マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『沈黙』・・・鑑賞後討論会。 そして 『その心が主を離れる人 と 主が心のよりどころとなり主に信頼する人』

2017-03-16 10:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

     遠藤周作作品の映画化。    『沈黙』鑑賞後討論会。

  キリシタンの弾圧が行われていた江戸初期。

  厳しい弾圧を受けながら自らの信仰心と向き合っていく、ポルトガル人宣教師たちや日本人信徒たち。

  人間にとって大切なものとは何か? 人間の弱さとは何か? 信仰者としていかに生きるか?

    

    『沈黙』
    初版本・1981年(昭和56年)を読んで以来・・・
         46年目。
      六十二刷本・2017年(平成29年)を読み返しました。 映画も見ました。

     若き頃の私の感想。 そして  それから46年の信仰生活の後の私の感想。
         『作品』に覚える『違和感』は変わらない。
         ただ。 
         46年間の年月は、私の中に『幅』を作った。『赦し』が生まれた。

    『沈黙』鑑賞討論会。
    20数名の参加者。 それぞれが、自分の焦点の当てどころの違いが、新鮮でした。

    初版以来・・・
      46年間。

    人は、
    
高度成長化の間に、横並びになって、周囲を気にして、判断力が薄くなったのかもしれない。
    キリスト者も、

    どんな災難に遭っても、
    自分は『神』とつながっているという、『使命感』『心の自由』も薄くなったのかもしれない。

   
     改めて考えさせられました。
            『信仰者』として生きる使命と責任。 そして 完全なる自由。

         『神の沈黙』

       『心を尽くし、魂を尽くして神に向かい、御前で真実を行なえ。
 そうすれば、神もあなたがたに向かい、もはやその御顔を隠すことはなさらない。』
                                         
      トビト記 13-6


そして。

今日は3月16日。四旬節第二木曜日。

      『エレミヤの預言 神の言葉』

       『主はこう言われる。

その心が主を離れ去っている人は。
彼は荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく、人の住めない不毛の地、炎暑の荒れ地を住まいとする。

祝福されよ、主がその人のよりどころとなられる、主に信頼する人は。
彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うことを見ることもなく、
その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない。』
                                             エレミア書 17章5-10


人の一生は、
いつの時代にも、何があるか予測ができない。予期しなかった大災難や耐え難い悲しみ。踏絵。 等々。

人の一生は、
一人では生きられない。悲しい心を支えるには、一人では限界がある。
人は、『信頼する人』と共に、人生の困難を乗り切っていく。

     信頼できる人がいる人は幸せです。
   
   神を信頼し、神と共に歩む人は、裏切られることはない。  
           『心の自由』『平安』が、その人から離れることはない。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
話し合いは素敵なことですね。人の考えは多様であると、思い知らされます。お人にやさしくなれます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿