昨日、新年を祝う会が学校で開催された。今年初めての仕事になるのだが、授業ではないから、なんとなく気楽な気持ちで参加した。
生徒たちと、新年のあいさつをし、講師の先生方にもあいさつをする。講師は曜日ごとに授業を担当するので、曜日が合わない先生とは、本当に久しぶりにお会いした。
楽しいセレモニーも終わった時、ベテランの先生とある中国人の生徒について、話をした。私が担任の生徒だったので、ベテランの先生から話しかけられたという方があたっているかな。
先生は、その生徒が非常に伸び悩んでいいて、その原因が文法がめちゃくちゃなところにあるとおっしゃる。助詞の使い方がまったくいい加減である。加えて、そこを本人が自覚していないという。通じてしまえば、どんな助詞を使っても構わないと思っているところが、大問題。いったいどんなところで最初に日本語を習ったのかしら・・・・と、続いた。
確かに、一番最初にどんな人から、どんなふうに習ったのか・・・は、大きな影響がある。
私の最初の英語の先生は・・・発音の練習を重視せず、文法が中心だった。その後の先生はお武家の奥様風で、発音が重たかった。子音の後の母音をはっきり発音するために、その発音は典型的な日本型英語の発音だった。その英語では英語の歌は歌えないし、会話にもならない。したがって、私は英語の発話が大嫌いになった。
アメリカでテニスを始めたが、まあ~いい加減な教え方だったから、私は一から日本のコーチに鍛えなおされている。グリップの握り方????なんだ、それ?って感じの顔をしたら、日本のコーチはひっくり返っていた。『それが一番大事なんだよ!!』
そうだ、体験的に言っても、一番最初にどこで、だれに習うのかは、とても重要なことだ。ふと、私は自分のことを思う。生徒の大半は母国で日本語の勉強はいくらかはしてきているが、日本で始めての先生は・・・・私だ。ということが、たくさんある。
そうだ。私もその初めての先生じゃないか。おっと・・・これは大変だ。
そんなこと、とっくに気づいていたでしょう?と思うことも、実際には気づいていないことも多い。なんだか、ひどく自分が大事なことを見落としていいたような気分になってきた。
明日から授業が始まる。今日は朝からずっと、明日の授業の準備をしている。
新年に きりりと冷や水 凛とする