とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

ブログ開設3周年

2011-11-30 19:09:25 | ブログ


グリムスの表示にバースディケーキが表示されています。
これは、今日がこのブログの誕生日という事を表しています。

そうです。私のブログが始まって今日で3周年となったのです。開設して1095日が経過しました。
3年間で投稿しなかった日は、7日ほどありますが後は毎日飽きもせず投稿してきました。
我ながら、よく続いたと思います。
ネタを考えるのに、頭を捻った日数も数知れません。
遠出した時は、写真があるので助かりますが平日は何にもない時が多いのです。
苦し紛れの手抜き記事も多いのですが、今では毎日投稿するのが当たり前となってしまいました。

これも、呆れることなく熱心に読んでくれる人たちからの励ましの言葉を何度も頂いていたからです。
今日は、一つの通過点に過ぎないですが、これからも続けていきますので皆さんよろしくお願いします。

岡田修 津軽三味線コンサート

2011-11-29 18:53:45 | コンサート


昨日の夜は、市内にある天林寺というお寺に行った。お寺に何しにいったかというと、ヒロボーさんから是非聞いて欲しいという強いお誘いがあり、津軽三味線奏者の岡田修さんのコンサートを聴きに行ったのだ。

岡田修さんのプロフィールを紹介しておく。

1957年山形県酒田市に生まれる。1975年東京にて津軽三味線を始め、1980年より津軽三味線の大家「山田千里」に師事し津軽での修行を始める。1985年には津軽三味線全国大会で特別賞受賞し、翌年には同大会で優勝する。これを機に、演奏家・作曲家として活動を始める。以来西ドイツ・フランス・アメリカ(アーカディー音楽祭)・スリランカなど国内外で意欲的なライブ活動を行っている。1994年にはファーストアルバム”OSAMU”を、1999年にはセカンドアルバム”空へ”をリリースしている。

仕事を終わって急いで会場に向かった。会場には、一緒に誘った姉たちが既に来ていた。入口でチケットを購入してお寺の本堂に入ると、開演30分前というのに、ほぼ満員に近い人で溢れていた。ヒロボーさんやうっちゃんなどが前のほうにいたが、もう一杯なので少し後ろの空いた場所を見つけ座った。ちょうど、くーかいさんたちがいたのでその隣となった。

このコンサートは東日本大震災復興祈念と銘打って、収益金は全て義捐金として新聞社に届けられるそうだ。さて、津軽三味線のコンサートなんて初めて聴く。たまにテレビなどで三味線の音を聞くことがあるが、長時間にわたって聴く事はなかった。魂が揺さぶられるような音が聴けるという話を聞いており、どんなコンサートになるか楽しみであった。

第1部は、「津軽じょんがら曲あわせ」から始まる。ジャン、ジャンジャ、ジャン、ジャン・・・♪と津軽三味線の独特の、ど~~んとくる張りのある力強い演奏が始まる。撥を叩きつけるように弾く打楽器的奏法で、テンポが速いのが特徴だ。津軽三味線の世界に浸るため目を閉じて聴いていた。その後、「津軽じょんがら節」「津軽音頭」「津軽あいや節」「流雲」が演奏されたが、特に「流雲」という曲が力強く壮大な世界を表しているようなイメージが浮かんできて聞き惚れてしまった。

曲の合間には、岡田さんのトークもあり、津軽三味線のルーツは中東だったという話はビックリした。中東から構造的に変化しながら、インドを経て中国に入る。中国南部において「三絃」が成立し、この「三絃」が沖縄を経て日本に持ち込まれ、江戸時代中期に日本独特の三味線となった。以降、三味線は日本各地の土着芸能と融合して発達し、当時日本最北端であった津軽地方において津軽三味線となったという。三味線を半音下げると如何にもアラビア風の音に聞こえるから面白い。

岡田さんのコンサートは、いつもは1時間半ぶっとうしで行なうそうだが、この会場が畳という事もあり、観客が座り疲れてしまうことを考慮して休憩を入れてくれた。胡坐をかいているとはいえ、長時間座っているのは確かに辛い。休憩があって助かった。

そして、第2部では「さかた幻燈記」「津軽じょんがら節(旧節)」「斉太郎節」「津軽四季彩」が演奏された。「津軽四季彩」では、津軽の四季を一本の三味線で表した。春から夏、夏から秋、秋から冬と時には激しく、時には優しく絶妙の撥さばきで表している。こちらもじっと目を閉じていると、津軽の四季が頭に浮かんでくる気がした。まさに、魂を揺さぶられるような音色である。また、旧い津軽三味線と、最近の津軽三味線では弦や皮の張り方が違うという。旧いほうが張り方がゆるく音が小さいようだ。それぞれ聴いてみると音色が違う。旧いほうが哀愁があって少し鈍い音色だ。それに対して最近のは限界まで張ってあり、大きな音がして伸びがあり力強さを感じる。こんな話もトークで聞かせてもらった。

約1時間半だったが、あっという間に終わった感じだった。ここまで芸術的な音楽として津軽三味線を聴く機会はなかなかないものである。前評判どおり、心を揺さぶられたようなコンサートだった。

2011岩殿山登山

2011-11-28 23:54:43 | 山登り
山梨県大月市にある標高634mの岩殿山とその周辺を歩いてきた。今回は、久しぶりにたくさん集まり7名の参加者と2匹のワンちゃんが参加してくれた。

中央高速道路の大月インターを降りると、すぐに大月駅前となる。大月駅前からしばらく先に進み左折すると岩殿山登山者専用の駐車場があった。10台程度しか停まることができないが、我々の2台の車が停まるとほぼ満車状態となった。9時少し前だったが、ギリギリセーフだったようだ。


駐車場からは、これから上る岩殿山の大岩壁が見えた。まさか、あの岩壁を登るわけではあるまいと思ったが、かなり危ないところもあると聞いていたので無事に登れることを願っていた。


まずは、岩殿城跡入口の看板がある階段を上がり始めた。


岩殿山までは、約40分ほどでいけるらしいが、その中間点くらいに、お城の形をしたふれあいの館がある。岩殿山の歴史が分かるビデオや展示室、プラネタリウムまであり、入館は無料だ。


ふれあいの館のすぐ上が、丸山の山頂となる。444.4mの山頂からは富士山がよく見える。




ふれあいの館で、トイレを済ませて山頂を目指す。この辺りはよく整備されており、4月はお花見の名所にもなるようだ。前方には鏡岩と呼ばれる岩壁があり、その上が岩殿山の頂上となり岩殿城跡がある。


山頂すぐ手前にある自然の巨岩を利用した岩殿城の城門跡だ。岩殿城は、自然の断崖を巧みに利用しており攻めにくく守りやすい城だったという。


ほどなく岩殿山山頂に到着する。ここからも富士山の眺望は素晴らしい。


山頂の標識前でも記念撮影だ。後方の看板には岩殿城の配置図が書かれていた。この城は、小山田氏の居城であり、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたことで知られていたそうだ。現在は、山梨県指定史跡になっている。


簡単に岩殿山山頂に着いてしまい、これで登山を終わるわけには行かない。今回のメインは、そこから先にある稚児落としと呼ばれる断崖絶壁を通過することだ。一旦戻って分岐で分かれる。これから、本当の山歩きが始まるのだ。まずは、二匹のワンちゃん(リュウ&ラン)が先を先導してくれる。




分岐からは、本格的な山道になり、30分程進んだところで6~7mくらいの岩壁が立ちはだかった。なかなかワクワクさせてくれる岩場である。ロープと鉄枠を頼りに登り始めた。


ランも飼い主の手助けを受けながら岩場を登りきった。


登りきった所から下を覗くとまさに断崖である。目が眩みそうな眺めだが、紅葉の森もいい感じである。


しばらく尾根道を進む。ずっと富士山を前方に見ながら歩いていける楽しいコースだ。


次の危険な場所が現れてきた。今度は断崖の側面を渡るのである。狭い部分は、人間がやっと通れる位の幅しかない。人間は、クサリを持って歩けるが、後ろを付いていくリュウが足を踏み外さないか心配である。足を踏み外せば、深い谷底に転落してしまう。


断崖の側面を渡り切ると、今度は数10mのクサリ場をよじ登ることになる。これも、スリリングな岩場である。かなり長いので頂上まで行くと息が切れたくらいだ。この頂上が兜岩である。




その先の天神山の小さなピークを越え、幅のせまい尾根道を歩いて行くと、今回のクライマックス、稚児落としが目前に現れてきた。「稚児落とし」とは、戦国時代に追っ手に追われた人たちが、赤ちゃんの泣き声で居所を知られることを恐れて、その子をこの断崖へ落としたという話があることからつけられた名前である。悲しくて恐ろしい名前の場所だ。


稚児落としの岩壁をバックに記念写真を撮る。


眼下には、中央高速道路もよく見える。


稚児落としの岩壁の上で、昼食にした。岩壁の上ではあるが、平らで広い場所となっており展望が最高にいいことから、ここでのんびり昼食をとることにしたのだ。今回は、人数が多いが久しぶりにチーズフォンデユをやることにした。絶景を見ながらの、昼食は最高である。みんなで、楽しく昼食をしていた。


ところが、チーズの残りが僅かとなった頃、突然別の犬が乱入してきた。飼い主がおらず、単独で山頂まで上がってきたらしい。我々の食料目当てに飛び込んできたので、しばらくパニックになってしまった。慌てて、犬を取り押さえたところである。どうもこの犬は、狩猟犬のようでハンターと共に山に入ったようだが、ハンターとはぐれここまで来てしまっていたようだ。とにかく、食欲旺盛で我々の食料を与えると片っ端から食べてしまうのには呆れた。その点、リュウとランは、飼い主がしつけているので我々の昼食時はおとなしくしていた。


さて、昼食を途中で切り上げ稚児落としの上から景色を眺めてみた。前方には、これから上がってくる人が豆粒のように見える。ここが、足がすくむ程の絶壁であることがよくわかる。


それでも、絶壁をバックにここでも記念写真だ。


稚児落としから先は、下山するだけだ。帰り道は、三匹のワンちゃんが先を争うように先導してくれる。


登山道が終わると車道を歩くことになる。川沿いの紅葉がきれいだ。狩猟犬は、車道に入ったところで飼い主が見つかり無事保護された。


中央高速道路の下を歩く。


岩殿山が目の前に見えてきた。あんな岩山に良く登ったなと、我ながら感心する。


大月駅の裏を通り、駐車場に戻った。全歩行時間は3時間半ほどで、登山としては物足らない距離だったが稚児落としからの展望は、まさに絶景だった。富士山もずっと見えており楽しく暖かい秋の一日だった。

甲斐の猿橋

2011-11-27 22:55:40 | 観光
今日は、山梨県の岩殿山へ登ってきた。11月最後の日曜日だったが、風がなく穏やかな日和で楽しい登山が出来た。ただ、今日は登山の話は後回しにして、その後観光で立ち寄った「猿橋」のことを記事にする。

山梨県大月市猿橋町の桂川にかかる「猿橋」(さるはし)は、山口県の錦帯橋(きんたいきょう)、徳島県のかずら橋と並ぶ、日本三大奇橋の一つである。その構造形式は、「肘(ひじ)木けた式」と呼ばれ、橋脚がなく、両岸より張出された四層の桔木を支点とし、上部構造を支えているそうだ。猿橋の歴史は古く、初期の建築年代は600年頃百済の国の志羅呼(しらこ)が、猿がつながって対岸に渡る姿を見て、これを造ったという伝説がある。




猿橋の周辺も、紅葉の名所のようで大勢の観光客が来ていた。




猿橋から下流方向の眺め。下に見えるのは八ツ沢発電所一号水路橋、上に見える赤い橋は国道20号の新猿橋である。この風景も、なかなかいい感じだ。


その後大回りして、山中湖を経由して帰った。山中湖からの富士山のシルエットがきれいだった。


それにしても、今日は今年最後の行楽日和だったのではないだろうか。帰り道はどこもかしこも渋滞して帰宅が遅くなってしまった。

水陸両用観光船「スプラッシュ神戸」に乗る

2011-11-26 18:30:16 | 観光
鉄人28号を見た後、神戸メリケンパークに移動した。ここからは、日本初という水陸両用船スプラッシュに乗る。この水陸両用船は、米国ゼネラルモーター社が、戦時中に水陸両用車、コードネームDUKW(ダック)として製造したものだ。実際に戦時用として使用されていた車両は廃棄処分され、未使用の車両が各国で観光用として平和利用されていた。神戸の車両は、ニューヨークの消防署で水害対策用として保持された後、ハワイ州ホノルル市にて観光用にリストア、そして2006年神戸にやってきたという歴史のある車両だが、丁寧に整備されており、未だ現役バリバリで稼動しているそうだ。


まずは、バスとして乗車する。陸上区間は約60分かけて旧居留地から、フラワーロード、北野異人館、トアロード、ハーバーランドを周遊する。すっごく目立つ車だけに、乗っている我々のほうに、歩行者の視線が集まる。ガイドさんからも、注目を浴びるから手を振って応えて下さいといわれるくらいだ。旧居留地の公園では、12月から始まる神戸ルミナリエのイルミネーションが既に出来ていた。車窓から見える白い模様である。


こちらは、北野にある「スターバックス・コーヒー 神戸北野異人館店」だ。お気に入りのスタバランキングで1位だというだけあって、日本一回転率が悪いスタバだという。異人館仕様のレトロな雰囲気で、神戸の歴史を感じるだけにお客もなかなか帰らないらしい。


こちらは、南京町の中華街入口だ。神戸マラソンでもこの前を走っている。


再び旧居留地に戻ってくる。旧居留地とは、かつて江戸時代末期の安政の五か国条約により外国の治外法権が及んでいたことのある区域を指す。横浜市、大阪市、神戸市、長崎市の旧居留地が有名である。これは、旧居留地十五番館といい、旧アメリカ合衆国領事館だった建物だ。


さて、陸上部分をあらかた回り、いよいよ海上へと向かう。ハーバーランドにあるはね橋が上がり、船の通行が許可された。


そして、3,2,1、スプラッシュの掛け声と共に海面に入っていった。ここから運転手さんは、帽子をかぶり船長に変身する。


海面に出ると、穏やかな波の上を遊覧船としてゆっくり回遊する。お客は、全員シートベルトを外し救命胴衣を身に着けている。


ハーバーランドの観覧車を海から見るのもなかなかいいものだ。ポートタワーも奥に見える。


左に見える水色の塔は神戸港旧信号所だ。高さ46.3mで、大正10年に新港第4突堤に建設され、港に出入する船の交通整理を行っていた。内部にはエレベーターもあり当時は東洋一の信号所として注目されたが、無線の普及などで平成2年3月に役目を終えている。


右側にあるおにぎり型の建物は、神戸メリケンパークオリエンタルホテルだ。屋上には灯台が設置されている。船をかたどった外観は特徴的で、青いイルミネーションに輝く姿は、神戸港の夜景を彩る一つとして有名とのこと。


沖には、ポートアイランドのビル群が見えている。前日は、あの周辺も走っていたのだと思うと感慨深い。


20分ほどの船旅を終え、再び陸上へと戻っていく。


坂の上では、ホースを持ったオジさんが待ち構えている。海水に浸ったスプラッシュを真水で洗い流すためだ。海中でぶらぶらしていたタイヤが固定され一気に坂を駆け上がり船からバスに戻った。


洗浄を十分終えた後、元の乗り場に戻り水陸両用の観光ツアーが終わった。テーマパークのアトラクションの乗り物に乗っているような感じで面白いツアーである。ガイドさんと記念写真を撮ってから、最後にポートタワーの展望台に向かった。


神戸ポートタワーは世界初のパイプ構造の観光タワーで、その形は世界でも例のないユニークなものである。展望台からは、360°みわたせる大パノラマを楽しみ神戸観光の締めくくりとした。

鉄人28号は大きかった

2011-11-25 19:56:28 | 観光
神戸マラソンコースを走りながら、鉄人の後姿をチラッと見たが、応援の人垣に遮られて近くまで見に行くことが出来なかった。神戸にきたら、鉄人を間近で見たかったので、マラソンの翌日、早朝からあらためて見物に行った。

「鉄人28号」は1956年から雑誌「少年」に連載された漫画で、これまでに何度もラジオ、実写、アニメ化された人気作品である。私の世代では、鉄腕アトムと共にアニメを毎週楽しみにしていたロボットのキャラクターである。

原作者の横山光輝さんが神戸出身という事と、震災復興のシンボルにと原寸大の「鉄人28号」を地元の人たちの力で長田区にある若松公園に設置したものだ。JR神戸線の新長田駅前から右側を見るとTETSUZIN STREETと書かれたアーケードが見えた。


アーケードに入っていくと、街灯が立ち並んでいるが、その形は鉄人の頭部となっている。夜になると街灯が灯り、目が光るようになるのだろう。


そして、アーケードを抜けるとすぐに、鉄人の大きな姿が飛び込んできた。高さは15.6mあり、アニメーション版の設定に合わせて作られた1/1スケール像だ。足を伸ばして直立させたときの全長は18mになるように製作されているという。両足を踏ん張り、右手を突き出した力強いポーズでなかなかカッコいい。


そして、こちらは後姿だ。鉄人が向いている方向は、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた商店街方向(南側)を向いているのだ。アニメの主題歌では「ビルの町にガオー!♪…」なんて歌詞があったが、まさにそのイメージどおりだ。


こちらは、横から見た姿。鉄人の周りは、公園として整備されており子供たちが遊んだり、人々が語らいをする場所として、いい雰囲気となっている。


ひとしきり鉄人をじっくり見て若松公園を後にした。この後、最後の神戸観光となる水陸両用観光船「スプラッシュ神戸」の乗り場に向かった。

デジブック 『神戸イルミナージュ』

2011-11-24 19:26:03 | デジブック


神戸のイルミネーションといったらルミナリエが有名だが、開催は12月1日から12日までの12日間しかない。神戸マラソンに行ったついでにルミナリエを見てみたいと思っていたが、あいにく開催期間が被っていなかった。しかし、代わりといっては何だが、平成23年11月1日(火)から平成24年1月17日(火)の78日間、神戸市立フルーツ・フラワーパークにて「神戸イルミナージュ2011」が開催されることを知り、マラソンの前日だが約300万球のLEDイルミネーションで装飾された希望の光を楽しんできた。関西初・最大規模の施設型イルミネーションイベントということで、光がオーロラのように泳ぎ、絡み合い、輝く光の演出に圧倒された。

神戸花鳥園を観光

2011-11-23 22:37:16 | 観光
神戸マラソンの前日に、神戸花鳥園を散策してきた。神戸花鳥園は、ポートアイランド内にあり、スーパーコンピューター「京」で有名な理化学研究所の計算科学研究機構の隣にある施設である。

神戸花鳥園は、花の中で鳥と遊べるテーマパークだ。当日の天気は、雨から曇りとなっていたが、全て屋内施設だから、こんな日にはちょうどいい。まず、園内に入ると頭上は、ベゴニアの花で埋め尽くされていた。ちょうどお昼を過ぎていたので、このベゴニアの下でバイキング形式のレストランに入り昼食とした。




昼食を済ませ、隣の温室に入っていくと丁度バードショーが始まった。まずは、オオハシのショーだ。オオハシは、嘴が大きくトロピカルな感じの鳥で、お菓子のチョコボールのパッケージに載っているあの鳥だ。なかなか愛嬌がある姿だが、飛ぶ時は迫力がある。




オオハシの次は、ワシミミズクである。首がぐるりと270度くらいは回る。これも、羽根を広げると迫力がある。




最後は、ハリスホークの飛行ショーだった。ハリスホークは、モモアカノスリ(腿赤鵟)タカ目タカ科に分類される猛禽の一種で、日本では英名をカタカナ読みした「ハリスホーク」と言われている。愛玩鳥として飼い易く、猛禽の入門種とまで言われ、訓練もしやすくて本種は鷹狩によく用いられるという。鷹だけに、我々の頭上をもの凄い高速で駆け抜けるのは、一番の迫力だった。




ショーのあとは、おかしな顔をしたミミズクたちを見る。よく見ると、それぞれ個性があって愛嬌がある。






更に奥の温室では、オオハシとのふれあい体験が出来るようになっていた。何羽ものオオハシが室内を飛び交っており、人間とのふれあいが出来るようになっている。餌をあげると、あの大きい嘴でサッと食べていく。子供たちがこわごわ餌を与えていた。






こちらでは、インコを肩にとまらせてくれている。


別の温室には、広いスイレンの池があり、色とりどりのスイレンの花が咲いていた。中央には、大きなハスの葉が浮いている。この葉は最大で2メートルにも成る事が有り、大きくなると100キロ以上の重みにも耐える事ができると言われており、人間も乗ることが出来るらしい。




ひととおり花鳥園を散策してから、神戸マラソンの参加受付会場へと向かった。この頃には、やっと雨も上がってきていた。

2011神戸マラソン(後半)

2011-11-22 21:30:31 | マラソン
明石海峡大橋袂のトイレで予想以上の待ち時間をとられ、遅れを取り戻そうと張り切って再スタートした。かなりのランナーが先に行ってしまっていた様で、この時点ではランナーがまばらになっていた。


この辺りから、かなり空腹になっていた。なんとかレンジャー姿の応援の人たちから、飴を頂きガス欠の足しにする。


20キロ付近で給食エイドがあるはずだった。早く何か食べないともう走れそうにないなとエイドに到着したのだが、台の上には水やスポーツドリンクがまったく出ていない。もう完全に店じまいしたかのようなエイドでどうしたのだろうと気になった。水はなくても、食べるものはあるだろうとその先に進むが、台すら片付けられていた。この時点で、水や食べ物がまったくなくなっていたのだ。まさに、頭がガーンとなった。いくら遅くなったとはいえ、水も食べ物もないとはお先真っ暗である。間の悪いことに、お金の持ち合わせもなかった。

それでも、数キロ走れば水くらいはあるだろうと、空腹を我慢しながら走る。遙か彼方には、ゴールのポートアイランドのビル群が見えていた。まだまだ先は長い。


こんなランナーも見かけた。エンジェル姿で可愛いが、足元を見れば素足である。女性でも、こんな姿で走るとは驚きだ。


26キロ付近でも給食エイドがあるはずだったが、ここでもまったく食べるものがなかった。止むを得ず、沿道の応援の人たちで飴やチョコ、羊羹などを配っている人を見つけては、なんとか腹の足しにして走り続けた。みんな、食べるものがないと嘆いていた。自販機やコンビニに立ち寄り、給食、給水している人たちも多かった。第1回の大会では、このようなことは良くあるのだが、あまりにも量が少なかった。大会参加者を5000人も水増ししたことによる対応がとれていなかったのかもしれない。

Jリーグのヴィッセル神戸のホームスタジアムであるホームズスタジアム前を通過する。マスコットキャラや女性たちの応援が行なわれていた。


35キロ近くとなり、神戸市内の中心部へと戻ってきた。総ガラス張りのビルの下を通る。


チャイナドレス姿の女性の応援もある。


登り坂を上がり自動車専用道に入っていく。右手には、メリケンパークの神戸ポートタワーが見えてきた。このタワーは、神戸のシンボルだ。ここまでこれば、残り5キロほどである。


神戸大橋に向かう途中で、こんな楽しいランナーにも出会った。スーパーマリオブラザーズのマリオとルイージ、そしてピーチ姫の仮装だ。マリオのお馴染みの効果音まで聞こえてきて嬉しくなった。


橋の手前で、やっとバナナやお菓子などにありつく。でもありきたりのチョコレート菓子だけで、神戸を代表するスイーツらしき物はなかった。これも、既に品切れになっていたのかもしれない。


赤い神戸大橋を渡り、ポートアイランドに入っていく。




メリケンパークやハーバーランド等の市街地を一望する。


神戸学院大学前の海際の道を進む。前方には、大型客船が見える。


素晴らしいロケーションのコースが続く。


神戸学院大学前では、一人の女性の美しい歌声が流れていた。


神戸夙川学院大学、神戸女子短大等のキャンパスの間を走っていく。


学生たちの獅子舞の応援もある。


残り僅かとなったところで、元気な人たちの応援に力が湧いてきた。


おつかれさま!!の文字が見えてきた。もう1キロもない。


そして、FINISHのゲートが見えてきた。ついにゴールだ。


第1回の神戸マラソンは、エイドの準備が不十分だったという事やトイレが少ないという問題があったが、コース自体は山あり海ありビルありと変化に富んだコースであり、途切れることのない応援に好天が後押ししてくれ、まずまず楽しめた。娘は、かなりいいペースでとっくにゴールしており、妻には後半でやっと追いつき、全員無事完走することができた。

2011神戸マラソン(前半)

2011-11-21 22:01:47 | マラソン
11月20日の日曜日は、第1回の神戸マラソンだった。一度は、抽選に外れた大会だったが、事務局のミス等があったとして、逆転当選になった曰く付きの大会だった。それでも娘が神戸に住んでいることもあって、親子3人で参加したいと思っていた大会だけにありがたかった。

前日から娘の家に泊まり、妻と娘と一緒に歩いてスタート地点の神戸市役所前に向かった。前日は大雨と強風で全国的に最悪の天候だったが、当日はカラッと晴れて、絶好のマラソン日和となった。まずは、荷物を預けるため市役所前のフラワーロードの東側にある、震災復興記念公園に向かった。公園内には大勢のランナーが集まっていた。目の前には、阪神高速道路や高層ビルが立ち並んでいる。やはり大都市のマラソンに参加するという雰囲気で気分が高まってきた。


荷物を預け、スタートラインのフラワーロードに向かった。空を見上げると、神戸市役所の高層ビルの上空には、ヘリコプターが何台も飛び交っていた。


スタート前のオープニングセレモニーが終り、スタートの号砲が鳴った。だが、我々のいる場所が動き始めたのは、10分以上過ぎていた。先には、スタートゲートが見えていたがまだまだ遠い。そして、その先には六甲山脈も見えている。


スタートラインを越えたのは、号砲が鳴って12分後くらいだった。フルとクォーターマラソンの参加者を含めると23000人のランナーがスタートしたのである。


大丸百貨店前を通過する。


横浜中華街、長崎新地中華街とともに日本三大チャイナタウンの一つに数えられる南京町前を通過する。中国風の龍の応援が行なわれていた。


JR神戸駅前付近を通過する。エイドで給水中に、娘は先に行ってしまったようだ。


湊川神社前を通過する。この神社は楠木正成を祭る神社で、地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれている。


いろんな仮装ランナーを見かける。こちらは、カッパの扮装をしたランナー。頭が重そうだが、フルマラソンをこの格好で走るなんて凄すぎる。


こちらは、茶娘の扮装した女性。静岡人だと思って聞いたら、栃木の人だった。籠まで背負って徹底している。


こちらは、母と娘だ。二人で料理をしているという設定らしい。我々も、父、母、娘と背中に貼って走ればよかったと思った。


御馴染み、「へろへろ」のランナー。いろんな大会で、このユニフォームを見かける。


6.7キロ地点では、鉄人28号の巨大モニュメントを見かける。コースから少し外れるので、寄り道して真正面から見るつもりでいたが、応援の人垣で寄り道する事が出来なかった。すごーく残念だった。


前方が登り坂になっているのだが、まったく隙間がないほどランナーで道路が埋め尽くされている。


地元の中学生が制服姿で大勢詰め掛けて応援してくれていた。


橋を越えると、左側に海が見えてきた。


国道2号線の中央分離帯で、一休みして写真を撮る。遙か先まで、ランナーの列が繋がっているのが見える。国道をこれほどまで全面通行止めにするとは、神戸もやるものである。


須磨浦公園のクォーターマラソンのゴール付近。


沿岸の沖では、多くの漁船が大漁旗を翻してマラソンの応援をしている。


反対側の道路にも折り返してくるランナーが増えてきた。遙か先には、明石海峡大橋が見えている。


湊神社前を通過する。


明石海峡大橋の袂まで来た。この下をくぐると折り返しである。この先には、淡路島があると思うと、遠くまで来たという気がした。


折り返してすぐトイレがあり、ずっと我慢してきたのでたまらず立ち寄ることにした。ところが、ここのトイレがめちゃ込みだった。ここへ来る前のトイレでも込んでいたのだが、まだまだ余裕があるし、ゆっくり行けばいいからと思い気長に待つことにした。だが、これが大誤算。30分近くも待つことになってしまった。それまで一緒だった妻は先に行ってしまい、それから一人旅になってしまった。

2011神戸マラソン(後半)に続く。