マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

DIY・・・『柊の移植』 そして 『この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった。』

2021-03-06 07:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
3月6日。土曜日。曇り。

今日も午前中は
DIY・造園作業。

                    『柊の移植』
  
  狭い裏庭にひっそり育つ『柊』  →     和室の真っ正面に『格上げ』移植しました。

         移植先の床作りも、『柊』の掘り出しも、一仕事でした。
          金木犀の仲間で、秋になると良い香りを放つ『柊』
      
              沢山の花をつけてね。
            
メジロが一匹。
仲間と外れたのだろうか?
疲れたのだろうか?
私の造園途中に、
我が家の玄関前で死んでいた。

十字架ではなく、棕櫚の葉、
お墓そばに立てました。
はかない命がいとおしい。

    私の小さな庭の中での数時間での出来事でした。
 私が一生懸命に小さな柊の命の喜びを思い、移植させている間に、
 数歩先の玄関では、メジロが一人で死の時を迎えていたのです。
    両者には境目が、あるような、ないような。
     不思議な感慨深さを感じた一瞬でした。
    


   コロナ禍の『緊急事態宣言』発令後に、 この時期の『記念』にと始めた 『DIY』

         4日ほどで、『台所棚のシート張り替え』 完了
      明日か明後日に、2週間ほどかけた 『庭造園』 も完了でしょう
            次は、いよいよ、室内です。
  
                                           イメージ写真
     阪神大震災で亀裂の入った『壁修理』 と 『壁紙張り替え』に取りかかりましょう。
              『理想の居間』に一歩前進したいものです。


          DIYで、見違えるほど、庭も室内も、美しくなっていきます。
            コロナ禍で、私には『時間』がプレゼントされ
        思いもかけず、『終の住処』を自分らしくアレンジできていきます。
                           感謝!感謝!

そして。

今日は3月6日。四旬節第二土曜日。

『今日の入祭唱』

  『主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられる。
主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものを憐れんでくださいます。』

        詩編 145章8&9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、徴税人や罪人が皆、 話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
       すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
 
      「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」
                   と不平を言いだした。

そこで、イエスは次のたとえを話された。

          「ある人に息子が二人いた。

の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』 と言った。
        それで、父親は財産を二人に分けてやった。
何日もたたないうちに、 
      下の息子は全部を金に換えて、 遠い国に旅立ち、
    そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。

何もかも使い果たしたとき、
    その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
それで、
     その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、
       その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
   彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、
      食べ物をくれる人はだれもいなかった。
そこで、
         彼は我に返って言った。
  『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、
        わたしはここで飢え死にしそうだ。
      ここをたち、父のところに行って言おう。
 「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
      もう息子と呼ばれる資格はありません。

        雇い人の一人にしてください」と。』
そして、
       彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、
     まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、
    
          『放蕩息子の帰還』   ジェームス・ティソ作品

       憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
          息子は言った。
 『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
       もう息子と呼ばれる資格はありません。』


         しかし、父親は僕たちに言った。
     『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、
       手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
       それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。
 
        『放蕩息子の帰還』     ムリーリョ作品


          食べて祝おう。
       この息子は、死んでいたのに生き返り、
      いなくなっていたのに見つかったからだ。』

 
             『放蕩息子の帰還』     レンブラント作品 

         そして、祝宴を始めた。

ところで、
の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
     そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
   僕は言った。
         『弟さんが帰って来られました。
    無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』

      兄は怒って家に入ろうとはせず、 父親が出て来てなだめた。
          しかし、兄は父親に言った。
     『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。
        言いつけに背いたことは一度もありません。
それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。

  ところが、あなたのあの息子が、
      娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、
         肥えた子牛を屠っておやりになる。』

すると、父親は言った。
      『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
        わたしのものは全部お前のものだ。
     だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
        いなくなっていたのに見つかったのだ。

   
       『放蕩息子の帰還』     ポンペオ・バトーニ作品

     祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
         ルカ福音書 15章1-3&11-32節


  イエス様の今日の『御言葉』は、 昨日と同様に、『たとえ話』 です。

       今日の『たとえ話』 は 『放蕩息子』 のたとえ話で、
    イエス様が福音書の中でなさる最も有名な『たとえ話』の一つで、
          『キリスト教の神髄』 を表わす話です。

     それは、

 神の楽園から追い出された創世記の『アダムとイブの子孫』である『人類』に対して、
         『神の楽園への帰還』を呼びかけるという、
      神の壮大な『救済の計画』を象徴的に重ね合わせているのです。


今日も私は『たとえ』を考えてみました。

   『父』は、『神様』です。
      ご自分に背信する人類を、『山より高く、海より深く』、『無償の愛』で、 
         愛し続け、迎え入れる、神様です。
      『放蕩息子』である『弟・人類』が『故郷・エデンの園』に帰還するのを、
         『宴会』を開いて待っておられる、『憐れみ深い』神様です。

   『弟』は、神に背を向けた『人類』、『罪人』 です。
       わがまま放題でも、『苦しみ』の中で『回心』 するとき、
     御父の『無条件の神の愛』によって『人間の救済』を経験する、人類です。

   『兄』は、律法に忠実であろうとする人が陥りやすい『傲慢な人類』 です。
弟のために開かれた盛大な祝宴を喜ぶことができず、父親に不満をぶつける兄の姿は、
        『ぶどう園で働く労働者』に、その労働時間の長短を問うことなく、
           『同一賃金・神の国』を与える神様に マタイ福音書20章1-16節
            不満心を持つ人間の姿です。 
    
   
    『息子は、死んでいたのに生き返った』、『いなくなっていたのに見つかった』
        と喜ばれる、『父の言葉』は
     『無条件の神の愛』によって救われる『罪深い人間の救済』を表すのです。


私たちは、
『父の赦し』をどのように考えるでしょうか?
回心を喜ばれる御父・神さまを、
弟のように素直な心で信じているでしょうか。
無条件に罪人を赦す御父、神様に、
兄のように不満の心をいだくでしょうか。
至らない私たちですが、
万人に降り注ぐ『神の無償の愛』を
信じたいものですね。証ししたいものですね。


『今日の祈願』

  『神よ、頂いた恵みを深く味わい、
   キリストのうちに力強く生きることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日の日曜日はお天気のようです。皆で仲良い一日でありますように。