一週間のアメリカ旅行から無事帰国。
旅行といっても、今回は長男の卒業式に出席し、次男の大学に行ってみる、そしておまけのボストン観光だった。
第一の目的はなんといっても、長男の晴れの式典、そして彼の新たな旅立ちに立ち会うことだった。
海外に行くチャンスにさえ恵まれなかった、いえそれを求めようとしなかった、私にとっては
棚から牡丹餅のように海外経験をすることができる、子女 つまり海外に赴任する親に同行する子供たちは、華やかに、そしてうらやましく思う存在だった。
ところが、それは結果として彼らの労苦の上にあるのであって、途中でどうしてもなれなくて帰国するお子さんもいるし、大切な友達を失い、異文化に溶け込めず、能力を開花できず心に深い傷を負う子供たちもたくさんいる・・・だろうと思う。異文化の中でで自分の居場所をみつけることは、そう簡単ではない。
我が家の三人息子の中でも、優等生で品行方正、だれもに存在を一目おかれていた長男は、それら今までのステータスのすべてを異文化の中で否定された。それどころか、英語もわからん、つまりまともに発言できない、何にも自己表現できない人間に突然変えられた・・。親がその現実に気付いたとき、逃げる選択肢はなかった。極端な話、悪に走るにも、コミュニケーション能力は必要で・・・彼はそれら全てを失った。
同じ思いを私が感じた?・・そんなことはありえない。彼は、それに一人で立ち向かった。長い道のりだったにちがいない。
卒業式、大勢のアメリカ人の集団の中、スタジアムの観客席で。私はひとりで彼を探していた。名前を呼ばれた彼は、堂々と卒業のデプロマを受け取り、高らかに左手を上げた。私がどこにいるかわからなかっただろうから、あの手は誰に向かって、どこに向かって振り上げたのだろうか。私は、彼が今までの自分に 長い8年間に自分に対して、静かにこみ上げるものをこめて振り上げた手のように感じていた。
自信に満ちた彼の雄姿を見たとき、私は泣かなかった。誇らしく、アメリカ人のように、声をあげて彼に、good job! と言いたかった。
長い間の肩の荷がひとつ降りた。息子は間違いなくアメリカに渡ったことを自分で有意義な経験にしてみせてくれた。
彼が高校を卒業するときは、私はただただ申し訳なくて涙が流れた。その涙を誰にも見せることはできなかった。それは当人も傷つけるし、また他の人たちも傷つけると思ったから。ただただ、辛いだろう、辛かっただろうと、苦しい涙だった。
今、晴れやかな彼の門出に立ち会えたこと。心から感謝したいと思った。
二人でボストンローガン空港から飛び立ったとき、私は『ありがとう』と、感謝の気持ちでいっぱいだった。
そして、また来るからねと思った。
マジでマイレージ貯めなくっちゃ。