マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

神がかりの夫の実力・・・ 『牛肉800g』 そして 『皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。』

2019-09-30 20:52:26 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

9月30日。月曜日。快晴。夏日。

またもや。
夫。

   神がかりと言うべきか・・・    『ゴルフ準優勝』
 
     3cm厚さの  『牛ヒレ肉 800g』       超うまし。

   
  夫は、昨日の大きなコンペで、ハンディーゆえに優勝を逃し、『準優勝』
      実質においての『実力トップ・一位』

   夫は、事前練習をすることがなく、本番で『頭脳のゴルフ』 をする。
夫は、勝負師のように、すべての試合を、自分のゴルフも仲間のゴルフも、記憶する。
   夫は、ゴルフに関しては、非常に『謙虚』で、おごることがない。

  夫には『ゴルフの神様』が乗り移っているのではないか! と思えたりする。


私も。

   ひょっとして『神様が乗り移っておいで?』 と思える経験を、2度しました。
神様が乗り移っておいで?!の私の姿を見た私の知らない婦人が、お二人、洗礼を受ける決心をなさったのです。

 お一人は・・・
 私は、交通事故で生死をさまよっている小学5年の我が娘が寝ている病院のベット
                     の足下で祈っていた。
 
   見舞いにおいで下さった娘の友人のお母様は、
      祈る私を見て、私に声をかけることなく帰られた。

その2年後・・・「お母様の祈る姿を見て私は決心しました」 と洗礼を受けられました。


もう一人は・・・

 私は、教会の『聖書100週間』クラスの時
    参加者の皆様のため『お茶』を準備し、お出ししていました。
 
   教会で、同じ時間に『カトリック要理クラス』 に御出席のご婦人が
   私の毎週の『お茶』の準備と片付けの姿を、見ておいでだったようです。

ある復活祭で・・・「あの方が代母になってくださるなら」 と洗礼を受けられました。

 

 私の姿をご覧下さり・・・私の存じ上げない方たちお二人が洗礼を決心なさったのです。
     
        お二人の婦人に洗礼をお与えになるために、
   ”神様が私に乗り移っておいでだったのだは!” な~んて考えました。

     謙虚に・・・、無心に・・・、子供のように・・・、
      神様は、そんな人がお好きなのようです!

 

そして。

今日は9月30日。年間第二十六月曜日。

  イエス様は『小さい者』がお好きです。

 

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。

   イエスは彼らの心の内を見抜き、
   一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた。
   

「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。
 わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。
   あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」』
                  ルカ福音書 9章46-50節


  弟子たちは、
  イエスのそばで学びながらも、どんな人が真に『偉い人』なのか、分かっていませんでした。

  イエス様は、
  弟子たちに教えるために、
  小さな無力な子供を真ん中に呼び寄せ、
      「この子供のような人こそ、『最も偉い人』なのだ」
        と、弟子たちに子供たちを指し示しました。

  子供は、
  社会の中では、目立たず、謙虚で、『最も小さな者』 なのです。
      そんな『最も小さな者』 こそ 『最も偉い人』 である。
          と、イエス様は断言なさるのです。

更に。

  イエスは断言なさいます。

 「世の中の『最も小さな者:弱い者』 を受け入れ、その人たちのために働くことは、
    イエスを受け入れ、神を受け入れることなのです。
      『最も偉い人』になるための働きなのです。」 と。

 

   イエスに倣って、『人に仕える人』 が 『一番偉い人』 なのです。
       


『今日のハレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、
     多くの人の贖いとして自分の命を与えるために来たのである。』アレルヤ、アレルヤ。
                        マルコ福音書 10章45節


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
世間の考え方とイエス様の考え方は正反対のようですね。 お元気で! 


『いつも光の子として歩みなさい。』・・・『幼児洗礼式』 そして 『神の人よ、あなたは、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。』

2019-09-30 08:51:06 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

9月29日。日曜日。晴れ。


今朝のミサの喜び。

  国際結婚カップル・・・   『幼児洗礼式』
  
 
       『洗礼の水』が注がれて
    赤ちゃんも司式司祭様もパパママも代父も皆も、ニコニコ顔。

次に。

 『キリストの光の授与』  赤ちゃんの代わりにパパが『光』を受けました。

司式司祭の言葉:

   『あなたは、キリストの光をもたらす者となりました。 

        いつも光の子として歩みなさい。』

     
     教会員全員で、喜びと祝いの拍手をしました。
             


その以前。


  イエスの両親も、
      幼児のイエスを主に捧げるために神殿に入ったときに

      神殿内にいたシメオンが幼子を腕に抱き、神をたたえて言いました。

          「わたしはこの目であなた(神)の救いを見ました。
    『万民のための救い主』 がこの世に 『異邦人を照らす光』 として現れた。」 と。
                   
    ルカ福音書 2章22-32節


使徒パウロも言いました。

    『あなた方は、今は主キリストに結ばれて、『光』 となっています。
           『光の子』として歩みなさい。
       『光』から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです』
                  
エフェソの信徒への手紙 5章8&9節


イエス様ご自身も言われました。

     『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』
                      ヨハネ福音書 8章12節 

     
     イエスは、『光』となって、人を照らし、人を神に導くために、この世に来られたのです。

     私たちは、イエスの『光』に照らされて、安全に、迷うことなく、
              『光の子』として、『御父・神』に近づいていきましょう

 

そして。

今日は9月29日。年間第二十六主日。

   『世界難民移住移動者の日』 

   難民となって他国に住む人々の不安や望郷の思いに心を向けさせてください。
   社会や教会のつながりを通じて支え合っていけますように。 
                    ・・・と、皆で祈りました。

 

『今日の 第一朗読 アモスの預言

『主は言われる。

   「災いだ、シオンに安住し サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。
お前たちは象牙の寝台に横たわり 長いすに寝そべり 羊の群れから小羊を取り 牛舎から子牛を取って宴を開き
   竪琴の音に合わせて歌に興じ ダビデのように楽器を考え出す。
     大杯でぶどう酒を飲み 最高の香油を身に注ぐ。

   しかし、ヨセフ(北イスラエル国)の破滅に心を痛めることがない。

それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き 寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる。』
             アモス書 6章1&4-7節


     私はどうだろうか?
     世界難民移住移動者の方々に、
     いつも心を向けているだろうか? まじめに向き合ってお話をしたことがあるだろうか?



『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉

  『神の人よ、あなたは、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。

     信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。 

わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この捉を守りなさい。』
                       テモテの教会への手紙 6章11-16節

     
     私はどうだろうか?

     世界難民移住移動者の方々に、
     正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和の心を、分かち合ったことがあるだろうか? 


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉


『そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。

ある金持ちがいた。
  いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
  
  この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
    その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。

      犬もやって来ては、そのできものをなめた。

やがて、

この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。
  
金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら、炎の中でもだえ苦しんでいます。

アブラハムは金持ちに言った。

『子よ、思い出してみるがよい。
お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。
     今は、ここでラザロは慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。』
                 ルカ福音書 16章19-31節


    ラザロは、貧しい人困っている人の代表者、神様やお人の助けに頼る人です。
    金持ちは、自分の実力があるので、神やお人の助けに頼ることがない人です。

    ラザロは、お人の門前で物乞いをしながら、謙遜に、神に希望をかけています。
           金持ちは、ラザロに気づくこともなく、お人のことは考えず、自分のことだけです。


  私たちは、『光の子』として、周りの人々、特に貧しい人に、配慮していかなければなりませんね。



『今日のハレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
イエス・キリストは富んでおられたのに、貧しくなられた。あなたがたがキリストの貧しさによって富むように。』アレルヤ、アレルヤ
                    コリントの信徒への手紙Ⅱ 8章9節

 

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
洗礼を受けて神の子となる。神とお人の声をいつも聞けるようになるための二度目の誕生です。 お元気で!