お弁当がないと、話題がないというのもなんだなあと思って、最近、いえ、前から気になっていることを書きます。
最近、いえもっと前から国会という国の最高機関で、「記憶にございません」とか、ふざけたことをいう政治家がいます。
何故ふざけているかを考えてみたいと思います。
記憶にない→つまり、簡単にいうと「覚えていません」ということです。
それを「記憶にございません」というと、なんだか中立的な、はっきりいって誰のこと?人のこと?いえいえ、記憶の問題ですと、煙にまかれるようなニュアンスに変わります。だいたい文法もなってない。そんな日本語はないのです。
国会で、「覚えていません」「忘れました」と答えるとどうなるでしょうか。でも、これが真実、事実だと思います。
同じように日本語には面白い表現があります。
毎回電車に乗っていて思う事、「電車のドアが閉まります」→でも、ドアを閉めているのは運転手さんです。つまり、「ドアを閉めます」だと思うのです。でも、「ドアが閉まります」というと、人間の責任は回避して、電車の行動になります。電車は自分でドアを閉めるのか?
東北では、(仙台では)歯医者さんが「口をあいてください」と言います。え?「口を開けてください」」でしょう?と、私は思うのです。
日本語のなんだか人ごとにしてしまう言い回しに、私たちは翻弄されてしまわないようにしたいものだと思います。