どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

表現者と音楽

2008-02-11 03:29:03 | なっとくる

昨日は、表現と音楽について考えた。

最初に驚いたのはこの音楽。http://uk.youtube.com/watch?v=jjXyqcx-mYY&feature=related  

yes、we can。福島県小浜市も応援している、大統領候補になるために、がんばっている、デモクラッツのオバマ氏の応援歌。

この製作者の音楽センスに対して、驚くとともに、オバマ氏の演説がまるで、音楽のようにリズムと強弱、音程をもっているところにも感動していた。そのままそれを歌にしてしまうとは・・・。

オバマさんは、キング牧師の再来と言われるほと、演説がうまいらしい。実は私はヒラリーの方を応援していたから・・・。あまり聞いたこともなかった。まあ、英語の演説が私に理解できないことの方が、大きな理由なのだが。。。

そこで、キング牧師の、I have a dream を 新ためて聞いてみる。まるで、歌を聴いているように、演説をしている。人の心を動かす、表現者には、音楽のように、演説をすることが求められているのかもしれない。

聞いてみて、すごい。http://video.google.com/videoplay?docid=-8628026720413462032

この人の演説を聞いていると。。。オバマ氏を応援したくなるのは、私だけではないような気がする・・・・。夢は持ち続けると叶う・・・。でも、悲しい夢だ。どうしてそれが夢になるのかと・・思うほど。悲しい夢だ。

この国の中で生活をしていると、ちょっと日本にいたときと、実は私自身も、差別に関する考え方も変わってきた。だから、私はヒラリーというところもある。

ただ、確かにこの国は、人口の割合でみるならば、アングロサクソンの白人国家ではない。ヒスパニック、アフリカンアメリカン、アジア、たくさんの国の人たちがいる。白人の国アメリカではなく、いろいろな意味において、アメリカ合衆国なんだということの方が、説得力があるのかもしれない。

ところで、昨日は次男がピアノの公開指導を受けてきた。大学の先生の公開授業だが、先生はダイナミックな表現力を彼に求めた。つまり、強弱だけではなく、余韻を残す弾き方だろうか。

私が聞いていても、彼の弾く曲は、彼自身が歌っていないと感じていた。コロコロと正確に、揃った音が鍵盤の上を転がっていく感じがする。大きな手で、もっと大きな音も出せるし、ダイナミックに弾けると誰もが信じている。

帰途につきながら、車の中で彼は、面白いことを言った。

つまり、彼にとって、表現力というのは、ことさら、物事を誇張するという風に見えるらしい。大げさな表現は嫌いだという。地道にいつも等身大の自分で、というより、ちょっと控えめな態度に共感するらしい。

スピーチの時も、淡々と喋るらしく、先生から、もっと主張したいことを、身振り手振りをつかって、表現するようにと指導を受けたとか。

そうか、性格の問題なのか・・・。確かに、それはあるのかもしれない。偉大な指導者は表現力を持っていて、それも、指導者としての能力なのかもしれないなあ・・・と、考える。表現力も能力なのか・・・。

 

日本で、九九の歌と言うのがあった。ただ覚えるより、音楽にして覚えた方がインパクトが強いのだろう。拍子をつけると、物事がすんなりいくということってある。確かに・・準備体操をするときには、オイッチニ~サンシー~なんて、声を掛け合うが、あれも、なんともいえない、音程があるし、強弱もある。

面白いなあと思った。

コメント (4)
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