うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

ヘロー!

2021年10月11日 | うんこの事

10月11日、午前3時

うんこが、極楽へ旅立ちました。

 

うんこを見守ってくださった皆様、

誠にありがとうございました。

 

うんこは、最後の最期まで、すごく頑張ってくれました。

日曜日、偶然おじさんもお休みだったから、

ずーっと一日中、うんこを囲って、私とおじさんで、

いろんな話をして、笑ったり泣いたりした。

あんまりにもずーっと囲っていたから、

夜になって、私もおじさんも眠くなってしまい、うたた寝していたら、

うんこが、午前1時頃「グーグー」ってイビキみたいな呼吸をし出した。

私達は、飛び起きた。

それから2時間、私達ったら、再びうたた寝しちゃったんだ。

そしたら、また、うんこが「グーグー」起こしてくれた。

 

そして、大きなため息を何度か繰り返し、

長い沈黙の後、大きく息を吐いて、止まった。

「うんこ?うんこ・・・」

 

と、終わってしまったかと思いきや、

前足をちょこっと動かして、止まった。

「うんちゃん、うんちゃん」

 

と、ついにお別れなんだと思いきや、

後ろ足をちょこっと動かして、ついに止まった。

「うんちゃん、ありがっ」

 

と、さすがに終わったと思いお礼を言いかけた時、

最期はピーンと、まるで背伸びするみたいに伸びて、

そのまま止まった。

私は思わず、「うんちゃん、かっこいいよ」と言った。

 

亡骸は、眠っているみたいだ。

コロンとして、被毛も肉球も、つやつやのままだ。

お腹の赤い炎症も、すっかり綺麗になっていて、

うんこは、ピカピカのまま、私の横に居る。

気付けば、私は、この1か月で、うんこ1匹分、痩せていた。

それくらい、苦しくて特別で、尊くて、有難くて、愛しい1か月だった。

 

うんこ、15年間、楽しかったな。

ありがとう!

ヘロー、うんちゃんよ。またね、バイバイ!


止めて見つけて、諦めない

2021年10月09日 | うんこの事

今朝、

薬を飲ませることを、やめた。

 

おはようございます。

強制給餌は、昨日からやめた。

もう、ご飯も薬も、うんこの喉には通らない。

けれど、お水は美味しそうに飲む。

ちゃんと顔を上に向けて、シリンジから上手に飲むのだ。

蒸しタオルで拭いてやるのも、好きだ。

顔を蒸してから、体をふき、

もう一度タオルを温め直して、お腹、手足、最後は尻を拭いてやる。

そして、うんこのおでこに、

口を付けて、温かい息を静かに吹きかけてやると、

うんこは、小さくゴロゴロと喉を鳴らした。

うんこは、もう首を上げることが、ほとんど無くなったが、

それでも、「うんこ」と呼ぶと、

うんこは必ず、尻尾を動かす。

 

昨日は、往診獣医さんの日だった。

獣医さんが、

「私も、自分の猫の時、最後まであがいて、ぐったりしてる猫に、

必死で薬を口の中に押し込んじゃったりしてました。」

とおっしゃって、

「私も今、口ではもう何時でも逝っていいよっとか言ってるくせに、

うんこの尻尾を必死に掴んで離さない状態です。」

なんて、泣き笑いしながら話していた。

うんこは、どんな気持ちで聞いていただろうか。

「まったくもう!」って思っていたかもしれないが、

「でも、それもこれも、全部受け入れてくれてますよ。

動物は、みんな、飼い主さんのこと、ちゃんと分かってくれる。」

獣医さんは、そう言って、

「じゃ、一応、お薬出しましょうかね」と笑って、

私も、

「はい、じゃんじゃん下さい。」と笑った。

もう飲ませられないかもしれないと、私も獣医さんも分かっていたし、

次の往診の予約の話も、敢えてしなかった。

 

だけど、諦めてはいない。

ご飯や薬が飲めなくても、うんこの好きなことを探し続ける。

うんこが生きている限り、うんこも私も止まらないんだ。

時は止まらない。

うんこも私も、滞ることなく、進んでいきます。

 

でも、おたま?

君はいつまで、そんなハレンチな恰好で止まっている気なのだ?

 

※コメントは閉じております。

近況だけのご報告で、恐縮です。

我が家、愉快な仲間達、みんな相変わらずですよ~


老婆と老猫が頑張る日

2021年10月04日 | うんこの事

今日は、

かずこさんの介護認定調査の日ということで、

仕事は午後からなので、ちょっと時間に余裕があるのです。

 

おはようございます。

うんこさんは、昨日から強制給餌を始めた。

ご飯を出せば、ちゃんと食べようとするうんこさんだが、

思うようには食べられないのが現状だ。

食べる気力がある以上、応援するっきゃないでしょー!ということで、

自力で食べられない分は、私が入れてやろうという事になりました。

 

獣医さんは、

「肝リピドーシスを避けるためにも強制給餌をすすめます。」

と、a/d缶を持ってきてくださった。

この往診獣医さん、もんのすごく良い先生で、

そのa/d缶のお値段を往診の清算に乗せない。

いや、タダで物をくれたから、いい人だと思ったわけでは無いが、

この先生が、そんじょそこらの獣医さんと違うのは、

踏み込んだ話を丁寧にして下さるというところだ。

悩んでいると、

「私の猫だったら、私はこれを選択します。」

と真摯に自分だったらという意見を伝えて下さる。

とはいえ、それを押し付けたりはしない。

あくまで判断材料として、自分だったらという意見を出して下さる。

本当に、「自分の猫ならば」と真剣に考えてくれていることが

痛い程伝わってくるのだ。

そして、終末期の動物の守り方の術を沢山知っている。

そのうえで、

「望みを持って、やっていきましょうね。」とおっしゃって下さる。

決して、諦めるようなことを、言わない。

 

そう、望みは大事だ。

死にゆく家族の前で、もっとも大事なことかも知れないと感じる。

 

治る訳じゃない。

長生きなんて、もう望んでいない。

でも、それでも、望みは、大事だ。

うんこが生きている前で、私が何もかも諦めるなんて、

頑張っているうんこに、失礼だ。

そう感じる。

 

そんな、うんこさんの今朝の様子です。

お水を飲んで

 

勇ましく歩いて

 

うんこ「やれやれ、到着したわ」

偉いな、うんこさん。

 

うんこ「だって、うんちゃんだかんね~」

うん、さすがやね。

 

昨日は、かずこさんとも励まし合ったね。

うんこ「お祖母ちゃん、また家出してきたの?」

1時間だけの家出だったな。