うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

新年に拍手

2023年01月04日 | 日記

今日は、

服を着ようと思う。

 

おはようございます。

今日は久しぶりにスウェットを脱いで、服を着ようと思っている。

ついでに、ちょっと化粧もしておこう。

父と銀行へ行くためだ。

そろそろ本気で、両親名義の財産を整理しておかなければ、

面倒なことになる。

略奪婚の我が両親は、戸籍がなかなか面倒なままになっているせいだ。

今日は、その相談をしに、銀行へ行く。

 

うちは、決して財産家ではない。

現役時代の父さんの稼ぎを考えれば、

もう少し貯金できたんじゃない?という程度の財産しかない。

その程度の財産のせいで、

将来、頭を悩まされる可能性がバカらしい訳だ。

 

もちろん、額に私が意見する立場ではない。

好きなだけ遊んで使い切って、満足して死んでいけば、最高じゃないか。

そう思う。

ただ、人間というのは、それで満足しないから面倒なんだ。

好きなことやって、好きなだけ金を使って生きていくと、それに慣れる。

そして、それ以上の満足を求めるようになる。

知らず知らずに、新たな願望は膨らみ続け、

心の余裕を圧迫していく。

自由に生きて来たように思える両親が、窮屈に見えてならないのは、

諦めの境地を見たことがないからではないだろうか。

中途半端に、欲しいものが手に入ってきた弊害かもしれない。

いい人生だ。そりゃいいような気もするが・・・・。

 

諦めた先にしか訪れない幸福というものがある。

私は、そう考えている。

欲しいものに手を伸ばすか伸ばさないかは別として、

欲しいものが手に入ったからいい、というものではない気がする。

逆に、何も手に入らなくても、人は幸福になれるのだ。

 

死に物狂いで手を伸ばし、願い苦しみ、怒り泣く意味は、

その先に、清々しいまでの諦めの境地が用意されているからだ。

そこまでたどり着けば、その手は何も持たず軽やかなはずだ。

お手上げ状態の自分にパラパラと拍手しながら、カラカラと笑える境地だ。

そんな時、私はもっとも穏やかな幸福感に包まれる。

願い苦しみ、怒り泣いた長い時が、無駄だったと知る、その瞬間だ。

 

私は、その瞬間のために、恐る恐る手を伸ばす。

よし、苦しむぞー!っと腹をくくってさ。

 

そんな1月は

うめさんだ!

有限の時を共に生きた、うめさんだ。

 

うめが居なくなるなんて、あり得ない。

私は、そう言い続けながら生きたが、

今、この手には、うめの被毛の1本たりもない。

それなのに今は、

「あやが元気じゃなくなる日が来るなんて、あり得ない」と言っている。

私は、まったく懲りていない。

 

チロ、パンチョ、インコちゃん、ぼく、ちび、

うめ、よね、きく、こしょう、うんこ、

別れた夫、大好きだったアイツ、続けたかった仕事、なりたかった自分、

若さ、笑えなくなった右顔、ぶっ壊れた脳みそ、貸した金、失った信頼、

ああ、数え切れない。

拍手と共に笑ってやろう。

 

死ぬ気で求めたものだから。

本気で愛したものだから。

さあ、手を挙げて、軽やかに拍手しよう。

自分自身に、喝采を。

 

こっちは、喝采ではない?

あや「やーいやーい、ざまーみろ~」

 

あやさん?

次は貴女も、こうなるのよ?

たれ蔵「ぼくは、頑張ります!」

偉い!!