8月ですね。
『ぼく森』こと、『ぼくらは森で生まれかわった』の中でも、8月になる章があります。
八月になった。
ああ、八月か。そう思った瞬間、足もとがぐらついたような気がした。
水底にいて浅瀬から深みに一歩入ったようで、草原を歩いていて深いしげみに入ってしまったようで、ころばないように、足に力を入れてしまう。
まわりの緑は深みを増し、セミの鳴き声はいっそう激しい。
でも緑はやがておとろえるし、セミは死んでいく。その断片がそんなに遠くないところに見えかくれしてもいる。
あいかわらず暑い毎日だけど、あしたもあさっても暑いだろうけど、その先には秋があるんだろうなとちらっと思う。
小説の中でレトリックを多用すると、「くさく」なってしまいます。作家ひとりが酔ったような描写にならないよう、注意しなくてはと思っています。
この部分、どうでしょう。私は気に入っているんですが。
『ぼく森』こと、『ぼくらは森で生まれかわった』の中でも、8月になる章があります。
八月になった。
ああ、八月か。そう思った瞬間、足もとがぐらついたような気がした。
水底にいて浅瀬から深みに一歩入ったようで、草原を歩いていて深いしげみに入ってしまったようで、ころばないように、足に力を入れてしまう。
まわりの緑は深みを増し、セミの鳴き声はいっそう激しい。
でも緑はやがておとろえるし、セミは死んでいく。その断片がそんなに遠くないところに見えかくれしてもいる。
あいかわらず暑い毎日だけど、あしたもあさっても暑いだろうけど、その先には秋があるんだろうなとちらっと思う。
小説の中でレトリックを多用すると、「くさく」なってしまいます。作家ひとりが酔ったような描写にならないよう、注意しなくてはと思っています。
この部分、どうでしょう。私は気に入っているんですが。
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