マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

萌え出る新緑 そして 受難の水曜日・・・『あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』

2019-04-17 05:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

4月17日。水曜日。

 玄関前の大木・・・   『萌えるもみじ』
 
  
       梅。桃。八重桜。そして もみじ へ・・・。
  我が家の小さな庭の樹木たちが、たがうことなく季節を告げてくれます。
      美しい新緑の神々しさに、手を合わせたくなる。合掌。

 

そして。

今日は4月17日。受難の水曜日。

 日曜日から始まった『受難週』も、今日で4日目になります

 

思い起こせば・・・

過越の祭りの六日前、受難週の前日の土曜日。

イエス・キリストと弟子たちは、ベタニヤに来られます。

 イエス・キリストは、ベタニヤの町の、シモンという人の家に滞在されます。
    人々は、イエス・キリストのために、晩ごはんの用意をします。
 
  『そこには、イエスが死人の中からよみがえ らせたラザロがいた。
 
   イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。
    ラザロイエスとともに食事の席に着いた人々の中にいた。
 そのとき、マリヤが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って きて、
 
   イエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐった。

     家は、香油のかおりで、いっぱいになった。

弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人に施さなかったのか。」

イエスは言われた。
       「この人のするままにさせておきなさい。
     わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
貧しい人々はいつもあなた方と一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」』
                         ヨハネ福音書 12章1ー8節

 
 イエスとともに食卓を囲む人たちには、色々のかかわり方があるものです。
    兄弟であるラザロ、マルタ、マリアも、全く別行動です。 

     
   後に裏切るユダは、
    『彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。
彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。』
                       ヨハネ福音書 12章6節

 

     他の弟子たちは
   マリアの行動を見て、何と思ったのでしょう? わかりません。
      でも、マリアの行動に何の反応もないということは、
     埋葬のための用意であるということが、見えなかったのでしょう。

 

そんなことがあって・・・
受難週が始まりました。

 まずは。

棕櫚の日曜日・主日。
 
     
   『祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られたと聞き、
     なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。

 「ホザナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」

       イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。』
              ヨハネ福音書 12章12-14節

 それから。

神殿の清め。
  
    『それから、イエスは神殿の境内に入り、
   そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。

  「こう書いてある。『わたしの家は祈りの家でなければならない。』
     ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」』
               ルカ福音書 19章45-48節


   イエスは神殿の境内に入りそこで売り買いしていた商人を追い出され、
     神の家である『神殿は祈りの家である』 と宣言されました。
    

多忙な数日間。
         
         イエスは様々なしるしと奇跡を行い、
   更に、 愛に燃えて、エルサレムの敗退ぶりを嘆かれました。
 
      『神の国が近づいていると悟りなさい。
   天地は滅びるが、わたしのことばは決して滅びない。』
                 
ルカ福音書21-33

 

そして。 

今日は4月17日。受難の水曜日。

水過ぎ越し祭が近づき、祭司長たちや律法学者たちは、
    イエスを殺すにはどのようにしたらよいかと考えていたのです。

そんな時、使徒の一人・ユダに迷いが生じるのです。


『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、     
   「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。

    そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
  
そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

 

除酵祭の第一日に、夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。
 

      一同が食事をしているとき、イエスは言われた。
「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

      弟子たちは非常に心を痛めて、
  「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。

       イエスはお答えになった。
  「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。
     
人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。

だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」

     イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、
      「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、
      イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」』
             マタイ福音書 26章14-25節

 

    なぜ? ユダがイエスを裏切ったのかは、私たちにはわかりません。
    あれだけ大事にされても、イエスを信頼できなかったのでしょうか?
        イエスに従う意味をなくしたのでしょうか?
 ユダの心を何もかもお見通しであられるイエス様に気づいて、怖くなったのでしょうか?

     イエス様のみが、ユダの気持ちもユダの企みも、ご存知です。
   イエス様は、一人の離反者に心を痛め、非常に悲しかったことでしょう。

       
    今も、イエス様の悲しみは続いています。

私たちは、仲良く、許しあいながら、イエスを信じて、イエス様とともに歩いてまいりましょう。

 

そして。
いよいよ。

木曜日の日没後。
イエスは、最後となる『晩餐』を始められるのです。
 
 

       『イエスは言われた。
   「苦しみを受ける前に、あなた方と共にこの過ぎ越しの食事をしたいと、
       わたしは切に願っていた。
    言っておくが、神の国で過ぎ越しが成し遂げられるまで、

                   
ルカ福音書 22章14-16節

 

   『イエスは、この世から父のもとに移る自分の時が来たことを悟り、
     世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。

    弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。』
 
                          ヨハネ福音書 13章11節

  更に。
   イエスは、ご自分の死を予測されて、聖餐式(ミサ)を制定されるのです。
 
 

 イエス様は、ご自分の時が迫っていることをご存じで、いろいろの準備をなさいました。
   そして。
     いよいよ、明日から、緊張の三日間が始まります。

       
     いつもともにいてくださる方イエスとともに、
 つらいことがあっても、神がともにおられるという信仰を深めてまいりましょう。

 

  『聖なる過ぎ越しの三日間』が、私たちの信仰を深める三日間となりますように。

 

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
イエスの苦しみの人生は、私たち人間の苦しみの人生にも重なります。復活に向かって日々を送りましょう。 お元気で!


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