庭の杏がつぼみになっています。
桜もそうですが、つぼみのときは、色がぎゅっと凝縮されていて赤いんですよね。
梅が終わりかけ、桜はまだつぼみになっていません。杏はちょうとこの二つの花の間で、ひっそりと咲き始めるのです。桜か梅と思っている方も多いでしょう。こういう私も、自分ちのは杏とわかりますが、よそのお宅のは、これが「杏」とわかったことがありません。
写真では、よくわかりませんね。すみません。記録なので。
私は物語を書いていますが、その中で自然描写をよく取り入れます。
春の物語なら、春の花を、秋の話なら秋の空を。などなど。
そのとき、たとえば、春の象徴として「たんぽぽ」を書くと、物語は平凡なまま。
先日も、主人公のもとに鳥がとんできて春を告げる一文を書きました。
「タンポポが咲いたよ」でもいいんです。でも、私は、
「カタクリが咲いたよ」と書きました。カタクリがどんな花か、どこに咲いたかは描写していません。字数制限もあったし(笑)。でも、カタクリを見たことがなければ、カタクリを見て「春だなあ」としみじみとした経験がなければ、この一文は書けないと思うのですよ。
今ネット検索すれば、画像も情報も手に入りますけどね。実際に見たことなくても、この一文は書ける。でも、何かが違うと思う。
このブログに、四季折々のヤマナシを見に行っている様子も書いていました。最近、これも役立ちましたよ(笑)
こうして、自然を実感することが、作品に反映できるのは、俳句をやっているおかげかもしれません。物語にリアリティと深みを与えられると思っているけど、どうでしょうか。
と書いて、以下は、追加で書き足したことです。
「カタクリが咲いたよ」
山も、春になりました。
これだけで、小さい読者が共感できるかどうか? 共感には、相手もカタクリを知らなければなりません。
もう少し字数がとれたら、カタクリは、早春、日当たりのいい場所に咲くむらさき色の花です。とか書けて、見たことのないにも子も「へえ。見て見たい。春の花なんだね」と思ってもらえるのですがね。編集者さんによっては、ここ、もっとわかりやすい花に と言ってくるかもです。
じゃあ、何? スミレ? イヌフグリ? ハコベ? 「コブシの木に花が咲いたよ」とか? と、こんな風に悩む日々です。←結論、出ないんかいっ!
以前書いたカタクリの記事。
桜もそうですが、つぼみのときは、色がぎゅっと凝縮されていて赤いんですよね。
梅が終わりかけ、桜はまだつぼみになっていません。杏はちょうとこの二つの花の間で、ひっそりと咲き始めるのです。桜か梅と思っている方も多いでしょう。こういう私も、自分ちのは杏とわかりますが、よそのお宅のは、これが「杏」とわかったことがありません。
写真では、よくわかりませんね。すみません。記録なので。
私は物語を書いていますが、その中で自然描写をよく取り入れます。
春の物語なら、春の花を、秋の話なら秋の空を。などなど。
そのとき、たとえば、春の象徴として「たんぽぽ」を書くと、物語は平凡なまま。
先日も、主人公のもとに鳥がとんできて春を告げる一文を書きました。
「タンポポが咲いたよ」でもいいんです。でも、私は、
「カタクリが咲いたよ」と書きました。カタクリがどんな花か、どこに咲いたかは描写していません。字数制限もあったし(笑)。でも、カタクリを見たことがなければ、カタクリを見て「春だなあ」としみじみとした経験がなければ、この一文は書けないと思うのですよ。
今ネット検索すれば、画像も情報も手に入りますけどね。実際に見たことなくても、この一文は書ける。でも、何かが違うと思う。
このブログに、四季折々のヤマナシを見に行っている様子も書いていました。最近、これも役立ちましたよ(笑)
こうして、自然を実感することが、作品に反映できるのは、俳句をやっているおかげかもしれません。物語にリアリティと深みを与えられると思っているけど、どうでしょうか。
と書いて、以下は、追加で書き足したことです。
「カタクリが咲いたよ」
山も、春になりました。
これだけで、小さい読者が共感できるかどうか? 共感には、相手もカタクリを知らなければなりません。
もう少し字数がとれたら、カタクリは、早春、日当たりのいい場所に咲くむらさき色の花です。とか書けて、見たことのないにも子も「へえ。見て見たい。春の花なんだね」と思ってもらえるのですがね。編集者さんによっては、ここ、もっとわかりやすい花に と言ってくるかもです。
じゃあ、何? スミレ? イヌフグリ? ハコベ? 「コブシの木に花が咲いたよ」とか? と、こんな風に悩む日々です。←結論、出ないんかいっ!
以前書いたカタクリの記事。
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