母さんから車を取り上げたら、
休日の昼寝の習慣が無くなった。
おはようございます。
母さんは、先月に受けた審査で、要介護1の認定を受けた。
もう一生、車の運転はさせられない。
本来なら、車も処分したほうが経済的だけれど、
母さんにとって、あの緑色の車は自由の象徴だ。
あの緑色の車に乗れば、どこにだって行けるんだ。
だから、
私は休日になると、母さんご自慢の、あの緑色の車に母さんを乗せて、
母さんの行きたい所へドライブするようになった。
ドライブといっても、そんなに遠い所へなど行かない。
昨日は、母さんが50年も通い続ける美容院だ。
母さんから車の鍵を取り上げて以来だから、一年弱振りになるだろうか。
とよみ美容院。
そこは、とよみ先生が一人で切り盛りする、小さな美容院だ。
私も子供の頃から何度も母さんに連れられて、髪を切ってもらっていた。
子供の私が楽しみだったのは、とよみ先生がくれる飴と、そこに暮らす猫達だった。
とよみ美容院には、いつだって、自由で接待が上手な猫達がいた。
髪を整えている母さんを待つ時間、
私は隅の長椅子に座り、大きな飴を頬張りながら、
子供のくせに女性雑誌を読んでいる振りをして、
半開きのガラスの扉から出入りする猫達をこっそり眺めていた。
決して、自分から触りに行ったりはしない。
そんな無礼なことを許さない雰囲気が、とよみ美容院の猫達からは漂っていた。
だから私は、気付いてくれたらと願いながらこっそり見ていた。
そして、
猫達の中に気が向く子が居れば、スリンと擦り寄ってきてくれるという次第だった。
とよみ美容院は、いつ行っても、その時代に生きた猫達が居た。
そんな具合なのに、
猫が大嫌いだった母さんが、そこへ通うのが不思議でならなかった。
ところが、昨日は、一匹も猫を見なかった。
そんなことは、初めてだった。
とよみ先生は、ひと回り小さくなっていて、
トレードマークだった金髪は黒く染められていて、
歩くのもおぼつかない様子だった。
でも優しい笑顔は相変わらずで、察しの良さも相変わらずだった。
「今ね、猫はひとつも居ないの。ごめんね。
猫もさ、こんな婆さんに拾われても嬉しくないもんね。
最近、野良を見つけても、あっちから寄ってこないの。
猫って、分かるんだよね。うふふ。
おかっぱちゃんとこは、今、何匹おるん?」
今4匹っと答えると、大体の人はそんなに?と驚くが、
とよみ先生に、4匹と答えたって、驚きはしない。
百戦錬磨のとよみ先生は、なん十匹もの猫を助けてきた。
触れない生粋の野良だって、「助けて」と言って来れば、
「さぁ、どうぞ」っとあのガラスの扉を開けて迎え入れてきた人だ。
ある時は、
「避妊したはいいけど、捕まらんもんだから、
抜糸がね、なっかなか出来ないのよね~うふふふ」と、
傷のできた腕を擦りながら、愛おしそうに笑った。
「さっきね~、もうお腹が大きかった子を家に入れて産ませてやったんだけど、
その子猫欲しいって、近所の人が来たもんだから、
ちゃんと可愛がってくれんと許さんかんねって言って、あげたとこ。」
と、半泣きで笑った。
私は、昔から替わっていない長椅子に座り、そんなことを思い出していると、
「かずこさん!」っとガラスの扉を開けて叫ぶ老婦人がやってきた。
「緑の車が見えたもんで来たの。良かった。
元気だったの?良かったわ~。久しぶりに会えた。」
とよみ先生は、
「かずこさんの髪を触ると、さぁ仕事だって気合入るのよ。
緑の車が見えて、よし来たって嬉しかったの。」
と笑った。
そんなわけで、それから2時間、
私はやっぱり飴を口に入れて、長椅子で女性雑誌を読んでいた。
私は、年老いた女性たちのおしゃべりと、
母さんの髪を愛おしそうに整えるとよみ先生をこっそり眺めながら、
ここに猫が入ってくれば完璧だと、少し切ないような癒しを感じた。
そんな昨日は、図らずも、とよみ先生の誕生日だったらしい。
とよみ先生「今日は、いい誕生日になりました。うふふ」
帰りの車中、私は母さんに
「ケーキでも買ってこれば良かったね」と言った。
すると、母さんは
「そういうのは要らんのや、わしらの間は。
特別な事せんでいい。通って勘定を払い続けるんや。」
と、前をまっすぐ見て、そう言った。
そんな母さんやあのご友人やとよみ先生が、かっこいいなって思えた。
癒された~っと帰ると、我が家はあやが叫ぶ
あや「おばちゃ~んおばちゃ~ん」
あや「おい、なんだよぉ!」
おたまは、何にもしてないじゃない?!
おたま「へっ?へっ?なに?」
ほら、こんなんになっちゃったじゃん?