日本語を教えるということは、英語を習っている私からは、逆さの視点。発見だらけだった。まず、わたしたちの仲間内日本人同士で、時にアメリカ人の先生を評する。親切よね、分ろうとしくれるしね。全然ダメ、コミュニケーションをとろうともしてくれないのよねえ。日本語を習いに来てくれた、アメリカ人の先生は日頃はどういった風に評されているのだろうか。彼女は疲れているようだった。全く言葉を理解できない子(幼稚園)が入っているのよ。親はどうなの?英語は話せるの?わからないわ。こちらの生活が長い子も、英語がわかっているのかどうか、話そうともしてくれないの。それは、大変ね。これは、アメリカ人同士の会話。ちょっと、耳が痛い。そっか、先生も大変だア。一通り用意したプログラムをこなした後、彼女の質問の嵐。彼女が知りたいと思っている日本語の表現。座りなさい。静かにしなさい。わかった? 国際的に教育現場は逆から見ても同じなのかもしれない。次回のプログラムは、お腹痛いの?どうしたの?などにしようと思っている。
英語で日本語を教えることになった。といっても、来て三年。普段から語学修練が嫌いな私のレベルは、正直ひどいもの。では、何故私にその大役が・・・・。帰国した友人が私を推薦したらしい。初めてのこと。教会で私を待っていたのは、帰国しタ友の両隣の住人、そして自分のクラスに日本人の男の子が入ってきて、コミュニケーションに困り果てている、切羽詰まった学校の先生の女性三人だった。切羽詰った教師は、さすがに飲み込みが早い。そして、三人ともがもともと、日本人に対して好意的で、私にとっては非常に居心地が良い。考えていた内容は突っ込まれてしまうと、説明にしどろもどろ。日本語ってどうしてこんなに説明するのが難しいのだろう。楽しい時間の中で、出てくるのは、友人の話だった。たまたま、ここで知り合った日本人同士はもともと縁もゆかりもない。それぞれの事情で帰国したり、残ったり。別れを惜しむよりも、これから先もどうやって、良い関係を保っていけるかを考えることにしていた。そうやって私は、ひとつひとつの別れを悲しまないでいこうとしてきた。友人が帰ってもう何ヶ月になるのだろう。彼女が残していった物に触れた私は、初めてここに居ない友を実感し、涙が止まらなかった。
物事には、あたりまえに、できること、出来ないことがある。それを正しく理解するのは、実は本当に難しい。できたらいいのになあ・・・と思うこともあれば、できそうにないと、二の足ならず一の足も踏み出そうとさえしないこともある。踏み出したものの、着地先を考えておらず、上げた足のまま考えることもある。実は、私にはこれは非常に多い。言葉を代えるならば、果敢、もしくは無謀。今日も頭をかかえる。問題は明日にある。どうしよう
アメリカで太極拳を体験してきた。ずっとやりたかった。アジア人である誇りがよみがえってくる。体のしなやかさは天性よ!!でも不思議な感じだった。雑多な、アメリカ人の人たちが参加していた。インストラクターの模範演技は、アル中患者のラジオ体操のようだった。(ごめんなさい)我が民族には、体から入る。。。みたいなところがあるでしょう。それなりの格好をして、風貌も得れるというか・・・・確かに上げ底かもしれないけど。T-シャツで色あせたラフなスラックスだと、ちょっと入れない壁を感じてしまった。らしくあって欲しいなあ。と。らしからぬ発言。
ストレスとは、人間関係です。。。と、言った人がいた。一瞬?と思って、そうだなあ、広義ではそうなのかなあ。。。。と考える。後、逆にスカッとしたものを感じる。そっか、人間関係だよね。生活そのものの大部分が人間関係だった。ああ言った。こう言われた。ああ、言っちゃった。とかね。冷静に自分を分析するには、自分を言葉にすることかもしれない。自分のなかにだけ、向った言葉から生まれてくるのは、そう反省。でも、それだけだと、明日も生きていく元気な勇気にならないこともあるから。今日から、ブログ?(語源はなに?)に、向き合ってみる。