新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が見る商社の一面

2014-07-13 14:28:03 | コラム
私の商社論:

1975年頃にぼある商社の紙パルプ部の中堅の精鋭と大阪で懇談しました。その際に「国立大出身の若手を多く集めて段ボール原紙の販売を充実させる態勢を整えました」という話が出たので「それは商社にありがちな人材の無駄遣いになるかも知れない。その種の定期的な契約を成約できたらば、後は受け渡しと事務整理を恙なくこなせば良くはないのか。事務処理に一流の国立大学出身者を専念させずに、新規開拓に投入されたら如何か。特にそのような人材を活用して御社が得意としない洋紙の分野の強化を図れば如何か」と言いました。

彼等は「如何に貴方でも無礼な言い方だ」と怒って暫時退席。10分ほどして戻ってきて「失礼しました。貴方が言われた通りかも知れない」と言って和解。それから夕食の席に向かいました。この辺りが関西商法の感情論とならない合理性を見出したのでした。その精鋭の一人が神戸大出身の現在では70歳を過ぎても我が国最大の包装用箱の会社の社長を務めておられるO氏。商社から最大の取引先の社長に転出された珍しい例。当時は出色の若手でやり手でした。

S商事とは我が事業部との取引は70年代に自然消滅していましたが、個人的に親しくしていた方が多く、皆穏やかな関西人でした。だが、個性が豊かで楽しめました。後に系列の内販会社の社長になられた一橋サッカー部で名手だったK氏は「当社に入りたがる学生さんが多い。彼等を先ず子会社のSストアに連れて行く。そして裏側で大きな前掛けをかけて魚をさばいてトレーに乗せている作業を見せて『彼も東大卒』だが、あれをやる覚悟があるかと尋ねる。

全員が御社に採って貰えるならば厭わないと答える。そこで古紙事業部の集荷場に行って、もうもうたる埃と臭気と古紙の山に埋もれてコンベイヤに乗って流れてくる古紙の選別を汗をかきながらやっている人たちを見せて『彼等も国立大出身』と言うと、そこで『もう結構です』と辞退者が出る。そのくらいの覚悟がないと商社は勤まらない。「良い洋服を着てブリーフケースを持ってビジネスクラスに乗って海外を飛んで歩けるエリートなんてほんの一握りだ」と言ってやっても、学生にはピンとこないので」と言っておられました。

毎度お馴染みのあの商社では、新入生が3日ほど同じスーツを着ているので理由を尋ねると「社内に連泊しています」という答え。夜は会議室の椅子を並べて寝ているとか。着替えは近所のコンビニで毎日買っているとのこと。彼は未だ受け渡し業務を習得中で課全体の事務を背負っていたのでした。彼は言いました「家に帰れないのは毎日の業務を残業せねば裁けない私の能力不足か、会社の仕事の割り振りがおかしいのか何れか。しかし、私はその両方だと思う。同期入社で鉄鋼に配属された者などは2週間も家に帰っていないとかで、私は未だ負担が軽い方かと思います」と。

世間ではマスコミが商社をエリート集団などと囃し立てます。だが、それはその通りだとは申せ、そんなに綺麗事では済まない点に触れていません。彼等は実態を何処まで承知して言っているのやら。私は重要な取引先として長年商社を観察し、さらに後年では内部に入れて貰った経験から言えば「個性豊かな能力の高い者(エリートとも言いますが)を集めた集団であるのは間違いないでしょう。だが、それと担当する仕事が優雅などと思ったら大間違い。売上高の維持も大変だし、仕事の量の大きさ等は世間並みの常識では計り知れない所です」と指摘したいのです。

ここまででは「商社とは」のほんの一部を語ったに過ぎません。ここからさらに間口を広げて語ればかなりな長編になるでしょう。アメリカのサプライヤーとしては商社とは常に友好関係の維持に努め、常に協力し合って最終需要家との定期的取引の長期継続を図っていました。そこには、言うなれば持ちつ持たれつに近い緊密な間柄があったのです。

ヤン・デンマンの口を借りて何を言うのか

2014-07-13 10:18:31 | コラム
週刊新潮の「東京情報」では:

7月17日号のヤン・デンマンの「島国の外国人社長」と題したコラムは、2ページ目の最終パラまでは興味を持って読んだ。そして先頃自分で論じた「Globalization って何だ」と論旨が似ているかなと、一寸だけ良い気分を味合わせて貰っていた。

ところが、何と言うことか、この日本人が書いているとの噂がある?コラムでは「今は日本のトップである安倍晋三という愚かな男がグローバリズムや市場の開放を率先して唱えている。経済界でも、グローバル化=善という妄想が拡大しているが(後略)」と言っているのだ。

グローバル化の批判は良いとしても、安倍総理を「愚か」という表現は如何なものかと言いたいのだ。もしも未だお読みでない方は是非ご一読を。

W杯サッカーの3位決定戦

2014-07-13 08:27:02 | コラム
ブラジルは壊れていた:

13日朝は矢張りこの3位決定戦に間に合うように目が覚めてしまった。それは、唯一の興味が「あのブラジルが何処まで壊れてしまっているのか、それともいくらかでも立ち直れているか」だったからだ。結果を先に言えば「壊れ果てていた」と言うべきかマスコミが言う「サッカー王国」が果たして実態だったかと言いたいほど無残な負け方で、2試合で10点も失っていたのだった。

私は微かながらドイツに7点も取られて負けた後では「負ける時はこんなもので、恐らくブラジルの全員が我を失っていて何をやっていたか解らないうちにやられたので、もしかすると3位決定戦では立ち直っているかも知れない」とは予想はしていたのだった。

しかし、とんだ見込み違いだった。試合開始2分で今回のW杯サッカーの開幕第一戦でレフェリーだった西村雄一氏が設定してしまった「手を使って守ることに対する厳格な反則を取る基準」を承知のはずのブラジルのキャプテンで準決勝戦をイエローカードの累積で欠場させられていたチアゴシウバが、その反則を犯して致命的とも思ったPKをオランダに与えてしまった。実は、試合は実質的にここで終わったのだった。だが、最後まで見てしまった。

残念ながらブラジルは解説の清水氏が指摘したように「ここぞという時にボールを持っていない連中がノソノソと歩いていたし、全く集中力を欠いたサッカーをやっているだけ」で、遂に3点も取られて負けてしまった。そのうちの2点はゴール前でシュートをするオランダの選手を全くフリーにしてしまってという気の抜け方だった。

私はブラジルは恐らく世界最高水準にある個人技というか、優れた球扱いと正確なパス回しと体の使い方等で今日あると思っていた。しかし、個人の技術で相手を振り切って攻め込む時に特に理論ないしは決められたフォーメーションないしはシステムがあるとは見えず、世界最高の個人技依存集団かと思っていた。即ち、彼等以上の技術(個人技)も持ち合わせか理論に支えられた戦術がなければ、ブラジルには勝てないということだ。

そこに、高い個人技と整然たる理論に裏付けられた、ブラジルとは対極にあるサッカーを展開するドイツが立ちはだかって出鼻を挫き、後はその悪い流れを断ち切る精神力を失ったあの惨敗となったのだったと思う。私はそこから立ち直っているか否かが鍵を握ると思っていた。だが、そこに僅か2分でPKでは悪夢の再現だったし、彼等も「またか」と成り行き次第では取り戻せたかも知れない自信を打ち砕かれたのだと思って見ていた。

何時だったか14歳だったかで「ブラジルでサッカーを学ぼう、世界的な選手になろう」という夢を持ってブラジルに渡った日本の少年が、実際に現地に行ってみて驚き且つ落胆したと回顧している物語を読んだ。それは「ブラジルでは最下層の者たちでもサッカーで身を立てて見せようと、皆で集まって裸足で何らか材料をボールにして野原同前のところでサッカーをやって鍛え合っているのであり、、理論的に基礎を教えてくれる指導者は少なかった」という筋だった。

私はこの話を読んで納得した。それはブラジル人たちは早くから球に慣れ親しんでいるし、グラウンドの条件が悪いことなど意に介さない技術を身に付けていたということの証明だったからだ。今日の世界を支配しているサッカーでは、我々(私?)が1945年の学んだ基礎である球扱いとは全く異なる足技が主流なのであるから。

それは「トラッピング」や「ストッピング」や「右から見たパスは右足で左から来れば左足で」という古き良き時代の原則を無視しても難なくこなしてしまう個人的な技の水準の高さであると思っている。この点はこれまでに何度か指摘したが、左から来たパスを右足で蹴ろうと思えば、左足の前を通過した球を目にもとまらない早業で正確に右足で蹴らなければならないという意味で、物理的には本当に難しいのだ。そういう技を南米の選手たちは軽々とやってのけるのだ。私はこれぞ年月をかけて鍛えた「球馴れ」の成果であると思っている。

ブラジルはそういう球慣れを基礎に置いた個人技集団である。そこを理路整然派のドイツの破られてしまったのだと思っている。その余波が収まらず、準理路整然派のオランダに押し切られた試合だったと見るのだが。これから先にブラジルは苦難の道を歩んで再建せねばならないのかという気がする。だが、あれだけの個人技があれば、そこに理論を導入すればと思うが、その線の選択はしないだろう。それではフラジルではなくなってしまうから。