7月1 日。金曜日。曇り。
各地で大雨注意報が出る。
梅雨明け前の今しばらく、大雨に注意いたしましょう。
今日は金曜日で
週一の、午後2時~4時・・・
『オンライン・聖書100週間・聖書通読会』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/38/c9cf64ba4c724c4bec20b8d7bf19d001.jpg)
オンラインクラスは・・・
わんちゃんの鳴き声が聞こえたりして、参加者のお宅の様子が少しうかがえたりします♡♡
仲間の中には3人のベテラン『素人画家』さんもいらして、オンライン画面背景が『名画』の方もいらっしゃいます♡♡
STAY HOMEの家族に変化をと・・・『料理で世界旅行!』をしている方からは、世界のレシピのお勉強です♡♡
マスク姿ばかりの毎日でも、オンラインクラスでは、マスクなしで、週一の『おしゃれ日』になるのも楽しい♡♡
何よりも・・・
オンラインクラスでは、対面クラスでは味わえない、『非常時の励まし合い』がただよいます♡♡
”非常事態中だからこそ、聖書の中から、『生きる知恵』を学びましょうね!”
”STAY HOME生活でなければできない『生きる喜び』を楽しみましょうね!”
等々。励まし合いです。
これからは、周期的にパンデミックが起こる世の中になることでしょう。
その度に、嘆くのではなく、『新しい道』の模索を続けたいものです。
仲間がいるから、やめられない「聖書100週間」なのです♡♡
今日の『通読範囲』 は 『ダニエル書7章~12章』
今日のように通読範囲がとても少ない時は、『重要度』がとても大きい証拠です。
新約聖書の『ヨハネの黙示録』と並んで、旧約聖書の『黙示録』と呼ばれる範囲です。
『黙示録』は、隠されたものの啓示です。
人間の歴史や、その苦悩の意義を、幻や象徴などを用いて解明するのです。
『終末的な文学』と云われるように、
『未来への確信』 と 『現在の励まし』を与える意図を持つのです。
ダニエルは、迫害の中で、ヘレニズムに命をかけて抵抗するユダヤ人たちに、
「強大な国々や地上の権力はいつか倒れ、権力を握っていた者の名も忘れ去られてしまうが、
主なる神の支配は永遠に終わることなく続く」ことを強調して、
励ましをあたえていくのです。
『聖書100週間手引』より
仲間は、『ダニエル書・黙示録』 をどう読み解くのでしょう!?
今日も、楽しい『オンライン・聖書100週間』です。 感謝!感謝!
そして。
今日は7月2日。年間第十三金曜日。
『今日の入祭唱』
『神よ、あなたの御言葉は、わたしの道の光、
わたしの歩みを照らす灯。』
詩編 119章105節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエス通りがかりに、
マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/53/9e28adb684ac58bc27bb26eaebcfae62.jpg)
『聖マタイの召命』 カラヴァツジョ作品
「わたしに従いなさい」と言われた。
彼は立ち上がってイエスに従った。
イエスがその(マタイ)家で食事をしておられたときのことである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/97/918feb6ed15d4eab0d39f4b631aff429.jpg)
徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、
「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
とはどういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」』
マタイによる福音書 9章9-13節
イエス様が引用された『言葉』は、預言者ホセアに望んだ『主の言葉』です。
イエスの 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』 という言葉は、
『わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって焼き尽くす捧げ物ではない。』
旧約聖書のホセア書 6章6節の引用です。
「いけにえ」とは、聖書の律法に基づく、神への動物のささげもののことです。
律法を守り、いけにえを献げるよりも、憐れみをもって生きることを、神様は人間に求められるのです。
「憐れみ」とは、人の痛みを共有し、人の痛みが自分の痛みになる、ことです。
イエスの時代。
イスラエルの世界では、不浄とされた金銭を扱う徴税人を『罪人』と考えて、自分たちの世界から除外していました。
マタイは、徴税人でした。
イエス様は、徴税人のマタイを除外するのではなく、
自分の友として、『わたしに従いなさい』と、呼びかけました。
それだけでなく、
決してユダヤ人が訪問することのない『罪人』・マタイの家を訪れて、マタイの仲間たちと食事の席に着かれたのです。
それは、律法に禁じられている行為でした。
ファリサイ派の人々は、
律法をまじめに取り組む『正しい人たち』で・・・律法に反するイエスの『言動』につまずきました。
この時・・・
イエスは、『新しい考え方』 を宣言なさったのです。
『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』 と。
『神の恵み』は、『罪人』に対して与えられると、イエスはおっしゃるのです。
立派な人間であると自負し、おごり高ぶるファリサイ人は、低くされるのです。
『徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら・・・
「神様、罪人のわたしを憐れんでください」 と言った。
へりくだる者は高められ、
義とされたのはこの人であった。』のです。
ルカによる福音書 18章13-14節
私たちも、
罪人で資格はないのですが、
イエス様から呼ばれて、信仰者・キリストの兄弟になりました。
それは、
互いに許し合い、困っている人たちに慈悲を示すためになのです。
祈りながら、頑張りましょう。
『今日の拝領唱』
『イエスは言われた。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ。」』
ヨハネによる福音書 8章12節
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日は金曜日。1週間お仕事に学校にとお疲れ様でした。 素敵な週末をお過ごしください。
各地で大雨注意報が出る。
梅雨明け前の今しばらく、大雨に注意いたしましょう。
今日は金曜日で
週一の、午後2時~4時・・・
『オンライン・聖書100週間・聖書通読会』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/38/c9cf64ba4c724c4bec20b8d7bf19d001.jpg)
オンラインクラスは・・・
わんちゃんの鳴き声が聞こえたりして、参加者のお宅の様子が少しうかがえたりします♡♡
仲間の中には3人のベテラン『素人画家』さんもいらして、オンライン画面背景が『名画』の方もいらっしゃいます♡♡
STAY HOMEの家族に変化をと・・・『料理で世界旅行!』をしている方からは、世界のレシピのお勉強です♡♡
マスク姿ばかりの毎日でも、オンラインクラスでは、マスクなしで、週一の『おしゃれ日』になるのも楽しい♡♡
何よりも・・・
オンラインクラスでは、対面クラスでは味わえない、『非常時の励まし合い』がただよいます♡♡
”非常事態中だからこそ、聖書の中から、『生きる知恵』を学びましょうね!”
”STAY HOME生活でなければできない『生きる喜び』を楽しみましょうね!”
等々。励まし合いです。
これからは、周期的にパンデミックが起こる世の中になることでしょう。
その度に、嘆くのではなく、『新しい道』の模索を続けたいものです。
仲間がいるから、やめられない「聖書100週間」なのです♡♡
今日の『通読範囲』 は 『ダニエル書7章~12章』
今日のように通読範囲がとても少ない時は、『重要度』がとても大きい証拠です。
新約聖書の『ヨハネの黙示録』と並んで、旧約聖書の『黙示録』と呼ばれる範囲です。
『黙示録』は、隠されたものの啓示です。
人間の歴史や、その苦悩の意義を、幻や象徴などを用いて解明するのです。
『終末的な文学』と云われるように、
『未来への確信』 と 『現在の励まし』を与える意図を持つのです。
ダニエルは、迫害の中で、ヘレニズムに命をかけて抵抗するユダヤ人たちに、
「強大な国々や地上の権力はいつか倒れ、権力を握っていた者の名も忘れ去られてしまうが、
主なる神の支配は永遠に終わることなく続く」ことを強調して、
励ましをあたえていくのです。
『聖書100週間手引』より
仲間は、『ダニエル書・黙示録』 をどう読み解くのでしょう!?
今日も、楽しい『オンライン・聖書100週間』です。 感謝!感謝!
そして。
今日は7月2日。年間第十三金曜日。
『今日の入祭唱』
『神よ、あなたの御言葉は、わたしの道の光、
わたしの歩みを照らす灯。』
詩編 119章105節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエス通りがかりに、
マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/53/9e28adb684ac58bc27bb26eaebcfae62.jpg)
『聖マタイの召命』 カラヴァツジョ作品
「わたしに従いなさい」と言われた。
彼は立ち上がってイエスに従った。
イエスがその(マタイ)家で食事をしておられたときのことである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/97/918feb6ed15d4eab0d39f4b631aff429.jpg)
徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、
「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
とはどういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」』
マタイによる福音書 9章9-13節
イエス様が引用された『言葉』は、預言者ホセアに望んだ『主の言葉』です。
イエスの 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』 という言葉は、
『わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって焼き尽くす捧げ物ではない。』
旧約聖書のホセア書 6章6節の引用です。
「いけにえ」とは、聖書の律法に基づく、神への動物のささげもののことです。
律法を守り、いけにえを献げるよりも、憐れみをもって生きることを、神様は人間に求められるのです。
「憐れみ」とは、人の痛みを共有し、人の痛みが自分の痛みになる、ことです。
イエスの時代。
イスラエルの世界では、不浄とされた金銭を扱う徴税人を『罪人』と考えて、自分たちの世界から除外していました。
マタイは、徴税人でした。
イエス様は、徴税人のマタイを除外するのではなく、
自分の友として、『わたしに従いなさい』と、呼びかけました。
それだけでなく、
決してユダヤ人が訪問することのない『罪人』・マタイの家を訪れて、マタイの仲間たちと食事の席に着かれたのです。
それは、律法に禁じられている行為でした。
ファリサイ派の人々は、
律法をまじめに取り組む『正しい人たち』で・・・律法に反するイエスの『言動』につまずきました。
この時・・・
イエスは、『新しい考え方』 を宣言なさったのです。
『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』 と。
『神の恵み』は、『罪人』に対して与えられると、イエスはおっしゃるのです。
立派な人間であると自負し、おごり高ぶるファリサイ人は、低くされるのです。
『徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら・・・
「神様、罪人のわたしを憐れんでください」 と言った。
へりくだる者は高められ、
義とされたのはこの人であった。』のです。
ルカによる福音書 18章13-14節
私たちも、
罪人で資格はないのですが、
イエス様から呼ばれて、信仰者・キリストの兄弟になりました。
それは、
互いに許し合い、困っている人たちに慈悲を示すためになのです。
祈りながら、頑張りましょう。
『今日の拝領唱』
『イエスは言われた。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ。」』
ヨハネによる福音書 8章12節
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日は金曜日。1週間お仕事に学校にとお疲れ様でした。 素敵な週末をお過ごしください。
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