみ、止まったり、走ったりと、人との縁を楽しみながら小布施を半日満喫した。

まず、コースマップを見てみる。小布施はそんなに大きな街ではないが、年間に町人口の100倍、120万人をお迎えする有名な観光地でもある。コースは、ONとなるおもての道だけでなく、土手や野道、路地といったOFFの道も含めたふだん着の小布施に浸りながら走る21.0975キロなのだ。そして、エイドは21キロの間に15ヶ所もあり、1.5キロも走ればすぐに次にエイドになるという。真面目に走っていたら、美味しいものをゆっくり味わうことができないのだ。


まずはスタートからの様子を紹介する。
8000人ものランナーがコースを埋め尽くし、スタートの号砲が鳴ると、徐々に前に進んでいく。この大会は仮装で走ることが奨励されており、周りには仮装ランナーが数多くいる。沿道で応援してくれているのは、西城秀樹のYMCAをチームで歌っている人たち。ゼッケンも付けているので最後尾から追いかけてくるのだろう。


後のブロックに入っていたので、15分くらいかかって、やっとスタートゲートまでたどり着いた。沿道で応援してくれている仮装ランナーに気を取られ、なかなか前に進まなかったのだ。


走り出してすぐにだが、ふと横を見ると、「千と千尋の神隠し」に出てきた湯婆婆がいた。こちらは、ベビーカーに乗っかっている人形で、後に銭婆の姿の人間が押して走っていたのだ。まあ、こんな手の込んだ仮装は凄いなぁと感心する。


果樹園の中を通り、山に向かっていく。朝6時スタートなので、日が当たると水蒸気が湧き出している。


田んぼのあぜ道沿いには、色とりどりのランナーの列が途切れることなく続いている。


第2エイドでは、地元の小布施牛乳が振る舞われる。冷たくて美味しく、お代わりもしてしまう。


牛乳と共にキャラメルもいただく。


途中ランナーが何人か立ち止まってどこかを見ていた。何だろうと思って、みんなが見ている方向を見ると、若い女の子が、張り巡らせられている1本のロープの上で、ジャンプをするなどの曲芸技を見せてくれていた。


5.4キロ地点まで来ると、小布施見にマラソン大会のコース最高地点だ。左手に見えてくるのは夏でもボードのジャンプ練習ができるジャンプ台だ。会場は音楽も流れてボーダーが気持ちよさそうにジャンプしていて、ジャンプする毎に歓声が上がっていた。


エイドで甘酸っぱいアンズを食べて、果樹園の中を進む。


第4エイドでは、甘さ広がる桃のジェラートだ。


バンドの生演奏は、力が沸く。


恐竜さんは、見た目は愛嬌があるが、中に入っている人は暑くて大変だろう。


民家の畑の間を通る。


小布施千年の森を過ぎ細い畑道を抜けると玄照寺がある。玄照寺の三門(山門)は貴重な文化財として町宝に指定されているという。鎌倉時代の中国から伝来した唐様建築で、木割が細く、屋根の傾斜が急で装飾が細部にまで広がる荘厳な建築物だ。列が続いているので付いていくと、みんなお詣りに寄っているのだった。


第6エイドでは、長野名物の野沢菜が振る舞われる。


第7エイドでは、長野が主要生産地である甘酸っぱいネクタリンが出た。


そして、ありがたいことに袋入りの氷までいただく。曇り空とは言え、やはり暑いのに変わりは無い。首や太股、腕に何度も当てながら走る。溶けてきたら、封を切って飲んだり体に掛けることもできる。


第8エイドでは、カロリーメイトゼリーでエネルギーを補給する。


途中、アラビアンナイトの扮装のチームに出会う。記念写真を撮って楽しそうだ。


フラダンスチームも応援してくれている。


私設エイドでは、激辛麻辣ピーナツをいただく。食べてしばらくすると、辛さがぐっときた。


第10エイドでは、ひんやり冷たいフルーツクレープだ。


コース沿いの草原では、牛がのんびり草を食べている。


あと5キロ地点まで来た。堤防に上がると千曲川の桜堤の道だ。


第12エイドでアイスをいただく。アイスを食べながら、歩いて河川敷まで下りる。


河川敷では、長いアルペンホルンの演奏。


第14エイドでは、ブルーベリーをもらい、最後のひと頑張りだ。このあたりから、ポツポツ雨が降り始めてきた。


そじて、無事ゴール地点の小布施総合公園に到着する。タイムは、3時間45分だが、スタート地点まで15分かかったので、ネットタイムは3時間30分くらいだった。


ゴール会場で飲んだ生ビール(有料)は特に美味しかった。他にもスイカや蕎麦なども振る舞われ、まさにランナーのお祭りといっていいくらいの楽しい大会だった。遅れてゴールした妻とも合流し、駐車場へのシャトルバスにすぐ乗ることが出来、ストレス無く帰ることができたのも良かった。暑い夏だから、朝早くスタートして、エイドを楽しみながら歩いたり走ったりで、お昼前には終われるというのがいい。友だちを誘って大勢で出てみたくなるお薦めの大会の一つになった。

2024飛鳥ハーフマラソン

2024-03-13 21:21:31 | マラソン
1週間前にフルマラソンを走ったばかりだったが、飛鳥ハーフマラソンにもエントリーしていた。2022年の第1回に参加して以来、2回目の参加だ。明日香村内の史跡や遺跡周辺をくまなく回る面白いコースだが、アップダウンが厳しく、結構ハードな大会である。ただ、その分制限時間も3時間半と大分緩いので、完走率は95%以上と結構高い。ちなみにコースマップは以下の通りだ。

           (飛鳥ハーフマラソン大会公式HPより)

スタートは、キトラ古墳前の丘からだ。丘陵内の通路に数珠つなぎの状態でランナーが整列している。


スタートは午前9時だが、後方のブロックにいたので、スタート地点を通過するまでには数分を要した。


スタート地点には、ゲストランナーのワイナイナさんや川内優輝さんが声援を送ってくれている。彼らは、最後尾からランナーを追いかけてあっという間に前に飛び出していった。


最初の折り返し地点。飛鳥寺が近い。


沿道では、黄、赤、青の衣装で揃えた可愛い園児たちが応援してくれている。


甘樫の丘前を通過。


飛鳥水落遺跡前のエイドを通過。斉明女帝の息子である中大兄皇子が造った我が国初の漏刻(水時計)の建物跡だ。


最初の給食エイドで出たのは、あすかルビーのくずアイス。明日香村の名産イチゴを葛で固めて冷凍したアイスだ。ハーフマラソンでこれだけの給食が出るのはちょっと贅沢ともいえる。


小学生たちの応援を浴びながら、石舞台古墳方面に向かう。


コースの途中から、石舞台古墳が見える。


この大会の最難関である激坂の上りに入る。


激坂の折り返し地点前にあるエイドでは、ノンアル甘酒が提供された。


折り返し地点に到着。長かった上りが終わり、ここから下りとなりやっと走って行ける。


太鼓の応援に元気づけられる。


後半の上り坂を進むランナーの列が見えるが、そこまで行けるのはまだまだ先であるだ。


飛鳥川の上に掛け渡された男綱を見ながら走る。豊作と子孫繫栄を願い、川下からの災厄や疫病を封じる意味合いがあるとされる奥飛鳥のシンボルだ。


最後の給食エイドでは、古代米柿の葉寿司が出た。通常、ハーフマラソンでは、飲み物と簡単な飴やチョコくらいしか出ないのだが、これだけの給食が提供される大会は他には聞いたことがない。


しばらく前に見えていた後半の上り坂にやっとたどり着いたが、さすがにもう歩くしかない。


坂道の途中に見える菜の花が美しい。


坂道の上からは、起伏に富んだ明日香村の景色がよく見える。桜も咲いている。


文武天皇陵が見えてきた。


高松塚古墳前を通過。


高松塚古墳公園を抜けると残り1キロ。ゴールまでの緩い上り坂が、まったく走れない。1週間前のフルマラソンの疲れが残っていたのか、ラストスパートもできずなんとか無事にゴールする。


フィニッシュ後には、あすかルビー🍓を1ついただく。これが甘くて美味しかった。フィニッシュ会場には、模擬店がたくさんあり、空腹を満たした後、レンタサイクルで石舞台古墳に寄りながら、宿泊先の宿に戻り、帰路についた。明日香村は、坂が多いのでレンタサイクルに乗るなら電動が楽だというのが一番の収穫だった。

2024岡の里名水マラソンツアー:2日目岡の里名水マラソン

2024-03-06 22:22:58 | マラソン
マラソン当日の朝となった。スタート時間は10時という事で、朝は比較的のんびりだ。スタート会場は宿から歩いて15分くらいなので、朝食もしっかりとって8時半過ぎに会場となる竹田市総合運動公園に向かう。

着替えなどを荷物置き場に置き、グランドの方に出ると、開会式が始まっていた。参加者は、全種目入れても1000人程度と、のんびりした風景だ。


スタート前に、表彰台の上に乗って写真を撮り、表彰者の気分だけ味わう。


フルマラソンスタート時間直前となり、スタート地点前にランナーが集まる。


因みにフルマラソンのコースは、下記の通りだ(大会公式HPより)。


10時ちょうどにスタートとなり、まずはトラックを1周する。


スタート地点からすぐに急坂の下りとなるが、すぐに緩やかな上りになって山の方に向かっていく。10キロほど走ると、石積みの歴史のありそうな橋が見えてきた。正式名称は「明正井路(めいせいいろ)第一拱石橋」といい、1919年(大正8年)に竣工され、連数(6連)、橋の長さ共に日本一を誇る石橋水路橋だ。現在も水路には水を湛えているそうで、美しい6つのアーチが山裾の川から車道までを跨いでかかる堂々とした姿が印象的だ。


明正井路第一拱石橋を過ぎると最初の分岐となり、神原渓谷(こうばるけいこく)沿いの道に入る。


神原渓谷は、祖母山を源流とする神原川の渓谷で、約9kmにわたって渕あり瀬あり滝ありの変化に富んだ景観が続く。


15キロ地点で最初の折り返しとなる。


今まで徐々に登ってきたので、折り返し後は、下り坂となり、気持ちよく走っていける。


すぐにエイドがあり、タイムを稼ぐ前に水分と食料を補給していく。


21キロ地点で、もう一つの折り返しコースの分岐となり、26キロ地点までの上り坂を進む。2番目の折り返し地点が見えたときはホッとする。これで、残りはほとんどが下り坂だ。


あとは、写真を撮る余裕もなく、ひたすらゴールを目指し走る。ゴール直前の残り1キロ過ぎから激坂の上りとなるが、なんとかクリアして、竹田市総合運動公園のゴールにたどり着いた。走る前は、時間内にゴールできるか不安だったが、走ってみれば最近のタイムと比べると意外と早くゴールできたので自分でもビックリ。


会場を出て宿に向かうが、帰り道にある竹田市歴史文化館・由学館の奥にある国指定史跡「旧竹田荘」に寄っていく。竹田荘(ちくでんそう)は、江戸時代の文人画家、田能村竹田の住まいであった武家屋敷だ。


竹田荘右手の階段を登っていく。


階段を上った先にあるのが画聖堂で、田能村竹田の作品が展示されている。


一番奥には、田能村竹田の像が祀られている。


竹田市歴史文化館では、竹田市の歴史などがいろいろ紹介されていたが、一番興味をそそられたのが、前日立ち寄った岡城跡のジオラマだった。


そして、もう一つ立ち寄ったのが、愛染堂だ。城下町竹田で現存する最も古い建物で、寛永12年(1635)に二代藩主中川久盛により建立された。本尊の愛染明王は恋愛成就の願掛けで有名だというが、竹田市のポスターではこの石段がいい雰囲気で撮られていた。


「2024岡の里名水マラソンツアー:3日目別府観光」に続く。

2024奄美ヨーリヨーリランツアー:2日目

2024-02-09 21:57:45 | マラソン
ウルトラマラソン当日。我々の仲間たちは全員50キロに参加予定だ。スタート前に、記念写真を撮る。


ばしゃ山村の入り口前で、スタートの合図を待つランナーたち。


午前6時。1分ごとの時差スタートで50キロのランナーが走りだす。5分後には、100キロのランナーがスタートする。全種目で200人ほどの参加者だという。


夜中まで雨が降っていたので、スタート時にもパラパラと小雨模様だったが、次第に雨は上がる予定だ。


午前7時頃、東の空が明るくなってきた。


7時過ぎ、水平線から日が昇る。雲は多いが、雨の心配はなさそうだ。


彼岸桜の並木道の横を通る。


浜辺沿いの道を走る。




最初のエイド「あやまる岬」に到着する。スタートから14.3キロ地点となり、いささかお腹が空いていた。スタートから最初のエイドまで距離が長いので、食料を持参していったので何とか持ちこたえたが、できればその中間あたりでもエイドがあるとよかった。


次のエイドは26キロ地点となり、これまた遠い。気温も高く、飲み物にも事欠きそうなので自販機で飲み物を買っておく。最初からアップダウンが小刻みにあり、結構きつかったが、下り坂があると嬉しい。


須野ダムの周回コースに入る。須野ダムは、彼岸桜の名所として奄美では有名な場所らしい。




ダム湖をほぼ一周する。


2番目のエイド「笠利岬」に到着する。26キロ地点となり、ほぼ半分まで来たことになる。ここには、夢をかなえる「カメ」さんがいる。この地には古来より海の彼方には恵をもたらす神の国(龍宮)があり、人々に幸せをもたらすと信じられてきた『ニライカナイ伝説』があったそうだ。この伝説が大和の国に伝わり、浦島伝説として日本中に知れ渡ったといわれている。奄美大島最北端のこの地には亀にまつわる伝説も残っていて、そのことから神の国(龍宮)の使者であると信じられているという。




奥に見えるのが、笠利岬の灯台。


ここでもお腹が空いていたので、クリームパンをペロリといただく。


海を見ながら、後続のランナーたちともすれ違いつつ笠利岬を折り返す。


長い上り坂が続く。上りは、走れないので早歩きだ。


再び海岸沿いのコースに入ってきた。


12時を過ぎたころ、急に雲が晴れ、日が当たってきた。今までどんよりした空が、急に明るくなり日差しも強くなってきた。そして、海の色がエメラルドグリーンの美しい色に変わってきた。


打田原ビーチは、いかにも奄美大島らしい景色だ。そして、この海は東シナ海。


3番目のエイド「まーぐん広場」を過ぎると、残り13キロほど。制限時間は8時間半なので、歩いてでもゴールできる。見知らぬランナーたちとも話をしながら、慌てずにゴールを目指す。

7時間40分ほどで、ばしゃ山に無事ゴール。先にゴールしていた仲間たちとも会って記念撮影。




その後、他の仲間たちも続々とゴール。時間外になっても最後まであきらめず、16時過ぎには全員が無事完走する。

100キロではゴール後のダメージは大きいが、50キロなら余裕がある。全員完走後のビールは一際おいしかった。


「2024奄美ヨーリヨーリランツアー:3日目」に続く。

2023青島太平洋マラソンツアー:2日目マラソン本番

2023-12-14 21:36:14 | マラソン
マラソン当日の朝、ホテルの朝食は6時からとなり、7時にホテルを出る。泊まったホテルは、スタート会場に近く歩いて20分くらいと言うことで、ホテルの裏から会場に向かう。


この時期、日の出の時刻は7時くらいなので、青島方面の空が明るくなってきていた。


青島から宮崎県総合運動公園内に続く日向灘の海岸線につくられた遊歩道「トロピカルロード」は、青島太平洋マラソンの終盤のコースと重なる。トロピカルブリッジを渡れば、宮崎県総合運動公園に入る。


手荷物を預け、スタートを待つブロックで待機する。申告ゴールタイムが遅い方だから、最後尾のブロックだが、このブロックの先頭は、はるか先だ。その後も同じブロックのランナーが集まり続け、グランドをほぼ一周するくらい集まっていた。


9時のスタートの号砲が聞こえても、我々のブロックはなかなか動かない、5分くらい経つと徐々に動き始め、スタートライン通過前から走り出していた。


ここで、マラソンコースを紹介しておこう。宮崎県総合運動公園スタート~宮崎市内中心部~宮崎神宮(同コース)~トロピカルロード~宮崎県総合運動公園フィニッシュとなる、ほとんどフラットな走りやすいコースだ。


スタートラインを通過するまで10分ほどかかり、ここから正式に自分のタイムを測定する。参加ランナーは1万人を超えているというから、このくらいのタイムロスは仕方ない。制限時間も6時間20分というから、最後尾のブロックのタイムロスも考慮されているのだろう。


大会の役員の方たちが声援を送っている。


サンマリンスタジアム宮崎の前を通過して、宮崎県総合運動公園の外に出て行く。


信号を過ぎると、国道に入る。


国道沿いには、宮崎県の木であるフェニックスが立ち並んでいる。まさに南国の風景だ。


5キロほど走った頃、後方から走ってきたゲストランナーの谷川真理さんに軽く追い抜かれる。


10キロを過ぎた頃、反対車線から白バイが来るなと思ったら、先頭ランナーが走ってきた。何というスピードだろう。


宮崎市内の中心部に入ってきた。しばらく前までは、田園地帯だったが、いよいよ都会らしい場所となり風景が一変する。


宮崎の母なる川、大淀川を渡る。


途中から宮崎県庁前のクス並木通りを往復する。このマラソンでは、最も多くのランナーとすれ違える場所だ。4つのラインに別れ、早いランナーから遅いランナーが何度もすれ違う。


再び、国道に入り、宮崎神宮の一の鳥居を通過する。


宮崎神宮前で折り返し、元来た道に戻る。


再び宮崎県庁前を通過する。


32キロで宮崎県総合運動公園に入るが、ゴールではない。あと10キロを走って宮崎県総合運動公園に戻ってこなければいけないという精神的には辛いコース設定だ。青島神宮の入り口まで来て37キロ。ここのエイドのマンゴーゼリーを食べて、最後の踏ん張りだ。


風光明媚な日向灘の海岸線につくられた遊歩道「トロピカルロード」を走る。


トロピカルブリッジを渡ればゴールまではあと2キロ。


ゴールのフィニッシュゲートが見えてきた。


制限時間内に無事ゴール。最高気温25℃という異常な暑さの中、何とかゴールできてホントによかった。


他のメンバーは、すでにゴールしたとの連絡があり、ホテルまで歩いて戻る。2キロ近く歩き、いいクーリングダウンになった。2週間前は、極寒のつくばマラソンを走ったばかりだが、宮崎では思いのほかの高温の一日となり、ペースは大幅にダウンしたものの、ボランティアの高校生の応援は素晴らしく、晴天で南国の宮崎を満喫できた。

「2023青島太平洋マラソンツアー:3日目」に続く。

2023つくばマラソンツアー:2日目つくばマラソン

2023-11-29 22:25:59 | マラソン
マラソンを走るようになって、どんな大会に出ていたか確認してみたら、全国47都道府県のうち37県の大会を走っていたことが分かった。ここまで来ると、全国47都道府県のフルマラソン(フル以上の大会も含む)すべてを完走したいと思うようになり、今回のつくばマラソンは38県目の大会となる。はじめての茨城県の大会を有名なつくばマラソンに選んだのは、そんな理由もあった。

つくばマラソンは、「マラソンを科学する」という大会テーマのもと、マラソンを様々な角度から考え、「科学する」というフレームで毎年「進化してゆくマラソン大会」を目指しているという。さすが学術研究都市らしい視点で開催されているのも頷ける。

コースは、広い筑波大学の構内をスタートして、つくば市内の田園地帯をぐるっと回り、ふたたび大学構内に戻ってくる周回コースだ。


この日の天気は、急な寒波に襲われ前日とは打って変わり今にも雪が降りそうな肌寒い一日となっていた。もうタイムなどを競う歳でもないので、最後尾のブロックに入り、スタート時間を待つ。すぐ目の前には。5時間のペースメーカーが立っているが、とても追いつけないだろう。大会の制限時間は6時間なので、6時間以内に帰ってこれば大丈夫だ。


9時スタートだが、ブロックごとに5分ごとのウェーブスタートなので、9時20分のスタートとなった。


スタート後、大学構内を出るとずっと田園地帯となり、大きなビルなどはなく応援もまばらとなる。その後、霧雨のような状態となり写真を撮る気にもならず、ひたすらゴールを目指す。

参加者は1万人という事だが、ウェーブスタートなので、それほどスタート時の渋滞は気にならず、すぐに.マイペースで走ることが出来た。また、エイドはそれほど珍しいものが出るわけでもないが、遅いランナーには何もないという事もなく、そこそこ食べられるものはあり、ガス欠になるという事はなかった。ただ、あんなに寒い日なのに、冷凍ブルーベリーや冷凍クレ-プが出たのには驚いた。ビニール袋をかぶり、雨除け寒さ除けをしていたので、それほど体が冷えることもなく冷たいものも体が受け入れてくれたので問題ない。それからコース内のトイレが思ったより込み合うこともなく、すぐ利用できたのが良かった。

残り5キロくらいから大学構内に入ると、赤く色づいた紅葉の並木道が素晴らしい。筑波大学の名物スポットといってもいいだろう。こんな自然豊かなキャンパスで勉学に励む学生たちがうらやましい。


また、道路のところどころに緑色の盛り上がった場所がある。広くて長い道で車がスピードを出しすぎないようあえて段差を作っているらしい。ランナーにとっては、あまりうれしくない段差なので段差のある所では、スタッフが段差に注意と呼び掛けている。


広い構内をぐるっと回ると、陸上競技場のゴールが見えてきた。周りは、ほとんど歩いているランナーだらけだったが、最後までは走りぬこうと遅いながらも無事時間内にゴール。38県目の茨城県のマラソンを無事完走することが出来た。


ゴールの先にいたのは、日本テレビが放送している天気予報のマスコットキャラクターである“そらジロー”だ。


一緒に行った仲間たちもしばらく前にゴールしたが、寒いので先にバスに乗って帰るという連絡が入り、私もいそいで帰りのシャトルバスに乗りホテルに帰った。もう一泊して、翌日は百名山の筑波山に登る予定だ。

「2023つくばマラソンツアー:3日目筑波山」に続く。

2023弘前・白神アップルマラソン

2023-10-04 22:52:59 | マラソン
全国のマラソン大会制覇を目指し、10月は青森県の弘前・白神アップルマラソンに参加してきた。弘前市内をスタートして、津軽の母なる岩木川や百名山の岩木山、そして世界遺産白神山地を望む自然豊かなコースとなっている。また、生産量日本一を誇る弘前市だけあって、リンゴ園の中をリンゴの香りに包まれて走ることができるのが特徴だ。

まずは、大会前日に弘前市内入りして、弘前城などを見学した後、駅前のホテルに泊まる。

今回は、メンバーが10人となり、シャトルバスで弘前城公園前の会場に入る。


午前9時。青空の元、スタートする。結構気温も高く暑くなっていた。


スターターは、青森県出身の福士加代子さんだ。


工事用の高所作業車からヘルメット姿のカメラマンが、スタートの様子を撮影している。


しばらくは、岩木山を正面に眺めながら走っていく。ただ、岩木山の上空には雲が立ち込めてきており、嫌な予感が。


沿道には、手を出せばすぐに届きそうな場所に、リンゴがたわわに実っている。


地元の人たちの太鼓や笛の応援がうれしい。しかし、空には黒雲が広がってきていた。


どこのエイドにも、リンゴは必ず出ており、アップルマラソンにふさわしい。


岩木川沿いを走る。


この後、雨が降り出し、天気はめまぐるしく変化する。一時的に大粒の雨にもなり、合羽を着てない人はびしょ濡れになっていた。私は、合羽持参だったので、酷くは濡れなかったが、脱いだり着たりが面倒だった。

ハーフをこえると、西目屋村から折り返し、元来た道を戻る。30キロを過ぎるとやはり走るのがきつくなり、歩いたり走ったりの連続となる。

41キロの関門があり、そこまでは何としても入らねばと思い、重くなりそうな足取りを、だましだましで先に進める。関門を無事通過した時は、まるでゴールしたかのように気分になる。

41キロからは、きつい上りだが、歩いても間に合う距離なのでゆっくり歩き、ゴール間近になって走ってゴールする。半年ぶりの大会参加で、練習もろくにできていなかったが、なんとか完走できてホッとした。


その後、駅前まで歩いて帰り、レンタカーを借りて酸ヶ湯温泉に向かう。翌日は、八甲田山登山の予定だ。

2023斜里岳&摩周屈斜路トレイル:摩周屈斜路トレイル2日目

2023-09-22 06:31:56 | マラソン
1日目は、セクション2と3を先に走ったが、2日目はセクション1からスタートしてセクション2に繋ぐ。

セクション1のスタート地点は、摩周湖第1展望台からだ。霧の摩周湖と呼ばれるだけあって、この日も霧に覆われ、摩周湖の姿は全く見えない。


展望台の前には、摩周屈斜路トレイルの起点を示す0キロの看板が立っている。


駐車場の前の道路を渡ると、KMTと書かれた赤いコーンが入り口の目印のようだ。


笹やぶの中の道を徐々に下っていく。


1時間ほどで摩周湖からのトレイルを下りきると、柵の前に出た。


柵の錠を開けると、見通しのいい田園地帯が広がっている。


ポツンと1軒の農家が建っている他は何もない林道を進んでいく。


大きな重機が、巨大な貨物車を運んできたのに出会う。北海道では、重機が見たことがないような大きさだ。


舗装道路を進んでいくと、線路が見え1両の可愛い電車が通過していった。この電車は、北海道網走市の網走駅と釧路市の東釧路駅を結ぶ釧網本線(せんもうほんせん)だ。


その後も、線路を何度も越える。


KMTのマークに導かれ、森の中のトレイルを進む。




周りより少し低くなっていて、まっすぐに伸びている道は、旧釧路鉄道跡だ。130年前、この先にある硫黄山から採掘した硫黄を運ぶために実際に鉄道があった区間なのだ。


国道をしばらく歩く。


脇道から農道に入ると、畑に挟まれた気持ち良い道となる。前の方には、噴煙が上がる硫黄山が見えてきた。


川湯温泉駅前を通過。


青葉トンネル入り口。ここも旧釧路鉄道のあった場所だ。


トンネルがあるかと思っていたが、今はトンネルもなく、生い茂った木々の青葉で覆われたトンネルという事なのだろうか。


硫黄山に到着する。


川湯温泉の源として有名な硫黄山(アトサヌプリ)だが、明治初期から昭和30年代にかけては、硫黄を採掘する鉱山として利用されていたそうだ。この硫黄採掘によって、ほぼ未開の地であった弟子屈・釧路を含めた道東の産業が急速に発展していったという。


現在でも、黄色い噴気孔からもうもうと噴煙を上げている様は、まさに地球が息づいているのを間近で感じさせてくれる。


荒涼とした溶岩台地を抜けていく。


溶岩台地の先には、つつじヶ原自然探勝路の入り口がある。


つつじヶ原は、硫黄山から出る火山ガスや、酸性土壌などに耐えられる高山性の植物たちが特異な生態系を展開している貴重な場所だ。最初は「イソツツジ帯」「ハイマツ帯」が続いている。


展望台から硫黄山をバックに記念撮影。


このあたりから植生が変わり「広葉樹林帯」となってくる。


「針葉樹林帯」を抜けると、つつじヶ原自然探勝路の出口となり、ゴールの川湯ビジターセンターも近い。


川湯ビジターセンターから足を延ばして、川湯の日帰り温泉に入浴してゴールとする。その後、レンタカーで女満別空港まで帰り、今回の北海道遠征を終えた。

参考1.摩周屈斜路トレイル2日目の高低図&コースタイム


参考2.摩周屈斜路トレイル2日目のコースマップ