この間、激怒ったから、その余震でぶるぶるとしていたんだけど、昨日、すごい悲しみがやってきて、ふっと落ち着いた。
落ち着いたら、やる事が山積みになっていて、ぎゃああああああ!!!
今日は、朝から、せっせと働く働く。
メールの返信もためてたし、マリアブルーの注文は、ラベンダーのバーム作ってからで良いよねぇ~ なんてのんびりしていたら、なんと!普通の注文も一件あって、ぎゃあああああ!!!!!
懺悔します。
あっちゃん、ごめんなさい。
おまけつけるし、許してね。
しかし、なんだろ?あの悲しみ?と思っていたら、ああ、阪神淡路大震災の日だったんだ。
毎年書いているような気がするけど、あの震災はご縁があるんだ。
あの年、1995年1月、私は札幌の実家に居たんだ。
元旦那のあのめちゃくちゃぶりと、元旦那の家族のめちゃくちゃぶりに耐えられず、離婚するつもりだったんだけどな。
子供2人も産んじまったし、武士は長男だし、長男奪うのは人間としてどうよ?と悩み、それでも我慢できないしと悩み、そんな帰国だったんだな。
年末年始は、私の両親と年を越し、日本人らしいイベントを経験して、寝ました1月1日。
「一富士(いちふじ)、二鷹(にたか)、三茄子(さんなすび)←ウィキペディアより
と言うじゃないですか。
今年こそ、何か流れが変わって、幸せになりますように!と、願いを込めて寝たんですけど、見た夢が、大震災の夢だったんですよねぇ。
朝、起きて、誰かに話しをし無くちゃ!と、その気持ちでいっぱいになって、出版社とかテレビ局とか連絡しなくちゃ!と、焦っていたんだけど、家の両親は笑い者にするし、確かに、普通に考えて、そんな世紀末みたいな話しあるわけないじゃーん!とも思うし。
もんもんとしてすごしていたら、17日の朝。
母に叩き起こされて、テレビを見たら、あの夢で見た光景が画面にあったんだな。
衝撃だった。
ただ、私は、あそこで死んでから、あの世へ行くまでの夢を見ていたので、そんなに精神的なショックを受ける事はなかったんだ。
軽い臨死体験だよね。
エネルギーの世界には、当たり前だけど、臭いも無いし、人でぎゅうぎゅうでも、圧迫感が無いから苦しく無い。
いっぱい人が居るのに、とてもゆったりできるんだな。不思議な感覚だった。
お亡くなりなった方々の、ご冥福をお祈りいたします。