うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

デーハーな平和

2023年02月17日 | 日記

皆様、

私のインスタ見切り発車に、たくさん応援を頂き、

誠にありがとうございます。

 

おはようございます。

「こっそり、世話をさせてください。こっそりと。」

私は、そう社長に直談判した気がするが、かなりデーハーな動きをしている訳だ。

チャー坊のトイレをどうするか問題も、あらゆる人に聞き込みをしているし、

インスタとか始めちゃってるし。

この土日は、チャー坊のお家を設置した車庫内を、

デーハーに掃除して模様替えしてやろうと企んでいる。

 

どこが、こっそりだよぉ!

 

という声が聞こえるような気がするが、きっと気のせいだわ。

そう、気のせいなのよ。

だって、そもそも、チャー坊がデーハーなんだもん。

あの子は、非常に目立つ存在なのだ。

人懐っこいし、被毛はまるで陽だまりの畑みたいな色だし、

そのくせ、どんな荒波を越えて来たんだろうって感じの顔つきだしね。

 

もしかすると、生れて初めてかもしれない。

私がやりたいことを、人様に声にして宣言したことは、初めてかもしれない。

 

私ごときが自己主張したら、人様に迷惑になるのじゃないか?

笑われるんだろうし、軽蔑されるかもしれない。

やりたいことを、やりたいなんて主張する資格は、

何の価値もない私には、ないんだ。

 

私は、本気でそう思って生きて来た。

人生のどこかで、卑屈になってへそが曲がって、そう考えるようになったのじゃない。

物心ついた頃から、私は自分が後ろめたかった。

誰よりも醜く、誰よりも汚い気がしていた。

5歳の頃、怪我をした友達を心配しているくせに、

心の片隅にいる、

「大したこと無いのに、騒いじゃってさ」

と呟く自分を見つけてしまったからだ。

あの時からだ。

私が私を後ろめたく思えるようになったのは、あの時からだった。

 

だから何でも、コソコソやっていた。

やりたいことをやらずに来たのじゃなく、コソコソやっていた。

コソコソとできることしか、やらないようになった。

そうすると、何をしていたって、後ろめたさがさらに重くのしかかるようになった。

けれど、その根底にいる、

「コソコソやれば、いつ止めたって誰にもバレないもん」

と囁く自分に支えられていた。

 

しかし、チャー坊のことは、コソコソやるのは無理だった。

だって、あの子がデーハーなんだもん。

ありがとう、チャー坊。

 

さてと、

我が家の猫らは、いたって平和だ。

ありがとう、ありがとう。

そんな我が家のデーハーな白族

おたまも、ホットカーペットを堪能しているのだね?

平和でいいなぁ。

 

見事な香箱で堪能している、おたま。

 

と、

えっらそうに寛ぐのん太。

デーハーだね~・・・