うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

この10日間

2021年10月21日 | 日記

ついに、

突然、ガスファンヒーターを出した。

 

おはようございます。

それほど、急に寒くなったからだ。

うんこを見送った10日前は、まだ夏みたいに暑かったのに、

今はまるで、冬みたいだ。

 

この10日間のうちに、きくの4回目の命日もあった。

そうだった。

きくは、10月15日が命日だった。

このブログを書き始めて6年以上になるが、この6年で、4匹の猫を見送った。

うめに始まり、その次がきくだった。

 

だけど、今は何の感慨も持てずにいる。

実は、うんこが居なくなった淋しさも感じない。

不思議なくらい、何も感じないのだ。

 

私は今、忙し過ぎる。

忙し過ぎて、心を亡くしている。

懐かしむ心も、淋しむ心も、亡くすほど余裕がないのだろう。

ちょっと静かに暮らしたいな。

猫みたいに、静かに暮らしたい。

 

でも、きくなら、こう言うだろう。

「なに、甘えたこと、言っとるんや!」

って、これは4年前のかずこさんだった。

 

これでいいのかもしれない。

だって、きくやうんこは、もう苦しんだりしていないのだろう。

どうせ、極楽で、どんちゃん騒ぎしてんだろう?

だったら、それで充分だ。

私がやりたいことは、この世にある。

今、ここに、たくさんの案件がゴロゴロ転がっているんだから、

私は、そっちを頑張るよ。

 

まずは、この急に寒くなった今、

私は何を着ればいいのか、その案件に取り組もう。

もう訳が分からなくて、

カーディガンの上にカーディガンを羽織ってるくせに、

足元は、まだ夏仕様から切り替えられていないのだから、

そっちを頑張ろう。

 

いや、こっちも、気になる!

これ、何でしょう?

 

これは、だーれだい?

 

たれ蔵「僕だよ、母ちゃん。ねえ、母ちゃん、びっくりした?」

うんうん、びっくらこいたよ~。


ありのままの色

2021年10月19日 | 日記

今更だけど、

いまや我が家は、白と黒しかいない。

 

おはようございます。

白黒のあや、真っ白なおたま、黒いたれ蔵と

まっちろなのん太。

お葬式か!

蓮舫さんのワードローブか!

ってくらい、蓮舫さんは、白か黒のお洋服が多い。

 

しかし、私も蓮舫さんに負けていない。

もはや、スティーブンジョブズの異母兄妹みたいだな~と

時々思うのだけれど、

それほど私のタンスの中は、ネズミ色だ。

そんな私に、ひょっとすると、

ジョブズのかつての恋人だったかもしれない母かずこから、

綺麗な色のヘアーキャップをもらった。

 

けれど、この被り方の正解が分からない。

洗い立ての髪を巻き込んで、ボタンで留めるんやと、

かずこは言うが、

これで、正解なのか?

 

これで、寸法合っているのだろうか?

下半分、びしょ濡れです!

 

おい、おたま?

私も頭が大きい方だが、お前も頭大きいよな?

おたま「おっかー、隠すとこ、目じゃねー気がするだ」

うん、どっちかっていうと、ほうれい線隠したいよな!


金魚とふん

2021年10月17日 | カズコさんの事

昨日は、

また、かずこさんが家出してきた。

 

おはようございます。

「ほい、寝とるんか?」という母の声で、昼寝を中断された。

「わし、ジジィに怒れるで、パチンコ行ってくるんや。

お前、わしの車の鍵持ってるやろ?出せ。」と言うので、

「じゃ、私も一緒に行くわ」となり、

私は母かずこを乗せて、パチンコ屋さんへ車を走らせた。

 

トイレを借りる以外で、パチンコ屋へ入る事のない私が、

このボケ老人を連れて未知の世界へ入るのは、不安でしかない。

 

どんなシステムなのだろうか?

かずこさんは、もう2年以上パチンコ屋へ行っていないから、

システムなど、とっくに忘れているだろうし。

ドキドキが止まらない私は、助手席の母をちらりと見たが、

かずこは、既に勝負師の顔になっていた。

 

車を停めると、かずこさんは、すすーっと滑らかに歩き、

入り口さえ分かりづらいメタリック巨塔の城へ、我が物顔で吸い込まれていく。

私など、もはや、かずこの金魚のふんでしか、存在価値が無かった。

 

かずこは、空いている台に、全集中。

じーっと機械を眺め、次へ次へと、その儀式めいた所作が続き、

ある台の前で、ピタッと止まり、指をさした。

まるで、獲物の気配を察知した猟犬だ。

 

私は、その隣に、ぽかんとした顔で座った。

かずこは、私の真横のスマートな機械に1万円を滑り込ませ、

台に設置してある謎の赤いボタンを押し、「ほれ、やれ!」という合図をした。

「えっ何が起こっているの?」と戸惑いながら、

かずこに習って、玉を打ち始めた。

金魚のふんが、猿真似を覚えた瞬間だった。

 

15分ほど経過した頃、

かずこは、私に台を替われというのだ。

大騒音の中、マスクで読唇術も使えず、

何を言っているのか聞こえないまま、台を替わると、

どうやら、フィーバーしているらしい。

延々とフィーバーするのだ。

機械の中の液晶では、ビキニの娘が躍り歌って、てんやわんやだ。

大暴れでフィーバーしている。

私は、囚われた猿のように

「何がどうなってんだ?」と困惑している中、かずこはどこかへ行ってしまう。

追い掛けたいが、ハンドルから手が離せない。

綺麗な金魚から、ふんが切り捨てられた。

 

それでも、1時間半の間、

機械は、ずーっと凄いテンションでフィーバーしていて、

その前に座らされた私は、ずーっとパニックだった。

微動だに出来ず、ふんはカチカチに乾いて行った。

 

やっと救出されたのは、一時間半後だった。

かずこが迎えに来た時には、フィーバーも終わっていたようで、

私はようやく、金魚に救われた。

 

「あの台は、5回はフィーバーするって思ったで、

お前に替わってやって、わしは別の台を狙いに行ったんや。」

と、帰りの助手席のかずこさんは、そう言って、

「ほんでも、良かったなぁ。儲かったやろ?」とほほ笑んだ。

華やかな金魚は、ふんに花を持たせてくれたという訳だ。

「パチンコ屋では、ぜんぜんボケてないんだな」と感心すると、

「わしは、そんなにボケとらんのや!ジジィのほうが、よっぽどボケとる。」

と、かずこさんの怒りが再燃しそうだったから、私は急いで、

「来週はさ、カラオケボックス行ってみようよ」と約束をした。

 

カラオケも好きな母は、スナック以外のカラオケを知らない。

私は、スナックもカラオケボックスもほとんど行ったことが無いから、

いざ行こうとなると、まずシステムから調べておかなければと、

またドキドキしてくるのだけれど、

どうぜ、かずこさんはそんな約束はすぐ忘れちゃう。

だから私は、かずこさんにだけなら、どんな約束でもできる。

凄く適当に、軽はずみに約束ができるなんて、

なんか素敵だなって、無邪気に約束を喜ぶ母を見て、そう思った。

 

さて、のん太を探せ!

洗ったカーテンの中に、のん太がいるよ。

 

これなら、わっかるかな~?

 

ほれ、ここ!ここ!

 

おたま「のんは、なにしてるだ?」

戯れてんの。

綺麗に洗ったカーテンに、のん臭を付けてんの。

止めて欲しいの。

 

止めて欲しいのよ、のんちゃん?


猫は、優しい猛獣

2021年10月16日 | 日記

この半生で、

もっとも多くの涙を排出したのは、

おそらく、うんことの闘病期間だっただろう。

 

おはようございます。

これでもかってくらい泣いた。

でも、不思議なもので、居なくなってもっとも辛かったのは、

実はきくが死んだ後だった。

あれを、ペットロスと呼ぶのかは分からないが、

とにかく精神が不安定になり、何かせねばと思い、

どういう訳か、婚活をしていた。

かなり、いかれていた。

婚活サイトに登録しただけでも、いかれていたが、

プロフィールに、1歳サバを読むという、いかれぶりだった。

そのくせ、『同居している男性が一人おります』っということは、はっきりと明記した。

まるで、子供が一人いますといったノリで、書いた。

かなり、いかれちゃっていた。

 

じゃあ、今は正常なのかと問われれば、

それは今では分からない。

過ぎてみないと分からないってことがあると思うのだ。

だって、きくの亡き後のいかれっぷりも、

その時には、普通に当たり前のように、いかれていたから。

とにかく、もがいていたんだ。

きくが居なくなった日から、酷くもがいていた。

 

今も、もがいている。

もがいて、いっそアラブの石油王に嫁げないか企んでいるわけでは無く、

きくみたいな婆さんとの日々に、もがいている。

でも、私はきくとの15年間のおかげで、

きくとの別れの経験のおかげで、

きくみたいな婆さんのことが、許せるようになっていた。

癖の強い手の掛かる婆さんが、きくみたいに愛おしくなるのだから、

やっぱり私は、今もいかれているのかもしれない。

 

たれ蔵「祖母ちゃん、また家出してきたの?」

かずこさんも、もがいているんだよ。

 

たれ蔵「大丈夫、僕がついてるよ」

猫は優しい猛獣だ。

 

そして、たれ蔵の被毛は、ポメラニアンの触り心地だ。

犬好きな私にも、優しい。


新体制の我が家

2021年10月14日 | 日記

このたびは、

沢山の、うんこへの温かいお言葉を頂き、

誠にありがとうございました。

本来ならば、お一人お一人にお礼を申し上げたいのですが、

この記事を持って、皆様への感謝をお伝えしたいと思います。

 

おはようございます。

うんこは、11日当日に、霊園へ納めて参りました。

私は、うんことの1か月で、改めて感じた事があります。

それは、希望だった。

 

ある日突然、「末期がんで、一週間ももたない」と宣告を受け、

私は絶望した。

あぁ、こういうのを絶望というのだなぁっと思った。

絶望の王道のような絶望だった。

 

誰彼構わず笑っている人が憎らしくなり、

勝手に疎外感に苛まれ、

卑屈なまでに自分の殻に閉じこもり、

うんこを直視することも苦しくて、

そんな愚かな飼い主の元で健気に命を削る猫が、

哀れで可哀想で、どうしようもなく泣くことしかできずにいた。

 

それでも、どうにか記事を書いた。

すると、沢山の人からコメントを頂いた。

有難くて、申し訳ないくらい、心に響いた。

きついな~って時、何度も読んで救われた。

 

うんこは、食欲がどんどん落ちていく中、

ブロ友さんから、以前、

送ってもらった焼き海苔だけはパリパリ食べるから笑っちゃった。

 

友達は、私の留守中に、

うんこの食べられそうな物をビニール袋に詰めて、ドアノブに引っ掛けて行った。

チュール盛り合わせは、今は偏食のん太のチャレンジ食として大活躍だ。

袋に同封されていた、小さなハシビロコウのフィギュアに興奮して、

思わず和歌を作って友人に送った。

 

 

かずこは、いい感じにボケているから、

「うんこが末期がんで」と話す度にお見舞い金を渡してくれた。

一万円を3回、頂いた。

私は、3回とも初めて頂くみたいな顔で、頂戴した。

 

ダメ元で相談した、往診獣医さんは、

「望みを持って、やっていきましょう」と言った。

その時私は、何の望みだろうかと驚いた。

 

けれど、私は何の望みか分からないまま、

希望の灯が見えた気がした。

うんこを照らす、ぼんやりと優しい希望の灯が、

いくつも見えた気がしたのだ。

 

そして、うんこ、そのものが希望の灯なのだと気付いた。

死は、絶望じゃない。

この世に生きた証明だ。

残された私は、その生き様に希望の灯を得て、

いつか訪れる死を目指して生きていくのだ。

私の大切な幾つかの生きた証明が、希望の灯となり、

私は、私のための生きた証明を掴んでやろうと、そう思った。

 

ということで、とっくに10月ですよ~。

我が家の猫達は、

うんこの闘病中も様々だった。

 

のん太はかかぁに甘えられない分、

たれ蔵がいつも以上に面倒を担いながら、良い子に過ごしてくれた。

こんな感じで、

 

こんな感じだった。

 

あやは、今までの先住猫の最期には

ナイチンゲールみたいに付き添ったが、

うんこには、付き添わなかった。

実は気高い古風なうんこは、それを拒んだのだ。

「こっちへ来ないで。」といった具合に、全ての猫を遠ざけた。

あやは、それに従って、決して、うんこに近付かなかった。

遠くで、静かに気にしていた。

騒がしいあやが、本当に静かだった。

 

それでも、

おたまは、通りすがる度、

うんこの頭を舐めていく事を怠らなかった。

さりげなく、あっさりとね。

 

そして、うんこのネズミさんは、

うんこの棺に入れてやれなかった。

うんこ、ごめんな。

ネズミさんは、母さんに貸しといて。

はい、ピンボケ~。