マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『死生学』

2008-06-21 11:00:00 | 父の日。母の日。結婚記念日。
『死生学』 とは、”いかに生き、いかに死ぬか” を学ぶ学問のようです。
関西学院大学で、新講座として始まったそうです。

今日は、50日前に亡くなった親友の、『50日祭』(仏教の49日)が営なわれました。
親友の夫は、鉄鋼会社に努め終えた定年後、猛勉強をして、牧師になられました。
牧師である夫の司式の、 親友の『50日祭』 は、心のこもった妻への愛情のあふれる式でした。

牧師は、沢山の話しをなさった中で、 『死生学』 の話しを、こんな風にされました。
「私は、先日、関西学院大学の『死生学』 の授業を、受けて来ました。

先ず、紙を渡されて、自分のしたいことを10個、箇条書きにさせられました。
次に、その10個のしたいことを、どのように実現していくかを、考えさせられました。
私も、じっくりと考えました。
大好きな絵を描くために、週に一度は時間を作り、改めて先生について学ぼうか?
自分の教会の若者を、夏休みにはキャンプに連れて行って、あれこれと教えよう!
等々・・・・・と、10個の夢のための計画を、じっくりと練りました。

しばらくすると、大学の先生が、「皆さんは急に重病になり入院し、余生も長くなくなり、10個の夢を5個に絞らなければならなくなりました。  残りの人生のために、5個の夢に絞って下さい。」と、病気の宣告をするのです。
私は、再び必死に考え、5個に絞りました。

更に先生が、「皆さんの病気は、余生1ヶ月も無いことが分かりました。 したいことを、一つに絞らなくてはならなくなりました。」 と、言いました。

授業を受けている生徒は、男子学生が殆どでした。
彼等の発表の殆どは、「母に会いたい。 母に会って、わがままをいつも許してくれた母に、感謝しお詫びを述べたい。」という内容のことが、最後に残った一つでした。」 と、大学の『死生学』の授業の経験談を、親友の夫の牧師さんはなさいました。
牧師さんは、ご自分の最後に一つのについては、話しをなさいませんでした。

牧師さんは、話しの終わりを次のように結ばれ、涙されました。
「私の妻は、苦しい心臓の手術の後の集中治療室から一般病棟にもどって来て、たったの三日後に天に召されるまでの間に願った唯一のことは、”水を少しだけ口に含ませて!” でした。
皆様にも、そのように、一滴の水を最後に望む時が、必ず訪れるのです。」 と。

「今をしっかりと生きるために、人生の終わりを自覚する」 というのが、『死生学』 でしょうか。
私にもまず、大好きなランニングが出来ない日が、訪れてくることでしよう・・・・。
”人生の一日一日を、本当に大事に過ごして行きます” と、親友の御霊の前で誓った
     親友の 『50日祭』でした。







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