新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

W杯サッカーの雑感

2014-07-05 09:04:27 | コラム
ブラジル対コロンビアの凄い試合を見て:

5日は何の理由もなく早くから目が覚めたので、偶然にNHKを見たらこの試合だった。直ちに閃いたことは「コロンビアはブラジルの敵ではない」だった。そして余りにも早くブラジルが先に点を取ったので、勝負の先行きを見る興味を失ってしまった。このような試合を見ると、ジャンルを「文化」にしたいくらいだった。我が国のサッカーとは違い過ぎるのだ。

同じ南米の国同士で勝ち上がろうという試合だから、両国の選手たちの闘争心(ファイトではない、念のため)の表現は凄まじかった。もしも、バスケットボールのように「5ファウルで退場」としていたら、あの当たり方では両国の選手たちは一体何人残っていたかと思わせるほどだった。私にはその当たりに彼等の「勝ちたい本気度」を感じさせられた。

我が代表はコロンビアに4点も取られて負けてしまったが、彼等はあの試合ではブラジル相手に見せたような「反則を怖れずに兎に角足を出そうと手を使おうと、相手の動きを止めてしまえ」という当たり方というかタックルをして見せなかった。即ち、余裕を見せただけではなく本気を出すまでもなかったと見たのだ。正直に言えば「あれだけ一所懸命にやっても結果が出なかったのは残念でもあり気の毒だった」と思っている。

我が国のサッカーがあの連中に伍して一歩も退かないようなサッカーをするまでには、未だまだ先は長いだろうなと思わせてくれた。これはただ単に「闘争心」とか「闘志」とか「やる気」もさることながら、常にそういう環境で揉まれていなければならないことと、体格の問題があると思いながら見ていた。換言すれば、もう「フェアープレー賞」を貰わないようにせねばならないことかと思っている。それは「如何にして闘争心を見せるか」ではないのだろうか。それは「技術の進歩」なくしてあり得ないのだ。

次ぎに痛感させられた点は「手を使って相手を止める反則」をFIFAが厳しく取れとの指令を出したことだ。そこには開幕第一戦目で日本の西村主審が日本式の判定でペナルティーエリア内でクロアチアのディフェンスの手を使った反則を取ってブラジルにPKを与えたことが基準になってしまったと見た。西村氏はそこまで意図してあの笛を吹いたとは思えないがあの判定以降、厳格になったのは疑いもないと思っている。

ここで余談である。ある意味では中継をしているアナウンサーないしはテレビ局の不親切さを採り上げたい。何を言いたいのかと言えば「多くの国は異なる言語圏から出てきいる。その選手たちの姓名の読み方をもう少し親切にして貰いたい」ということ。私は英語式な読み方と少しだけスペイン語読みについて行ける程度だ。

そこで、選手が背中に表示しているのが「名字」なのか「名前」(おかしな日本語に従えば下の名前だ?)なのかが判然としないのだ。しかも、名字の場合でも所謂「ローマ字読み」なのか「その国の発音に準拠しているのか」を事前に教えて貰いたいのだ。例を挙げればブラジルに「フレッジ」という選手がいたようだったが、私が発見出来たのは "Fred" だった。どうやらポルトガル語読みで中継してくれたらしい。

すでにコロンビアの敗戦の観戦記で触れたが、エースと言われている10番を付けた選手は「ロドリゲス」なのだが背中には "James" とあり、時には「ハメス」と呼び、時には「ゴンザレス」なのでは不親切極まる。私は僅かな知識で「ハメス」が「ロドリゲス」だと判断出来たのだが。試合開始前にそういう解説をしてくれても良くはないか。特にポルトガル語は英語の常識では判読出来ない場合が多いのだから。Ronald と書いて「ロナウド」だと言われても困る。

話を本題に戻せば、ブラジルが2点目を取ったところで「コロンビアさん、ここまで楽しませてくれて有難う」と感謝の辞をテレビに向かって述べて新聞を読みながら音だけ聞いていた。本田が「優勝する」と言って出ていったことを批判する声があるが、私は「それくらいの気概がなければW杯では戦へない。その壮なる意図は良しとする」と認めている。そこを目指さなければ、何時まで経ってもあの両国の域に達することは出来ないだろうから。

14年6月の新宿の人口

2014-07-05 08:04:37 | コラム
総人口の増加率は5月の0.5%から0.05%に低下、外国人は0.08%とほぼ変動なし:

新宿区役所の“広報しんじゅく”の14年7月5日号によれば、14年6月の区内の人口は対前月比170人と、対前月比0.05%の増加で32万6,479人となった。外国人は対前月比で28人の増加で35,109人と0.08%の増加で、昨年12月との対比では716人または2.1%の増加だった。実感では大久保・百人町では相変わらず中国系とマレーシアかインドネシアと覚しきイスラム教国の男女の若者が増え続けている。それ以外の東南アジア系の言語を話している者も増えている。私には居住者か旅行者かの見分けが付かない連中が我が物顔で楽しげに大声を上げた語り合いながら大久保通りをのし歩いているのを見ると、我が国は外国人に優しいのだなと痛感する。

5月との比較では日本人は男女合計142人増加で、内訳は男性が128人女性は14人の増加だった。外国人は28人の増加だったが男性が41人の増加、女性は13人の減少だった。私の印象では外国人は増加し続けており、特にイスラム教徒は増える一方なのである。私の関心は中国人がどれほど増え、韓国がどれくらい減り、イスラム系が増えたかにある。

Koreatownを訪れる我が国の女性の数は明らかに減少傾向が続いているが、想像すれば韓国製の化粧品の定期的購入者が来訪者の中核を為しているのだろう。大久保通りのJRの新大久保駅以北を歩く若者は中国語系と東南アジア系が相変わらず増えている。日本語学校に通ってくる若者も多く、私には不可解な日本語学習の人気は衰えていない様子だ。以前から指摘してきたことで、他の諸外国に行ってそれほど汎用性があるとも思えない日本語を、何故にアジアの若者が習得しようとするのか。それは単に滞在資格が許す範囲内の労働をするだけの目的なのかという疑問だ。このアジア系の若者たちは日本語を覚えて何の得があるのだろうか。

新大久保駅前の文化通りのハラル・フードを売る数件の店を訪れるイスラム教徒たちは当たり前のように増え続けている。しかし、出来たばかりのイスラム教圏の料理が売り物のレストランに客がいるのを見たことがない。何か他の目的があった開店したのだろうかと今でも疑っている。

外国人の比率は6月には10.75%で5月の10.75%と同率だった。4月には10.41%と対比すれば微増だった。3月は10.50%だった。なお、2月の10.59%、1月の10.52%、昨年12月の10.60%だった。因みに、11月は10.59%で、10月は10.34%、9月は10.25%、8月は10.32%で、7月は10.32%と6月は10.39%、5月は10.43%、4月は10.13%、3月は10.17%、2月は10.23%、1月は10.45%だったので、常に10%台は維持されている。

問題はその国別の比率だ。悲観論者の私は「中国人が増えるのは何らかの裏の意図があって我が国に入ってくるのではないか」という辺りが気懸かりなのである。

参考資料:“広報しんじゅく” 14年7月5日号