異文化の中で6年間暮らしたこと
それは、確かに私を大きく変えた。『行ってよかった』と、心から思っている。
が、しかし、最近 私は実は私が失ってきたものにも気付かされている。
結論からいうと『仲間』
異文化の中で、言葉にハンディを抱えながら暮らしていると、人の話はわかって半分。もちろん言葉のハンディを乗り越えて、心から通じ合えた友人や師がいたには違いないが、カレッジのクラスメイトなどとは、何かを一緒にやろうとした なんてことはなかった。息子たちの学校の親たちとも、行き来は子供たちを通じてあるものの・・・どこか、いつも私は一人だった。
そして、いつの間にか私は、『ひとりでどこにでもいける人』になっていた。悪いことではない。自立しているのだからね。
日本に帰ってきてからも、『ひとりで・・・・』は、続いていった。
最近、通い始めた学校では、クラスメイトたちが、とても仲良く勉強をしている。お昼を食べるときも、声を掛け合う。
そんな中でも、私はなんだか『ひとり』を貫いている。
人見知りナ性格に 『ひとり』が加わって、さらに強いキャラが出来上がってしまったようだ。
つい先日、偶然家が近くの方と、図書館で一緒に勉強した。いつも一人でいく図書館だった。ランチでも話は盛り上がる。勉強を続けている目的がほぼ同じなので、話は広がり、深まる。ひとりで窓の外を見つめて食べていたランチが、うきうきと楽しい。
人生の醍醐味は出会い なんていいながら、人見知りで人と交わらなくてもいい という姿勢をとっていた自分に気付かされた。きっとその気持ちは、私の表情となっていたに違いない。
もっと楽に、人といると楽しいなあ と言えばいいのにね。
ランニングだって楽しかった。手を振り合って走ることは楽しい。
24日の試験日は、友達と声を掛け合いながら、受験できるはすだ。9日には、大学のミニ同窓会。ゼミを越えて集まるので、なんと卒業以来お会いしたことがなかった、先輩ともお会いできる。
秋の訪れに、薄い上着を羽織る・・・その前に、よろいのような、『ひとり』を、ぬぎたいと切望する。
それは、確かに私を大きく変えた。『行ってよかった』と、心から思っている。
が、しかし、最近 私は実は私が失ってきたものにも気付かされている。
結論からいうと『仲間』
異文化の中で、言葉にハンディを抱えながら暮らしていると、人の話はわかって半分。もちろん言葉のハンディを乗り越えて、心から通じ合えた友人や師がいたには違いないが、カレッジのクラスメイトなどとは、何かを一緒にやろうとした なんてことはなかった。息子たちの学校の親たちとも、行き来は子供たちを通じてあるものの・・・どこか、いつも私は一人だった。
そして、いつの間にか私は、『ひとりでどこにでもいける人』になっていた。悪いことではない。自立しているのだからね。
日本に帰ってきてからも、『ひとりで・・・・』は、続いていった。
最近、通い始めた学校では、クラスメイトたちが、とても仲良く勉強をしている。お昼を食べるときも、声を掛け合う。
そんな中でも、私はなんだか『ひとり』を貫いている。
人見知りナ性格に 『ひとり』が加わって、さらに強いキャラが出来上がってしまったようだ。
つい先日、偶然家が近くの方と、図書館で一緒に勉強した。いつも一人でいく図書館だった。ランチでも話は盛り上がる。勉強を続けている目的がほぼ同じなので、話は広がり、深まる。ひとりで窓の外を見つめて食べていたランチが、うきうきと楽しい。
人生の醍醐味は出会い なんていいながら、人見知りで人と交わらなくてもいい という姿勢をとっていた自分に気付かされた。きっとその気持ちは、私の表情となっていたに違いない。
もっと楽に、人といると楽しいなあ と言えばいいのにね。
ランニングだって楽しかった。手を振り合って走ることは楽しい。
24日の試験日は、友達と声を掛け合いながら、受験できるはすだ。9日には、大学のミニ同窓会。ゼミを越えて集まるので、なんと卒業以来お会いしたことがなかった、先輩ともお会いできる。
秋の訪れに、薄い上着を羽織る・・・その前に、よろいのような、『ひとり』を、ぬぎたいと切望する。