10月23日。土曜日。晴れ。
昨日から始まった
今年の二十四節気の第20。
【小雪】
いよいよ冬近しです。
今朝の6時・・・ 『満月』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/00/c082ed693a11fff4eb2a27e59fb9174d.jpg)
満月が美しく紅葉に冴えます。
今朝も気温が下がり、冷え込みの朝となりました。
ぐっと冷え込んだ早朝は、月がきれいでした。
冬の空気の中に輝く満月は、
冬ならではの美しさがあります♡♡
ぐっと冷え込んだ早朝は、月がきれいでした。
冬の空気の中に輝く満月は、
冬ならではの美しさがあります♡♡
地球上のすべてのものが美しく、
共に、美しい全体像を創っていきます。
今朝はそんな素晴らしさの実感でした。
『小雪』とは、
しょうせつ。二十四節気の第20。
冬とは言えまだ雪はさほど多くないという意味で、
木々の葉が落ち、山には初雪が舞い始める頃です。
冬の入口にあたります。
今年は『大雪』の12月7日までの15日間です。
朝ウォーキングの途中で、
陽が昇る前の冴えきった空気の中で、
時々、不思議な感覚に襲われます。
すべての生命の源の『エネルギー』を、
冴えきった空気の中で、感じることが出来るような、そんな感覚です。
寒い冬がやってきます。
でも、冬の良さもいっぱいありますね。
今日も、温かくして『素敵な冬』を見つけに行くことに致しましょう。
感謝!感謝!
そして。
今日は10月23日。年間第二十九土曜日。
『今日の入祭唱』
『わたしたちの神は来られる。
神は御自分の民を裁くために、天と地に呼びかけられる。』
詩編 50章3&4節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『ちょうどそのとき、 何人かの人が来て、
ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことを
イエスに告げた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/9b/f4dd662d9e5123cd61c6e37bb3b01aa9.jpg)
イエスはお答えになった。
「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、
ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
決してそうではない。
言っておくが、
あなたがたも悔い改めなければ、
皆同じように滅びる。
また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、
エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、
罪深い者だったと思うのか。
決してそうではない。
言っておくが、
あなたがたも悔い改めなければ、
皆同じように滅びる。」
そして、イエスは次のたとえを話された。
「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/20/15714650bf2e226c968fcf468cc03c4c.jpg)
『実の成らないいちじくの木』 Jan Luyken作品
実を探しに来たが見つからなかった。
そこで、園丁に言った。
『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、
見つけたためしがない。
だから切り倒せ。
なぜ、土地をふさがせておくのか。』
園丁は答えた。
『御主人様、今年もこのままにしておいてください。
木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
そうすれば、来年は実がなるかもしれません。
もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
ルカによる福音書 13章1-9節
今日のイエス様は、
『事故は、『悔い改め』への忠告となる。』
と話されました。
人生には、突然、思いがけない事故や不幸に見舞われることがあります。
交通事故、飛行機墜落、震災、等々。
イエスの時代にも、
ガリラヤからの巡礼者がエルサレムに上って、
神殿で供え物をささげた時、
※ローマ総督・ピラトは、巡礼者らを虐殺させたのです。
この出来事をイエスに知らせに来た人がいました。
巡礼者を革命家と勘違いしたのでしょうか?
なぜ彼らがこんなひどい目に遭うのか?
神は、巡礼者を助けてくださらなかったのか?
イエスは答えました。
イエスは直接の答をしませんでした。
ただ災難に遭った人を、天罰とは考えてはいけないのです。
神は、人の悪い行いのために、罰を与える方ではありません。
神は、どんな時にも、人間の苦しみを望まないお方です。
事故が起こったら、誰が悪いかを追求するだけでなく、
☆これからそのようなことが起こらないように考えるのです。
☆出来事が、私たちの『改心』のきっかけになるように考えるのです。
私たちは、他人だけに間違いがあると、思いがちです。
私たち一人一人にも足らないことがあります。
なかなか治らない問題があります。
しかし諦めてはいけないのです。
改心して、キリストからの『救い』に希望をかけるのです。
次に。
イエスは、
※『たとえ話』をなさいました。
イチジクを植えた主人は、3年間も実を見つけることが出来なかったのです。
”切り倒してしまえ!” と主人は怒りました。
イチジクの世話をする園丁は、イチジクが大好きになっていたので、
”もう一年待ってください。 肥やしをやってみますから!” と頼みました。
イエス様ご自身も、3年間、人々に話しをしてきました。
ところが、
人々は、改心する人は少ない。 信仰にはいる人も少ないのです。
それでも、
イエス様は、民に出会い、民が大好きになっておられたのです。
”もう一回改心を勧めてみましょう!” と頑張られるのです。
私たちは、改心して、そのキリストの『愛』に希望をかけるのです。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『主なる神はいわれる。 わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。』
エゼキエル書 33章11節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末をいかがお過ごしですか?
冷えてきましたので風を引かないように、穏やかな週末でありますように。 お元気で!
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