マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

毎週木曜日・・・『聖書三昧』 そして 『岩の上に建てた家 と 砂の上に建てた家』

2018-12-06 05:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

 12月6日。木曜日。

 一日中。
 木曜日は・・・     『聖書三昧』
 
 『我が娘の聖書』

  ハンディーな聖書は、中学1年~大学失業まで、娘が学校で使った聖書です。
    中学一年生の娘が刺繍した『カバー』が、かわいい。すばらしい。
 花々の咲く道を歩いていく先に見える『家』は『神の国』、をイメージしたのだろうか?

      使いこなした聖書は、表紙の部分と本体がはずれている。
        読みこなしたページが柔らかくなっている。

       私は、二人の子供たちが使った聖書が大好きです。
娘の聖書の手作りカバーのポケット部分には、勉強のメモや学校宗教部の月報が沢山入っている。
    ”こんなにまじめなのは娘らしい!” ”線を引くほどに大切な聖句だったのね!”
       ページを開くたびに、涙が出るほどに、いとおおしい。


  
  『ポケットに入ったカード』

       文語体の『主の祈』のカード。
  ”あがめさせたまえ” ”なんじのものなればなり” 等、文語体で書かれている。

 カードの裏には、聖書は学校からの中学入学祝で、『メッセージ』が手書きで書かれてある。

         『御入学おめでとうございます
  主の祈りに沿い キリスト教精神を忘れず充実した学院生活を送ってください
                                中学宗教部』


         
         『息子の聖書』
       高校時代に学校で使っていた、日本語と英語で書かれた聖書。

私は、木曜日は在宅日で、金曜日と土曜日の2回の『聖書通読会・聖書100週間』の『予習日』に充てている。
    娘の聖書で全体を読んで、息子の聖書の英語部分を読んで理解を深めたりする。
       時々…娘と息子の真摯な勉強ぶりが垣間見えて、涙する。


   
   『息子の聖書の表紙の裏部分』

    『キリスト教の神髄』が、小さい字で、びしりと、明確に書かれている。
          その『知識の深さ』に、驚嘆する。
        学校の授業内容をメモしたのでしょう。

     子供たちの聖書を見るにつけ、聖書100週間の仲間の発表を聞くにつけ、
『御言葉』が一人一人の中に入り込み、決して無駄になることなく、働いている。と実感します。

  
 
 今日も、聖書を読むことの大切さを思い、『聖書の言葉』を実感しました。

    『雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。
それは天地をうるおし、芽を出させ、生い茂らせ、種まく人に種を与え、食べる人には糧を与える。
 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。 
  それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。』

                      イザヤ書 55章10-11節


そして。

今日は12月6日。待降節第一木曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは弟子たちにいわれた。

「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。

      岩を土台としていたからである。

 
         『岩が土台の家』     と    『砂が土台の家』

わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。
                        マタイ福音書 21章24-27節

三つを比べてみましょう。

  ① 『イエスの御言葉を聞いて行う者』 と 『イエスの御言葉を聞くだけで行わない者』
  ②『岩の上に自分の家を建てた賢い人』 と 『砂の上に家を建てた愚かな人』
  ③『雨や水や風が襲っても倒れない家』 と 『雨や水や風が襲いかかると倒れる家』 

三つの違いの『原因』は何でしょう?

      それは、『岩が土台の家』 と 『砂が土台の家』 の違いです。
  
 言い換えれば・・・


『イエスの御言葉を生活の指針としている人』
『この世の価値を生活の指針としている人』の違いです。

   『岩』は『聖書の御言葉』。 『砂』は『世間の価値』。 『家』は『一人一人の心』。


    『イエスの御言葉』を聞き、自分の心の支えとして心に留め、

        『イエスの御言葉』の中に『神の愛』を見出し、
          『神の愛』を信じることができるとき、
      『神の愛』が『家の土台の岩』となるのです。
 
     
     人の人生には、『台風=苦難の時』が必ずあります。

  雨が降り、川があふれ、風が吹いて、『私の家』を襲う時があります。

    それでも。

     『神の愛』を信じる人は、
 どんな時も絶望することなく、未来に『希望の光』を見つめていられるのです。


今日も、中学1年生のわが娘が自分の聖書カバーに刺繍した『御言葉』が、私の心にしみわたります。

    『わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示す。』詩編32・8

又。
   
     今日も、我が子ども達に教えられるのです。

  
 『青春の日々にこそ、お前の創造主に心に留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。』
                             コヘレトの言葉 12-1


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
家の中には、『捨てられないもの』がいっぱいありますね。捨てられませんよね。
昔に我が娘が使った『聖書』は、今学校で神様を習う小学生の我が娘の子供たち・我が孫たちに譲り渡しましょう!
           お元気で!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿