大分前のことになる。アルバイトで、某有名予備校の大学入試模擬試験の国語の採点を7年間やっていた。高校生3年生の国語の問題は、なんとも読み応えがあって、実は内容を楽しんでもいた。
その中の忘れられない一編が、人が泣く ことに関するものだった。
人は緊張の最中では泣くことはなく、緊張が取り除かれた瞬間に、その安堵感から泣く というような内容だった。ちょっと、安堵という言葉は適さない場合もあるかもしれないが、緊張感に焦点を当てると広範囲に理解できるかもしれない。
印象に残る例として、誘拐された子供は、親に会った瞬間に泣くのであって、自分の身が危険にさらされていると自覚している間は泣けないと書いてあった。.
それは、実は私にとっては意外な内容だった。どんな時に泣くなんて、考えてもみなかったし、ドラえもんが地球を救うために、ガスタンクに自ら飛び込んだ映画では、私は号泣に近い泣き方をしていたから・・・・つまり、人よりよく泣くのかもしれないから・・・・と思っていた。
ところが、意識してみると、確かにドラえもんを涙ながらに観、おこり地蔵(原爆の映画)を観たときには、声を出して泣いてしまった私でも、緊張感の中では泣かない。
今回、友人が搬送先の病院で緊急施術を受け、命にかかわる手術だと言われたとき、私は一滴の涙もこぼさなかった。結果がでるまで、諦めないと思う強い気持ちがあった。
諦めようとして、諦らめずにエッセイを書き上げた瞬間、涙がでそうで、出ない。結果が出たわけではないから。
しかし、いろいろあったここ、一ヶ月感慨深いものがある。頭の中はごちゃごちゃで、友人にあなたの言っている内容がわからないと言われたこともあるし、約束の日時は何度聞いても忘れてしまった。
でも、ひとつの決心をした。今度泣くときは、友人が元にもどった時、嬉し涙をたくさん流す。
今はまだ、緊張の中にいる。