アカデミー賞外国語映画賞を受賞して一気に注目度が上がった『おくりびと』をやっと見ることができた。今日から地元映画館でもアカデミー賞受賞凱旋公演として1週間ほど再上映される。ニュースでも映画館がすごい賑わいという話を聞き、前日インターネットでチケットを取っておいたので入場は楽だった。映画館はほぼ満席で、中高年のお客がほとんどであった。
内容は、何度もテレビで報道されており、ほとんどの人が知っていると思うが、ひょんなことから遺体を棺に納める“納棺師”となった男が、仕事を通して触れた人間模様や上司の影響を受けながら成長していく姿を描いた作品だ。監督は『壬生義士伝』の滝田洋二郎、キャストには本木雅弘、広末涼子、山崎努ら実力派がそろっている。
今までこんな職業があることすら知らなかったが、納棺師の行う死化粧と納棺の儀式は死者の尊厳を最後まで保ち美しくすら思える。死者を扱うというだけで、汚らわしい職業として差別されかねない。しかし、死者へのいたわり、着替えも肌を見せないようにする配慮、生前の美しさを引き立てる優しさは遺族の態度を変化させる。この納棺師の美しい死の儀式は一度でも家族をおくったものであれば涙が浮かんでくることであろう。自分の父親をおくった時、これに似た情景があったことを思い出した。この時は納棺師という職業は知らなかったが、丁重に遺体を扱ってくれていた記憶がある。
本木雅弘演じる納棺師の所作は、死に装束の着物の衣ずれの音まで耳に心地よく響く。彼の所作ひとつひとつが指先まで神経が行き届いてまさに“匠の仕事”である。重いテーマながら軽妙なタッチで見せられるので時折笑いも出てくる。ドラマチックな部分はそれほどないが、しんみり山形の町並みや四季、ストーリーが流れ、一人の納棺師として成長していく様が描かれている。映画としての派手な部分はまったくないが、この日本的な儀式に外国人の心にも訴えるものがあったのであろう。
涙がとめどなく溢れるということはないが、死者をおくるいろんな家族のシーンを見るたびに涙がにじんできた。大事な家族や愛する人を失った時、こんなにも美しく丁重に扱ってくれたら安心しておくる事ができる。火葬場でのシーンで「死は門である」という言葉があった。つまり死は終わりではなく、次の世界への門をくぐり抜けるに過ぎないという意味のようだ。そんな話を聞くと安心できるような気がする。普段ドライに考えて終わってしまいがちなテーマだったが、この映画を見て死者をおくるという意味を改めて考え直すことができた。
内容は、何度もテレビで報道されており、ほとんどの人が知っていると思うが、ひょんなことから遺体を棺に納める“納棺師”となった男が、仕事を通して触れた人間模様や上司の影響を受けながら成長していく姿を描いた作品だ。監督は『壬生義士伝』の滝田洋二郎、キャストには本木雅弘、広末涼子、山崎努ら実力派がそろっている。
今までこんな職業があることすら知らなかったが、納棺師の行う死化粧と納棺の儀式は死者の尊厳を最後まで保ち美しくすら思える。死者を扱うというだけで、汚らわしい職業として差別されかねない。しかし、死者へのいたわり、着替えも肌を見せないようにする配慮、生前の美しさを引き立てる優しさは遺族の態度を変化させる。この納棺師の美しい死の儀式は一度でも家族をおくったものであれば涙が浮かんでくることであろう。自分の父親をおくった時、これに似た情景があったことを思い出した。この時は納棺師という職業は知らなかったが、丁重に遺体を扱ってくれていた記憶がある。
本木雅弘演じる納棺師の所作は、死に装束の着物の衣ずれの音まで耳に心地よく響く。彼の所作ひとつひとつが指先まで神経が行き届いてまさに“匠の仕事”である。重いテーマながら軽妙なタッチで見せられるので時折笑いも出てくる。ドラマチックな部分はそれほどないが、しんみり山形の町並みや四季、ストーリーが流れ、一人の納棺師として成長していく様が描かれている。映画としての派手な部分はまったくないが、この日本的な儀式に外国人の心にも訴えるものがあったのであろう。
涙がとめどなく溢れるということはないが、死者をおくるいろんな家族のシーンを見るたびに涙がにじんできた。大事な家族や愛する人を失った時、こんなにも美しく丁重に扱ってくれたら安心しておくる事ができる。火葬場でのシーンで「死は門である」という言葉があった。つまり死は終わりではなく、次の世界への門をくぐり抜けるに過ぎないという意味のようだ。そんな話を聞くと安心できるような気がする。普段ドライに考えて終わってしまいがちなテーマだったが、この映画を見て死者をおくるという意味を改めて考え直すことができた。