新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米間の労働力の質の違い

2014-07-25 08:58:43 | コラム
我が国とは異なる文化と社会の仕組み:

私が表だってアメリカの労働力の質の問題を論じ始めたのは、1994年のW社リタイヤー後のことだった。この問題を簡単に言えば「労働力の質に疑問があるが、そこにはアメリカ市場と需要家と最終消費者の受け入れ基準が我が国との対比では非常に甘く且つ寛容であること」にあると思っている。

私はこれまでに何度か「アメリカには気の毒な面がある」と指摘してきた。その「気の毒さ」が端的に表れている例の一つが労働組合員の質なのである。回りくどいことを言わずにハッキリと言えば、我が国よりは質が低いのである。その原因を敢えて分析すれば、

*社会に歴然とした階層があり、労働組合員になれば先ずそこから他の(ないしは上の?)の階層には移行していくことが例外的にしかないのだ。この辺りは我が国では新卒が先ず組合員として工場の勤務を経て行く場合があるシステムとは非常に異なっている。

*雇用機会均等法(The Equal Employment Opportunity Law)があり、少数民族(と身体障害者)を雇用する義務があること。そこには屡々指摘される「英語を十分に話し且つ聞く力がない者」も入っていることであり、これが折角用意されたマニュアルの読解力がないか読んだ振りをする者が出てくることを意味する。これでは中には紙製造の必要最低限の技術を身に付けていない者がいるという重大な問題を生ずるという意味でもある。

我が事業部では私も含めて全員で何度も繰り返して組合員の直開けの後で残業料を払って集まって貰って「品質向上が如何に大切で、君たちと我々の職の安全に直結する」と語って聞かせた。私も何度も語った。ある時にそこで質問に立ち上がった者の一人が真剣に片言の英語で話したので問題を生じないように出身の国を尋ねた。するとヴェトナムで、機会を求めて移住してきたと知った。このように移住してきた者も数多くいるのが組合であると思っていて良いだろう。

*カーラ・ヒルズ大使が指摘された「初等教育の改善と識字率の向上」は上記とは別のことで、嘗てFRB議長だったポール・ヴォルカー氏は「基本的計算能力(=numeracy、一桁の足し算と引き算が出来ること)の向上を付け加えておられたとも聞いた。

*アメリカの消費者は我が国ほどの細かく且つ厳密な品質に対する要求していない。一方、我が国では厳格な要求に応えて高度な製品を市場に送り出している製造業の高度な技術水準と労働力の質の高さはそれほど認識されていない気がする。寧ろ、その質の高さが当然であり、そういうものだと捉えている感があると思う。私はこの状態を事業部も者たちに「我が国の消費者はスポイル(カタカナ語だが)されてしまった」と表現したものだった。

即ち、アメリカの製造業は我が国との対比で大甘の市場の受け入れ基準に甘んじていただけだったので、私の業界の紙パルプでは日本の市場で大いに苦労させられたのだった。カーラ・ヒルズ大使はこの辺りを十分に認識されて、労働力の質の改善のための上記の2項目を掲げられたと解釈している。私にはポール・ヴォルカー議長の指摘も尤もだと思ったものだった。

我々は対日輸出でより一層の成功を収めるためには製品の品質向上は必須であり、そのためには労働組合の協力も絶対に必要であると認識して、繰り返して彼等に質の向上の努力を説いて聞かせたのだった。そして、結果的にはその努力が報いられたのだった。その具体例を挙げてみよう。

*組合員の意識改革の例を挙げよう。私も現場の組合員で最も手強いと聞かされてやや遠慮気味に接していた巨漢がいた。その彼にある時現場を歩いていて呼び止められた。恐る恐る近寄ると「問題だと思う保留にした製品が大量に出た。班長はこれくらい問題ないから合格にしようと主張する。彼は指令通りの生産量を上げて認められようという "product out" 主義者で俺には納得出来ないから、日本市場担当のお前の判断を仰ぎたいのだ」と言い、保留になっている製品の山に案内した。

私は緊張して検品した。それは本来そういう検査をする担当でも権限もない私にも解る限界ギリギリの質で、日本市場では90%以上の確率で拒否されるものだと告げた。彼は安心した表情で「では班長が何と言おうと格下げ品にする」と断言した。私は早速技術サーヴィスマネージャーを呼び出してこの件を伝えた。彼は喜色満面で「彼奴がそこまで言うような意識を持ってくれたか。努力が報われたな」と言ってから検査して不合格品と判定した。

我が国ならば、恐らく話題に上ることもないとしか思えない挿話だが、我々はこの辺を出発点にして日本市場に通用する品質改善を、労働組合員との絶え間ない接触で意識改革に努めたのだった。これは決して自慢話ではないとご理解賜りたい。私は単に日米間の諸事情を違いを述べてきただけである。それほど文化が違う他国の市場に受け入れられるのは容易ではないということだ。