マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『つらいと思った数は、それでも君が諦めなかった数だ。』 そして 『異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れ。』・・・『主の奉献 祝日』

2020-02-02 09:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月2日。日曜日。快晴。

今、私は湘南にいます。

  
 朝さわやかな・・・   『湘南の海』
   
                          ホテルからの眺め

    懐かしい『サザンの歌』が、脳裏によみがえってくる。

  『あなたに逢えたのは あの頃を生きていた時 騒ぐ潮風の中で。
   真っ赤な太陽が黄昏に沈む時 夢見る間もなく大人になるのさ。』

 

懐かしき日々。


    青春時代?がよみがえる・・・  『水泳クラブ』
 
 

   中学時代。 勉強を忘れて泳ぎまくった、『水泳クラブ』
   湘南の海で、恐ろしい『遠泳』 の訓練をやらされた。
  
    湘南は、私のつらかった中学時代がよみがえる場所。

 

今日。
旅行の途中。

      
      電車の中の広告の・・・   『言葉』

  つらいと思った数は、それでも君が諦めなかった数だ。』
                 なるほどね。


       つらかった水泳クラブの練習・・・
       それでも諦めなかったおかげで

      『イルカ』のように泳げるようになった私。
  青春時代には、湘南の海で、『潜り魚釣り』 まで楽しみました。


正に。
電車の『言葉』通り。

      
       いつの時代も変わらない。

   つらい時代の諦めない日々が、人間を造り上げるのです。

 


そして。

今日は2月2日。

         『主の奉献 記念日』
    

        イエスが生まれて40日後。
   イエスの両親は、律法に従って、エルサレムの神殿で、
          母マリアの 『清めの式』 を受けるとともに、
    両親の手で、イエスを、『神に奉献』 しました。
 
         『主の奉献 祝日』は、
   イエス・キリストが、聖母マリアと聖父ヨセフによって、
   神殿に連れて来られた際の出来事を記憶して祝う日です。 

   5世紀。 エルサレムで、『主の奉献』を祝うようになりました。
   7世紀。 ローマで、『主の奉献』を祝うようになりました。
               『毎日の読書』より。


『今日の福音 主イエスの奉献
 
 『モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、

 両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
   

   それは主の律法に、
「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
   
また、主の律法に言われているとおりに、

   山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。


そのとき、

   エルサレムにシメオンという人がいた。
   この人は、
   正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、

   聖霊が彼にとどまっていた。
   
そして、

    主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、
      とのお告げを聖霊から受けていた。


シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき、
   両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、
         
エスを連れて来た。

   
    シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
  
     

     「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
     この僕を安らかに去らせてくださいます。
     わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
     これは万民のために整えてくださった救いで、
       「異邦人を照らす啓示の光、
     あなたの民イスラエルの誉れです。」


父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
   シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。

       「御覧なさい。
この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定めめられ、
  また、
    反対を受けるしるしとして定められています。
      
あなた自身も剣で心を刺し貫かれます

  多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

 

また、
  アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。
     非常に年をとっていて、
   若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
     
夫に死に別れ、八十四歳になっていた。

彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、

     そのとき、近づいて来て神を賛美し、
 

  この方こそ皆に幼子のことを話した。


    
親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、

     自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。

 
     『父ヨゼフ と 「光」 をかざして助ける 少年イエス』
  

   幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。』
               ルカ福音書 2章22-40節

   
    イエスの時代には、貧しい人が多くいました。
   生活に困っている人、力のない人も、多くいました。

    イエスの父ヨセフも、とても貧しい人でした。
     石切場の大工の仕事をしていました。
イエスの奉献の日には、一番貧しい人が捧げる山鳩一つがい』 を捧げました。


   イエスは、両親の元に暮らしながら、『小さき人』として暮らし、
       『小さき人』のすべてを学んでいったのです。

    
そんなイエスは、
     成長して、公生活を始めた時は、

     第一に、
     貧しい人たちに、小さき人たちに、また 異邦人たちに、
  彼らの希望となる 『福音:神からの良い知らせ』 を伝えたのです。


振り返って・・・
『主の奉献』


      イエスを神に奉献するために神殿を訪れた両親は、
   正しく信仰厚いシメオン と 夜も昼も神に仕える女預言者アンナ 
  
     に出会ったのです。
  
  二人は、
   『この方こそ、万民のために整えてくださった救いで、
 「異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」』
   又。
    『この方こそ、人々が待ち望んでいた救い主です。』
         と、イエスを抱きかかえて、賛美しました。

  イエスの両親は、幼子について、このように言われたことに驚きました。
        そして、家路についたのです。

 

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの光栄。』アレルヤ、アレルヤ。
          ルカ福音書 2章32節 


   私たちも、イエス・キリストについて、すぐに理解できません。
    ただ、イエスの両親のように、イエスと共に歩むのです。
      その時。
    イエスの方から、御自分の姿を現してくださいます。

     
     『信仰とは、望んでいる事柄(救い主)を確信し、
     見えない事実(三位一体の神)を確認することです。』
         ヘブライ人への手紙 11章1節

   
   私たちも、神に対する信仰が深められますように、祈りましょう。  

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
それぞれの人に、イエスにも、それぞれの光り輝く青年時代がありますね。 お元気で! 


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