ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

埼玉県所沢市の地元の農産物販売所で、リンゴの「はるか」を購入し、いただきました

2017年01月17日 | グルメ
 埼玉県所沢市の地元の農産物販売所で、偶然見かけたリンゴの「はるか」を購入し、いただきました。

 このリンゴの「はるか」は、皮は黄色で、サイズはいくらか大きいものです。



 貼られたラベルには「山形産」と書かれていました。

 食べてみると、肉質はやや硬めで鮮度がいい感じです。味は、いくらかあっさりした甘い味わいです。その甘さは品のいい甘さで、しつこくありません。

 初めて見たリンゴの品種なので、今回、買い求めてみました。

 ラベルには、「山形産」とあり、山形県の農業事業者が栽培し、出荷しています。

 Webサイトで、リンゴの品種「はるか」を調べてみると、岩手大学農学部の教授が「ゴールデンデリシャス」の自然交雑種子を播種し、その実生の中から選抜し、育成し、1994年(平成6年)に最終選抜され、2002年(平成14年)に品種登録されています。

 このため、リンゴの「はるか」の生産量は岩手県が一番多く、宮城県が第二位だそうです。

 味については、「かじるとしっかりとした固めの歯触りが感じられ、酸味は大人しいのでより甘さが強く感じらる」と書かれていました。確かにそうだったと思いました。

日本経済新聞紙のコラム「私の履歴書」の「カルロス・ゴーン編」を拝読しています

2017年01月17日 | 日記
 日本経済新聞紙の朝刊の最終面の文化欄に掲載されているコラム「私の履歴書」は、2017年1月は日産自動車社長のカルロス・ゴーンさんの履歴書です。

 カルロス・ゴーンさんは、1999年4月にフランスのルノーから日産自動車の再建を託されて、当時の日産自動車の塙義一社長の下に向かいます。

 2017年1月14日に掲載された「私の履歴書 カルロス・ゴーン13」は、日産自動車の再建プラン「日産リバイバルプラン」(NRP)をつくり、部品メーカー各社などに説明を始める話です。「部品などの購買コストを20パーセント削減し、当時の日産自動車の負債を半減させる」と宣言します。

 この部品メーカーとの取引見直しは「系列破壊」と揶揄されたものです。

 日本経済新聞紙のWeb版である日本経済新聞 電子版の見出しも「私の履歴書 カルロス・ゴーン13 ゴーンショック」です。



 この「私の履歴書 カルロス・ゴーン13」の中核部分は、日本の鉄鋼メーカーの再編に至った話です。

 この時点で、日産自動車は鉄鋼メーカー4社から車体用鋼板を購入していましたが、これを見直し、当時の新日本製鉄(現在の新日鉄住金)と川崎製鉄の2社に大部分を絞り込みます。

 この結果、日産自動車との取引量が大幅に減ったNKK(日本鋼管)は、2001年4月に川崎製鉄と経営統合すると発表します。この当時は、マスコミは“ゴーンショック”と呼びました。

 この当時は正直、川崎製鉄とNKKが統合してJFEスチールなどが誕生したことに、大変驚きました。その後のアルミニウムメーカーの統合のさきがけになるような材料メーカーのリストラでした。

 当時、赤字に落ちっていた日産自動車を建て直すために、カルロス・ゴーンさんが選抜した社員たちによる「日産リバイバルプラン」が成功しないで、1年後の黒字化が達成できなければ、カルロス・ゴーンさんは日産自動車から去る覚悟だったと書いています。

 この「日産リバイバルプラン」によって、当時の日産自動車は5個所の工場を閉鎖し、従業員を15万人から2万人分を削減し、2兆円の有利子負債を解消したと書いています。しかし、この従業員削減の中には、知人が何人か含まれており、その方の人生は大きく変わりました。

 日産自動車は2002年にはV字回復したとみられています。

 2017年1月15日に掲載された「私の履歴書 カルロス・ゴーン14」は経営計画の名前には必ず数字を入れるという話です。日産自動車再建から成長路線にのせるための「日産180」中期計画です。

 日本経済新聞 電子版の見出しは「私の履歴書 カルロス・ゴーン14 日産180」です。



 日産自動車は世界での販売台数を2005年までに100万台分増やすという意味で「1」を入れ、営業利益率を業界最高の8パーセント以上にするという意味で「8」を、有利子負債を無くすという意味で「0」をいれました。

 こうしてみると、社長のカルロス・ゴーンさんは優れた再建手腕を持ち、それを従業員に伝えていると感じました。

 2017年1月16日に掲載された「私の履歴書 カルロス・ゴーン15」は、日産自動車が世界最大の自動車市場の中国に本格参入する話です。

 2002年3月に、中国の東風と資本提携することに基本合意し、事業化調査を始めます。2003年に合弁会社の東風汽車を設立します。

 この「私の履歴書」の「カルロス・ゴーン編」は、日本人経営者ではなし遂げられなかった日産自動車の経営再建を部分的に明らかにしており、当時は分からなかった部分が少しは理解できたというのが素直な感想です。