見ぬこと清し(潔し?):
目下中国のアメリカ系の食品会社(福喜と書いてフシと読ませるらしい)の安全管理が大問題を起こしているようだ。この問題が発覚したのが潜入取材だったという辺りが不思議な興味をそそる。中国の衛生と清潔に対する観念とその基準が、我が国とは大いに異なることが良く解る事例だ。
その昔、明治38年(1905年)生まれの母親が屡々指摘していたことが「見ぬこと清し」だった。その意味は「お客から(ないしは家族からとも言えるか?)見えない厨房で行われていることは全て清潔に調理されたとの善意の暗黙の了解で食べているのだ」ということだと教えられた。これをここでも当て嵌めれば「アメリカ系の会社で作られた物ならば清潔だろう」と勝手に思い込んでいたのではないか、となりはしないか。
私は中国を2001年に上海、2002円に北京(万里の長城)と上海、2005年上海と蘇州と合計3回もパック旅行で訪れていた。そして純真無垢(ここでは "naive" でも誤りではないかも知れない)にも「中国の食べ物は安価で美味だ」と満足して帰ってきた。2005年には中国人ガイドに「団体を離れて行動して事故が起きた場合の全責任は我々にある」との誓約書を書かされてまでも家内と共に単独行動で有名な小籠包の店に出掛けていった。美味だったし信じられないほど安かった。
その他にも商社の駐在員に教えられた名店にも行ってみたが「その価格では信じられないほど美味だった上海料理」が楽しめた。兎に角、何処で何を食べても価格を考えれば失望感がなかった。しかし、今にして思えば「見ぬこと(見ることが出来ない?)こと清し」だったのだろうか。北京のかの有名店での北京ダックなども堪能したものだった。
東南アジアに目を転じよう。以下は清潔との関連は確実には解らないが、危険性が高いだろうとは感じていたタイ国でのことだ。1992年に得意先の創立記念旅行に参加を要請されて生まれて初めてタイに行った時のことだった。先ず、チャオプラヤ川が市民の水浴びの場であり、洗濯や手を洗う場であり、沿岸に建つ家の排泄物まで飲み込んでいることに驚かされた。
タイ国生まれの日本人ガイドには「何処に行っても見かける無数の屋台では衛生観念とは無縁の料理が提供されているので絶対に手を出さないように」と聞かされていた。ホテルの添乗員の部屋には多くのミネラルウォーターのペットボトルが並び「これ以外は飲まないように」と警告された。
私は一応警戒態勢を採っていたつもりだが、初めての本場のトムヤムクーン等の激辛の味を無邪気に楽しんだ。
3日目辺りからややおかしいなと感じたが、そのまま帰国して家に一泊?してアメリカ出張に家内と共に向かった。と言うのは、本社での日本からの団体のアテンドは到着した翌日の金曜日1日だけのことで、日曜日からは休暇を取ってヨーロッパ旅行に行く予定だったのだ。しかし、何としたことかタイ国の料理の影響で土曜日は朝から晩まで手洗いの中で苦しんで過ごしたのだった。
そこで、某商社の駐在員にお助けを願って下痢止めを提供して頂いて何とか治まって、無事に日曜日の朝06:30発のフライトでパリに向かった。しかし、パリでは安全策を採ってまともなフランス料理に手を出すことなく、所謂乾燥食だけで3日滞在して兎に角観光だけをして、次ぎの目的地に飛んでいった次第だった。残念無念の思いが残った。
次なる経験は1997年7月に2度目のインドネシア出張をした時のことだった。同年の1月の初インドネシア出張の時には何とか無事に過ごせたのだったので、些か油断があったのかも知れない。初めての時に驚かされたのが駐在員が行く先々のレストランで、先ずウエット・ティシュを取りだしてテーブルの上の全食器と箸からナイフやフォーク等も拭いてしまったことだった。彼は「これは常識で店側も気にしないからドンドンやるように」と指示した。
また、飲み物は瓶でも缶でも直接口をつけずにストローを使用することで、ストローも疑ってかかり、拭いてからが無難だと教えてくれた。この時は無事に1週間の出張を終えて帰国した。なお、タイ国もインドネシアでも水を飲むことは禁止で冷蔵庫の氷も絶対に飲み物には入れないことは常識だった。
そこまで承知していても2度目のインドネシアではジャカルタの次ぎのスラバヤでやられた。いや、何でやられたかは解らなかった。同じ食事を続けて来た2人の同行者は無事で朝から予定通りに工場訪問に出掛けたが、当方は午前中一杯を手洗いの中で過ごしたものだった。食の安全が確保されていない国に駐在した人たちに聞くと「赴任後の一ヶ月は下痢との戦いで、この難関を通り越して初めて一人前だ」なのだそうだ。
それでは短期の旅行者が無事に切り抜けるのは至難の業ではないかと思わざるを得ない。私は何故か5回も訪れた韓国と中国では無事だった。アメリカはレストランで水が出てくるので、それは少なくとも安全の保証のシグナルだと思っている。それに在職中の22年間に50回以上出張していても無事に過ごせた。あるいはアメリカの食べ物に対すいる適性は、習うよりも既に我が国で馴れていたためかも知れない。
もしかすると、我が国にはマクドナルド等の無数のアメリカのファストフードチェーン店が広まっているので、「我々の胃腸がアメリカ化されているのかも知れないのかな」などと詰まらないことを考えているのだが。何れにせよ「外国に行ったならば、そこでは我が国ほどの食の安全は確保されていないのだ」と疑ってかかって良いだろうし、どのように食材が確保され調理されているのかは見えないのだから。必要なことは「性善説を信奉しているのは我が国だけのこと」という認識かも知れない。
目下中国のアメリカ系の食品会社(福喜と書いてフシと読ませるらしい)の安全管理が大問題を起こしているようだ。この問題が発覚したのが潜入取材だったという辺りが不思議な興味をそそる。中国の衛生と清潔に対する観念とその基準が、我が国とは大いに異なることが良く解る事例だ。
その昔、明治38年(1905年)生まれの母親が屡々指摘していたことが「見ぬこと清し」だった。その意味は「お客から(ないしは家族からとも言えるか?)見えない厨房で行われていることは全て清潔に調理されたとの善意の暗黙の了解で食べているのだ」ということだと教えられた。これをここでも当て嵌めれば「アメリカ系の会社で作られた物ならば清潔だろう」と勝手に思い込んでいたのではないか、となりはしないか。
私は中国を2001年に上海、2002円に北京(万里の長城)と上海、2005年上海と蘇州と合計3回もパック旅行で訪れていた。そして純真無垢(ここでは "naive" でも誤りではないかも知れない)にも「中国の食べ物は安価で美味だ」と満足して帰ってきた。2005年には中国人ガイドに「団体を離れて行動して事故が起きた場合の全責任は我々にある」との誓約書を書かされてまでも家内と共に単独行動で有名な小籠包の店に出掛けていった。美味だったし信じられないほど安かった。
その他にも商社の駐在員に教えられた名店にも行ってみたが「その価格では信じられないほど美味だった上海料理」が楽しめた。兎に角、何処で何を食べても価格を考えれば失望感がなかった。しかし、今にして思えば「見ぬこと(見ることが出来ない?)こと清し」だったのだろうか。北京のかの有名店での北京ダックなども堪能したものだった。
東南アジアに目を転じよう。以下は清潔との関連は確実には解らないが、危険性が高いだろうとは感じていたタイ国でのことだ。1992年に得意先の創立記念旅行に参加を要請されて生まれて初めてタイに行った時のことだった。先ず、チャオプラヤ川が市民の水浴びの場であり、洗濯や手を洗う場であり、沿岸に建つ家の排泄物まで飲み込んでいることに驚かされた。
タイ国生まれの日本人ガイドには「何処に行っても見かける無数の屋台では衛生観念とは無縁の料理が提供されているので絶対に手を出さないように」と聞かされていた。ホテルの添乗員の部屋には多くのミネラルウォーターのペットボトルが並び「これ以外は飲まないように」と警告された。
私は一応警戒態勢を採っていたつもりだが、初めての本場のトムヤムクーン等の激辛の味を無邪気に楽しんだ。
3日目辺りからややおかしいなと感じたが、そのまま帰国して家に一泊?してアメリカ出張に家内と共に向かった。と言うのは、本社での日本からの団体のアテンドは到着した翌日の金曜日1日だけのことで、日曜日からは休暇を取ってヨーロッパ旅行に行く予定だったのだ。しかし、何としたことかタイ国の料理の影響で土曜日は朝から晩まで手洗いの中で苦しんで過ごしたのだった。
そこで、某商社の駐在員にお助けを願って下痢止めを提供して頂いて何とか治まって、無事に日曜日の朝06:30発のフライトでパリに向かった。しかし、パリでは安全策を採ってまともなフランス料理に手を出すことなく、所謂乾燥食だけで3日滞在して兎に角観光だけをして、次ぎの目的地に飛んでいった次第だった。残念無念の思いが残った。
次なる経験は1997年7月に2度目のインドネシア出張をした時のことだった。同年の1月の初インドネシア出張の時には何とか無事に過ごせたのだったので、些か油断があったのかも知れない。初めての時に驚かされたのが駐在員が行く先々のレストランで、先ずウエット・ティシュを取りだしてテーブルの上の全食器と箸からナイフやフォーク等も拭いてしまったことだった。彼は「これは常識で店側も気にしないからドンドンやるように」と指示した。
また、飲み物は瓶でも缶でも直接口をつけずにストローを使用することで、ストローも疑ってかかり、拭いてからが無難だと教えてくれた。この時は無事に1週間の出張を終えて帰国した。なお、タイ国もインドネシアでも水を飲むことは禁止で冷蔵庫の氷も絶対に飲み物には入れないことは常識だった。
そこまで承知していても2度目のインドネシアではジャカルタの次ぎのスラバヤでやられた。いや、何でやられたかは解らなかった。同じ食事を続けて来た2人の同行者は無事で朝から予定通りに工場訪問に出掛けたが、当方は午前中一杯を手洗いの中で過ごしたものだった。食の安全が確保されていない国に駐在した人たちに聞くと「赴任後の一ヶ月は下痢との戦いで、この難関を通り越して初めて一人前だ」なのだそうだ。
それでは短期の旅行者が無事に切り抜けるのは至難の業ではないかと思わざるを得ない。私は何故か5回も訪れた韓国と中国では無事だった。アメリカはレストランで水が出てくるので、それは少なくとも安全の保証のシグナルだと思っている。それに在職中の22年間に50回以上出張していても無事に過ごせた。あるいはアメリカの食べ物に対すいる適性は、習うよりも既に我が国で馴れていたためかも知れない。
もしかすると、我が国にはマクドナルド等の無数のアメリカのファストフードチェーン店が広まっているので、「我々の胃腸がアメリカ化されているのかも知れないのかな」などと詰まらないことを考えているのだが。何れにせよ「外国に行ったならば、そこでは我が国ほどの食の安全は確保されていないのだ」と疑ってかかって良いだろうし、どのように食材が確保され調理されているのかは見えないのだから。必要なことは「性善説を信奉しているのは我が国だけのこと」という認識かも知れない。