6月30日。日曜日。大雨のち曇り。
今日もいろいろありました。
朝9時半。
『主日ミサ』
ろうそくに火を灯し、ミサの始まりを待つ。
『すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。』
『今日の入祭唱』 詩編47-2
今朝は、侍者の小学生4人と共に、私は『聖体奉仕』のお勤めでした。
『ご自分の命を捧げてくださったキリストに合わせ、
わたしたちも自分自身をささげることができますように。』
『今日の奉納祈願』
小学生たちは、蒸し暑く祭服の下の体は汗、立派に奉仕をこなします。
素晴らしい。かわいい。
午後3時47分。
トランプ氏とキム氏・・・ 『パンムンジョムで面会』
お二人で見つめ合って、『軍事境界線』を、歴代アメリカ大統領初、超えました。
その瞬間。
キム氏: 『よからぬ過去を清算するということですね。』
トランプ氏: 『友情を感謝します。素晴らしいことが起きています。
初めてお会いした時から好きでした。』
と、言い合った。
この、『面会第一声』を聞きたくて、興味津々で、
テレビの前に張り付いていた私です。
キム委員長の『言葉』に魅かれました。
そこで私は思い出しました。
神は、 『食物を収穫する時は、畑の隅まで刈り尽してはならない。
これらは貧しい者や、寄留者のために残しておかなければならない。』レビ記 19章9-10節
と、『命令』された。
禅宗は、『自分たちの一番大事なものは他人のためのものであるから残しておく。」
と、『天の理』を教える。
『よからぬ過去の清算』 は 『分配』 から始まる。
と、私は考えました。
そして。
今日は6月30日。年間第十三主日。
『天の理=イエス』 に従うことは、生易しいことではありません。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。
一行が道を進んで行くと、
イエスに対して、
「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。
イエスは言われた。
「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
そして別の人に、イエスは言われた。
[死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。
あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」
また、別の人も言った。
「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。」』
ルカ福音書 9章51-62節
イエス様に従うということは、生易しいことではない。
『神の命令』に従うには、尋常ではない覚悟が必要なのです。
同様に。
『天の理』に従うことも、自己を捨てることであり、覚悟がいるのです。
イエスは、
『最期の時=十字架上での死』を悟り、
愛する弟子たちと共に、エルサレムに登られる覚悟をなさいました。
その道中。
愛する弟子たちに、御自分の弟子であるゆえに味わう『苦しみ』 と、
弟子であるための『覚悟』を、述べられました。
動物ですら寝床がある。しかし、寝る所もないほどに迫害を受けることもある。
父親の葬儀は、信仰者でない者に任せなさい。
親の埋葬の時間は『神の国』を言い広めるために使いなさい。
宣教を始めた者が、世を懐かしんで、後ろを振り向くことは許されない。
『覚悟』は、『忍耐』を要し、必ず『希望』につながるのです。
私たちキリスト者も、イエスの弟子です。
宣教者としての『使命』を与えられた者です。
『覚悟』を要求されるのです。
当時の弟子たちは、一緒に、共に行動しました。
今の私たちも、共に信仰を分かち合いながら、共に頑張りたいものですね。
『今日の奉納祈願』
『わたしたちの父である神よ、主キリストの招きにこたえて祈ります。
ご自分の命をささげてくださったキリストに心を合わせ、
わたしたちも自分自身を捧げることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末はいかがでしたか? 雨にも負けず、今週も明るくいたいものですね。 お元気で!