英語の始めはABC、歌の始めはドレミ。そして、日本語の始めは あいうえお。と、あってどっちの あ ?という、なんとも私にとって奇妙な質問が返ってくる。発音してもらうと、同じ音に聞こえてしまう。え はどっち? ??????そして、気づく熱い視線。まるで、彼女達は私の口の中に何本の虫歯があるのかを探しているように、口を注視しているではないか。アゴは上げるの下げるの?口はどっちに開くの?唇は前に出すの出さないの? そっか、私の英語が通じない訳がわかった。英語ってコンナに発音を大事にする原語なのだと・・・・。逆の視線って本当にすばらしい。ありがとう。ふぁみま。私、すこし英語に関して大人になれたかもしれません。
日本語を教えるということは、英語を習っている私からは、逆さの視点。発見だらけだった。まず、わたしたちの仲間内日本人同士で、時にアメリカ人の先生を評する。親切よね、分ろうとしくれるしね。全然ダメ、コミュニケーションをとろうともしてくれないのよねえ。日本語を習いに来てくれた、アメリカ人の先生は日頃はどういった風に評されているのだろうか。彼女は疲れているようだった。全く言葉を理解できない子(幼稚園)が入っているのよ。親はどうなの?英語は話せるの?わからないわ。こちらの生活が長い子も、英語がわかっているのかどうか、話そうともしてくれないの。それは、大変ね。これは、アメリカ人同士の会話。ちょっと、耳が痛い。そっか、先生も大変だア。一通り用意したプログラムをこなした後、彼女の質問の嵐。彼女が知りたいと思っている日本語の表現。座りなさい。静かにしなさい。わかった? 国際的に教育現場は逆から見ても同じなのかもしれない。次回のプログラムは、お腹痛いの?どうしたの?などにしようと思っている。