私の商社論:
1975年頃にぼある商社の紙パルプ部の中堅の精鋭と大阪で懇談しました。その際に「国立大出身の若手を多く集めて段ボール原紙の販売を充実させる態勢を整えました」という話が出たので「それは商社にありがちな人材の無駄遣いになるかも知れない。その種の定期的な契約を成約できたらば、後は受け渡しと事務整理を恙なくこなせば良くはないのか。事務処理に一流の国立大学出身者を専念させずに、新規開拓に投入されたら如何か。特にそのような人材を活用して御社が得意としない洋紙の分野の強化を図れば如何か」と言いました。
彼等は「如何に貴方でも無礼な言い方だ」と怒って暫時退席。10分ほどして戻ってきて「失礼しました。貴方が言われた通りかも知れない」と言って和解。それから夕食の席に向かいました。この辺りが関西商法の感情論とならない合理性を見出したのでした。その精鋭の一人が神戸大出身の現在では70歳を過ぎても我が国最大の包装用箱の会社の社長を務めておられるO氏。商社から最大の取引先の社長に転出された珍しい例。当時は出色の若手でやり手でした。
S商事とは我が事業部との取引は70年代に自然消滅していましたが、個人的に親しくしていた方が多く、皆穏やかな関西人でした。だが、個性が豊かで楽しめました。後に系列の内販会社の社長になられた一橋サッカー部で名手だったK氏は「当社に入りたがる学生さんが多い。彼等を先ず子会社のSストアに連れて行く。そして裏側で大きな前掛けをかけて魚をさばいてトレーに乗せている作業を見せて『彼も東大卒』だが、あれをやる覚悟があるかと尋ねる。
全員が御社に採って貰えるならば厭わないと答える。そこで古紙事業部の集荷場に行って、もうもうたる埃と臭気と古紙の山に埋もれてコンベイヤに乗って流れてくる古紙の選別を汗をかきながらやっている人たちを見せて『彼等も国立大出身』と言うと、そこで『もう結構です』と辞退者が出る。そのくらいの覚悟がないと商社は勤まらない。「良い洋服を着てブリーフケースを持ってビジネスクラスに乗って海外を飛んで歩けるエリートなんてほんの一握りだ」と言ってやっても、学生にはピンとこないので」と言っておられました。
毎度お馴染みのあの商社では、新入生が3日ほど同じスーツを着ているので理由を尋ねると「社内に連泊しています」という答え。夜は会議室の椅子を並べて寝ているとか。着替えは近所のコンビニで毎日買っているとのこと。彼は未だ受け渡し業務を習得中で課全体の事務を背負っていたのでした。彼は言いました「家に帰れないのは毎日の業務を残業せねば裁けない私の能力不足か、会社の仕事の割り振りがおかしいのか何れか。しかし、私はその両方だと思う。同期入社で鉄鋼に配属された者などは2週間も家に帰っていないとかで、私は未だ負担が軽い方かと思います」と。
世間ではマスコミが商社をエリート集団などと囃し立てます。だが、それはその通りだとは申せ、そんなに綺麗事では済まない点に触れていません。彼等は実態を何処まで承知して言っているのやら。私は重要な取引先として長年商社を観察し、さらに後年では内部に入れて貰った経験から言えば「個性豊かな能力の高い者(エリートとも言いますが)を集めた集団であるのは間違いないでしょう。だが、それと担当する仕事が優雅などと思ったら大間違い。売上高の維持も大変だし、仕事の量の大きさ等は世間並みの常識では計り知れない所です」と指摘したいのです。
ここまででは「商社とは」のほんの一部を語ったに過ぎません。ここからさらに間口を広げて語ればかなりな長編になるでしょう。アメリカのサプライヤーとしては商社とは常に友好関係の維持に努め、常に協力し合って最終需要家との定期的取引の長期継続を図っていました。そこには、言うなれば持ちつ持たれつに近い緊密な間柄があったのです。
1975年頃にぼある商社の紙パルプ部の中堅の精鋭と大阪で懇談しました。その際に「国立大出身の若手を多く集めて段ボール原紙の販売を充実させる態勢を整えました」という話が出たので「それは商社にありがちな人材の無駄遣いになるかも知れない。その種の定期的な契約を成約できたらば、後は受け渡しと事務整理を恙なくこなせば良くはないのか。事務処理に一流の国立大学出身者を専念させずに、新規開拓に投入されたら如何か。特にそのような人材を活用して御社が得意としない洋紙の分野の強化を図れば如何か」と言いました。
彼等は「如何に貴方でも無礼な言い方だ」と怒って暫時退席。10分ほどして戻ってきて「失礼しました。貴方が言われた通りかも知れない」と言って和解。それから夕食の席に向かいました。この辺りが関西商法の感情論とならない合理性を見出したのでした。その精鋭の一人が神戸大出身の現在では70歳を過ぎても我が国最大の包装用箱の会社の社長を務めておられるO氏。商社から最大の取引先の社長に転出された珍しい例。当時は出色の若手でやり手でした。
S商事とは我が事業部との取引は70年代に自然消滅していましたが、個人的に親しくしていた方が多く、皆穏やかな関西人でした。だが、個性が豊かで楽しめました。後に系列の内販会社の社長になられた一橋サッカー部で名手だったK氏は「当社に入りたがる学生さんが多い。彼等を先ず子会社のSストアに連れて行く。そして裏側で大きな前掛けをかけて魚をさばいてトレーに乗せている作業を見せて『彼も東大卒』だが、あれをやる覚悟があるかと尋ねる。
全員が御社に採って貰えるならば厭わないと答える。そこで古紙事業部の集荷場に行って、もうもうたる埃と臭気と古紙の山に埋もれてコンベイヤに乗って流れてくる古紙の選別を汗をかきながらやっている人たちを見せて『彼等も国立大出身』と言うと、そこで『もう結構です』と辞退者が出る。そのくらいの覚悟がないと商社は勤まらない。「良い洋服を着てブリーフケースを持ってビジネスクラスに乗って海外を飛んで歩けるエリートなんてほんの一握りだ」と言ってやっても、学生にはピンとこないので」と言っておられました。
毎度お馴染みのあの商社では、新入生が3日ほど同じスーツを着ているので理由を尋ねると「社内に連泊しています」という答え。夜は会議室の椅子を並べて寝ているとか。着替えは近所のコンビニで毎日買っているとのこと。彼は未だ受け渡し業務を習得中で課全体の事務を背負っていたのでした。彼は言いました「家に帰れないのは毎日の業務を残業せねば裁けない私の能力不足か、会社の仕事の割り振りがおかしいのか何れか。しかし、私はその両方だと思う。同期入社で鉄鋼に配属された者などは2週間も家に帰っていないとかで、私は未だ負担が軽い方かと思います」と。
世間ではマスコミが商社をエリート集団などと囃し立てます。だが、それはその通りだとは申せ、そんなに綺麗事では済まない点に触れていません。彼等は実態を何処まで承知して言っているのやら。私は重要な取引先として長年商社を観察し、さらに後年では内部に入れて貰った経験から言えば「個性豊かな能力の高い者(エリートとも言いますが)を集めた集団であるのは間違いないでしょう。だが、それと担当する仕事が優雅などと思ったら大間違い。売上高の維持も大変だし、仕事の量の大きさ等は世間並みの常識では計り知れない所です」と指摘したいのです。
ここまででは「商社とは」のほんの一部を語ったに過ぎません。ここからさらに間口を広げて語ればかなりな長編になるでしょう。アメリカのサプライヤーとしては商社とは常に友好関係の維持に努め、常に協力し合って最終需要家との定期的取引の長期継続を図っていました。そこには、言うなれば持ちつ持たれつに近い緊密な間柄があったのです。