フロージングレイン。凍った雨。
日本でフロージングレインを見たことはなかった。雪が降るのではなく、氷が空から降ってくるのでもない。降ってくるのは雨。しかし。その雨は落ちた瞬間に凍りつく。すべてのものに凍り付いていく。道路は瞬く間にスケートリンクになる。危険な現象でもある。
今年初めてのフロージンフレインの朝(昨日)、雨にぬれながら、ごみだし作業をしていた。ふと見ると、葉が落ちて枝だけが残っている木々に、氷が付いている。葉の付いている木の、葉も凍り付いている。水滴が凍るのでなく、全体が、凍るから、木が透明な木になった感じがする。また、葉が凍ると緑の木のシャーベットになる。白でもない、緑でもない、不思議な色。どこまでも透明で、幻想的な風景。
こんなシャッターチャンスめったにないのに、カメラがない。
こんな日は、運転もしないで、うちに居るのが一番。昨年から取り掛かってはいたが、忙しさにかまけて放り出していた、自分用のセーターを引っ張り出し、もう一度編み始める。
編み物は確か五歳のころからしていた。冬になると、こたつの中で、編み物をしていた、祖母に教えてもらった。日ごろ忙しそうに動き回っている祖母だったが、さすがに冬になると、炬燵の中で過ごすことが多かった。長い冬の時間、祖母は丁寧に私に鈎針の編み方を教えてくれた。
家族の中で、祖母はとても背が高かった。きっと160CMを超えていたのではなかったか・・・。すらりとしたモデルのような体形をしていた。私の母も身長は低くはなかったが、祖母の方がはるかに大きかった。私は祖母に似ているとよく言われた。ジャンクフードや、ケーキの好きな私は、祖母ほどはすらりとはしていないのだが・・・・・
祖母が寝たきりになったとき、彼女を背負うのは私の役目だった。母は小さくて彼女を背負いきれなかった。私は、自分の方が大きいし、がっちり力もあって、祖母を楽に背負えた。あまりに軽かった祖母の印象はいまだに私の中にある。啄木の思いもわかるような気がした。
あれれ、念を継いでここまできてしまった。祖母のことを思い出すなんて・・・。やはり人間にはゆとりが必要だということか。
ココ何年か、人のためにショールを編んだ。病気の人のためにやさしい色の細くて軽い肩掛けショール。生まれてくる赤ちゃんのためのおくるみ。
今回は自分のために編む。自分でデザインした、自分のためのもの。色はオレンジ。さて、日本に帰ったらみんなが驚く派手さになりそうだ。年末帰国に間に合わせなくては・・・・・・。