元気が出てきたので、一連のドタバタの中で考えてきたことを整理し始めた。心の中でね。
余白の美学http://blog.goo.ne.jp/marima2naru/e/8de98adb9953798342450cea5030fe53で書いたことは、実はとある案内状を作る作業の中での意見の相違から思ったことだった。これはなんとメールにして50通を超えるやり取りをした。そして、結果私は納得したのではなく、悟ってしまった。
意見の相違は、意見の相違ではなく、日本語の問題であり、ジェネレーションギャップのような気がしたからだ。
そういえばこちらに来た当初、アメリカ人と結婚なさっている、日本人の年上の女性の方々のあまりに丁寧な日本語に驚いた。あまりのというのは、丁寧すぎて、実は違和感があったから。
そして、今回思ったのは、自分よりずっと若い人たちの、切り味鋭く、まるみのない日本語。そして、たぶん年齢からいくと真ん中に陣取る、私の使う日本語。なんだか、かみ合わない。主張が相手に響いていないし、私もぴんとこない。
ビジネス日本語だと、問題はないのだろう。ただ、手紙に近い、女性向けの案内状だったから、このような差が出てきたのだろうと、今は思う。
そういえば、以前に、次男が小学校の卒業式で歌う曲の練習を聞いていて、ひっくりかえりそうなほど驚いたことがあった。
その歌は。http://momo-mid.com/mu_title/miraie.htm
kiroroの曲で 、未来へ。
やさしく感動する歌だし、実際に卒業式で聞いたときは、我が息子がピアノの伴奏者に選ばれたこともあって、感動で涙がとまらなかった。
問題の歌詞は ほら、足元を見てごらん というところ。
普通、足元をみてごらん となると、決してポジティブに考えられる内容ではない。
だから、日本語も変遷している。ギャップは、特にメールでは埋められない。