マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

初夏の到来。 そして 聖霊による新しい時代の到来・・・『エチオピアの人の宦官の洗礼』

2018-04-19 15:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
夏日を迎える季節となりました。

我が家の庭にも初夏の到来。

  『新緑』
 

   最後の花を咲かせる 『八重桜』
 

 端午の節句で・・・   『菖蒲』
 

 足もとに楚々と・・・   『都忘れ』
 

街中の街路樹も、我が家も・・・   『ツツジ』
 
  

       美しい季節の到来に、心がウキウキしますね。


そして。

今日は4月19日。復活節第三木曜日。

『今日の入祭唱』

『主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現された。主はわたしの力、わたしの救い。アレルヤ。』 出エジプト記 15章1&2節

   主に向かって私は歌おう。主は今年も花を咲かせ、私をいやす。 ←自作自演で歌っています。

『今日の第一朗読 使徒たちの宣教』

      主の天使はフィリッポに
  「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザに下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。

      フィリッポはすぐに出かけて行った。

折から、
エチオピアあの女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していたエチオピア人の宦官が、
エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。

    彼は、馬車に乗って、預言者イザヤの書を朗読していた。

すると、
    ”霊”がフィリッポに「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」 と言った。

   フィリッポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので


     「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。

  宦官は「手引きをしてくれる人がなければ、どうしてわかりましょう」 と言い、
         馬車に乗ってそばに座るようにフィリッポに頼んだ。
 

彼が朗読していた聖書の個所はこれである。

     「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。
     毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。
     卑しめられて、その裁きも行われなかった。
     だれが、その子孫について語れるだろう。
     彼の命は地上から取り去られるからだ。」


宦官はフィリポに言った。

  「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。    
      自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」


そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。

道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。

   宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」


そして、車を止めさせた。
  フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。
 

   彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。
   宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。


        フィリポはアゾトに姿を現した。
  そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。』
               使徒言行録 8章26-40節


今日の第一朗読は、
 映像を見ているような、使徒フィリッポのダイナミックな宣教の日々、が目に浮かびますね。



     フィリポは、
  福音宣教者 又は 伝道者です。新約聖書『使徒行伝』に登場する初期のキリスト教徒です。
  エルサレム教会の執事に選ばれた、ギリシャ語を話すユダヤ人の七人の弟子の一人です。
   ステファノ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、ニコラオと共に選ばれて、
      ギリシャ語を話すユダヤ人の世話を任されました。

      仲間のステファノの殉教後(後35年〜6年頃)・・・
      サマリアに宣教し、多くの信徒が生まれました。


そんなある日。


神の御使いはフィリポに、「エルサレムからガザへ下る道に行け」 と命じました。
『ガザ』(現代のパレスチナ人の自治区のガザ)は、道はは寂しく、荒れ果てた道でした。

    どうして?なぜ? そんな『ガザ』に行け、と天使は命じたのでしょうか?

        それは、たった一人の人を救うためでした。
 エルサレムへの巡礼の帰路のエチオピアの宦官を救うために、フィリポはそこへと遣わされたのです。


       フィリッポは、聖霊に示され・・・
イザヤ書を読んでいたエチオピアの女王に仕える宦官に、『イエスの教え』を伝えて、洗礼を授けました。


 
       この宦官が洗礼を受けた最初の非ユダヤ人となりました。

以前。イザヤは預言しているのです。

       『宦官』=『最初の救われる非ユダヤ人』 として。 

『主はこう言われる。
 宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、
わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。
      その名は決して消し去られることがない。』
 イザヤ書 56章4&5節、


    このエチオピアの宦官は、ユダヤ教に強く心をひかれた、神を敬う人でした
  それで、はるばる千数百キロ以上もあるエルサレム神殿まで、巡礼の旅に出たのでした。
    しかし、救いの確信が得られないまま、帰途についたようです。
  その帰路、馬車に乗って、『預言者イザヤの書』 を朗読していました。


     神は、この宦官をお見捨てにはなさいませんでした。
 神は、人の熱心な求めを知っておられ、必ず、それに応えられる方なのです。
     神は、人類の一人一人を愛し、慈しまれる御方なのです。



    聖霊が、フィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」 と言ったのです。 
フリッポは、すぐに、迷うことなく、『聖霊の言葉』に従いました。

   
     宦官は、フィリポの『聖書の手引き』を聴いて・・・
  疑問が解けました。 イザヤの預言は『イエス』についてであったことを理解したのです。
      『イエス』が、宦官のために十字架に架かり、
 『イエス』が受けた懲らしめによって、宦官の罪が赦され、救われること。 が分かったのです。


 フィリッポは、
イエス誕生の約五百年も前に、イザヤは、『苦難のしもべとしてのキリスト』を預言していたことを告げたのです。



   宦官は、イエス・キリストを信じる『信仰』が与えられ、洗礼へと導かれました。

宦官は車を止めさせました。
  フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けました。
     
     『宦官の洗礼』          レンブラント画 1626年

  フィリポが宦官に洗礼を授け、水の中から上がると、『主の霊』がフィリポを連れ去りました。

     
  それらの起こった出来事は、『聖霊による恵み』によるものでした。  



『今日の第一朗読』は・・・

   イエスの受難と死と復活後・・・
『神の救い』の計画が、聖霊の働きによって徐々に実現し、広まり、聖霊による『新しい時代』に入ったことを告げています。


        その後。
  フィリッポは、アゾトを経由し、各地で宣教を行いながら、カイサリアまで行ったのです。
     フィリポはカイサリアに定住し・・・
後年、パウロらがカイサリヤのフィリポの家に滞在しました。フィリポには、皆預言者である4人の娘がありました。


今日は、
 『異邦人の救い』は、人間の業によるのではなく、『神の業』『神の計画』である。 ことを学びました。

  神は、救いを求める者を、お見捨てになることなく、必ず救ってくださる方。 だとも学びました。

                      感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
美しい季節になりましたね。 散歩しながら、花々を愛で、癒されましょう! お元気で!

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運動。朝6時では日焼け止めが必要になってきた。明日から5時がいいかな? 速歩…77分。9801歩。

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