どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

記憶「に」ございません

2024-02-12 06:08:09 | がっちんこん

お弁当がないと、話題がないというのもなんだなあと思って、最近、いえ、前から気になっていることを書きます。

最近、いえもっと前から国会という国の最高機関で、「記憶にございません」とか、ふざけたことをいう政治家がいます。

何故ふざけているかを考えてみたいと思います。

記憶にない→つまり、簡単にいうと「覚えていません」ということです。

それを「記憶にございません」というと、なんだか中立的な、はっきりいって誰のこと?人のこと?いえいえ、記憶の問題ですと、煙にまかれるようなニュアンスに変わります。だいたい文法もなってない。そんな日本語はないのです。

国会で、「覚えていません」「忘れました」と答えるとどうなるでしょうか。でも、これが真実、事実だと思います。

同じように日本語には面白い表現があります。

毎回電車に乗っていて思う事、「電車のドアが閉まります」→でも、ドアを閉めているのは運転手さんです。つまり、「ドアを閉めます」だと思うのです。でも、「ドアが閉まります」というと、人間の責任は回避して、電車の行動になります。電車は自分でドアを閉めるのか?

東北では、(仙台では)歯医者さんが「口をあいてください」と言います。え?「口を開けてください」」でしょう?と、私は思うのです。

日本語のなんだか人ごとにしてしまう言い回しに、私たちは翻弄されてしまわないようにしたいものだと思います。

コメント
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