うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

新体制の我が家

2021年10月14日 | 日記

このたびは、

沢山の、うんこへの温かいお言葉を頂き、

誠にありがとうございました。

本来ならば、お一人お一人にお礼を申し上げたいのですが、

この記事を持って、皆様への感謝をお伝えしたいと思います。

 

おはようございます。

うんこは、11日当日に、霊園へ納めて参りました。

私は、うんことの1か月で、改めて感じた事があります。

それは、希望だった。

 

ある日突然、「末期がんで、一週間ももたない」と宣告を受け、

私は絶望した。

あぁ、こういうのを絶望というのだなぁっと思った。

絶望の王道のような絶望だった。

 

誰彼構わず笑っている人が憎らしくなり、

勝手に疎外感に苛まれ、

卑屈なまでに自分の殻に閉じこもり、

うんこを直視することも苦しくて、

そんな愚かな飼い主の元で健気に命を削る猫が、

哀れで可哀想で、どうしようもなく泣くことしかできずにいた。

 

それでも、どうにか記事を書いた。

すると、沢山の人からコメントを頂いた。

有難くて、申し訳ないくらい、心に響いた。

きついな~って時、何度も読んで救われた。

 

うんこは、食欲がどんどん落ちていく中、

ブロ友さんから、以前、

送ってもらった焼き海苔だけはパリパリ食べるから笑っちゃった。

 

友達は、私の留守中に、

うんこの食べられそうな物をビニール袋に詰めて、ドアノブに引っ掛けて行った。

チュール盛り合わせは、今は偏食のん太のチャレンジ食として大活躍だ。

袋に同封されていた、小さなハシビロコウのフィギュアに興奮して、

思わず和歌を作って友人に送った。

 

 

かずこは、いい感じにボケているから、

「うんこが末期がんで」と話す度にお見舞い金を渡してくれた。

一万円を3回、頂いた。

私は、3回とも初めて頂くみたいな顔で、頂戴した。

 

ダメ元で相談した、往診獣医さんは、

「望みを持って、やっていきましょう」と言った。

その時私は、何の望みだろうかと驚いた。

 

けれど、私は何の望みか分からないまま、

希望の灯が見えた気がした。

うんこを照らす、ぼんやりと優しい希望の灯が、

いくつも見えた気がしたのだ。

 

そして、うんこ、そのものが希望の灯なのだと気付いた。

死は、絶望じゃない。

この世に生きた証明だ。

残された私は、その生き様に希望の灯を得て、

いつか訪れる死を目指して生きていくのだ。

私の大切な幾つかの生きた証明が、希望の灯となり、

私は、私のための生きた証明を掴んでやろうと、そう思った。

 

ということで、とっくに10月ですよ~。

我が家の猫達は、

うんこの闘病中も様々だった。

 

のん太はかかぁに甘えられない分、

たれ蔵がいつも以上に面倒を担いながら、良い子に過ごしてくれた。

こんな感じで、

 

こんな感じだった。

 

あやは、今までの先住猫の最期には

ナイチンゲールみたいに付き添ったが、

うんこには、付き添わなかった。

実は気高い古風なうんこは、それを拒んだのだ。

「こっちへ来ないで。」といった具合に、全ての猫を遠ざけた。

あやは、それに従って、決して、うんこに近付かなかった。

遠くで、静かに気にしていた。

騒がしいあやが、本当に静かだった。

 

それでも、

おたまは、通りすがる度、

うんこの頭を舐めていく事を怠らなかった。

さりげなく、あっさりとね。

 

そして、うんこのネズミさんは、

うんこの棺に入れてやれなかった。

うんこ、ごめんな。

ネズミさんは、母さんに貸しといて。

はい、ピンボケ~。