武士が見に行って「あれは、絶対におすすめだよ!子供から大人まで楽しめるよ!すごく奥が深いアニメだよ!」と鼻息荒く、興奮して言っていたので、美鞠と見に行って来ました。
3Dだったので、料金高いよ!と思ったけど、幸い、美鞠は障害者、あたしは介護者。
オーストラリアは、介護者は付き添いなので、映画は無料なのだ。
ラッキー!!!
写真入りのIDが無かったからダメかと思ったら、身分証明書で行けたから良かった。
$18儲けたので、帰りに2人で晩ご飯食べて帰って来ました。浮いたお金は社会に還元!
しかし、この映画、ホント奥が深い。
ここから先は、ネタバレになるので、楽しみにしている人は読まない方が良いです。
もともと、原作からして、奥が深い話しなのですよね。
貧乏な夫婦が隣の家の野菜を盗んだ。
隣の家には、悪い魔女が居て「野菜と子供を交換しよう」と言って来た。
夫婦は、しかたないので、子供を渡した。
子供は塔に閉じ込められて、塔の上で育てられた。
ある日、王子さまが偶然美しい娘を塔の上に見つけ、2人で共謀して悪い魔女を殺し、幸せに結婚しましたとさ。
大筋はこんな感じだったかな。
ここで、子供は、良い人と悪い人が存在するので、悪い人が死んで「善は勝つ!」となる。
大人は、考える。
野菜盗んじゃいけないけど、子供と交換って、ありえないだろう?
そりゃ、塔に閉じ込めて自由を奪うのはいけないけど、そんなに美しく心優しく育ててくれたのは、その「悪い」と言われている魔女なのだから、その「悪い」魔女は、本当に悪い人だと言えるのか?
そこまで、世話になった人を、簡単に「悪い魔女」というだけで、殺せるのか?
社会的に「悪い魔女」だとしても、ラプンツェルには良かったのではないか?
映画のラプンツェルは、縫い物、編み物、料理、家事はなんでもこなせ、本も読んで楽しめるし、絵も自由に描ける。
それらの技術は、全て「悪い魔女」に教えてもらったはず。
なのに、簡単に悪い魔女の死を喜べるのか?
美鞠は、「子供をさらっちゃダメだよ」と言った。
ママは、「金の花を飲まないで、歌って使えば魔女は、花を盗んで子供は盗まれなかったんじゃないか?」と言った。
美鞠は、「でも、あの時は、歌を歌うってことは誰も知らなかったんだよ」と言った。
ママは、「誰も知らなくても、あの花を100年も生かせたのは、魔女なんだよ。王様達は見つけてすぐ殺してしまったじゃないか」
美鞠「でも、お妃様が病気だったから、仕方なかったんだ」
ママ「でも、その花が無いと、魔女が死んじゃうんだ」
みんな、自分たちが生きるのに必死だっただけじゃないのか???
ただ、生きたかっただけなんじゃないのか???
それに、良いとか悪いとか、価値観をつけるのは、神様でもできないんじゃないのか???
この議論は、武士が帰って来たら、3人でやってみよう(^^)
武士、昨日はナイトクラブで朝まで騒ぎ、今日は彼女宅へ泊まりに行ってますわ。
来週は、元旦那が戻ってくるし、なんだか、離婚してから、良くメルボルンに来るわねぇ???