新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

英語の世界での議論や討論に勝つためには

2014-07-22 07:33:01 | コラム
主語を私にして自分の意見を言おう:

ここに述べることを「学校教育で教わらなかったから、俄に信じられない」というような先入観を排除してご一読願いたい。「論争と対立を怖れ」ていては前に進まないのだから。

昨日「伝聞を語るような表現を避けねばならない世界」について述べた。そこでどのような言い方をすれば結果を怖れない自己主張になるかを考えてみよう。

ここで肝心なのは「アメリカのビジネスの社会で厳格に要求される文法的に正確な表現であったも、自分の意見ではない伝聞を述べたのでは評価されない」という原則である。ここには「自分の意見を主張しない者はその場にいないのと同然の見なされる」という見方と、YM氏が「アメリカのビジネススクールの授業での討論に際して、明確に意見述べて参加しないと低評価される」とには、共通する要素があるということだ。

私は "It ~ that ~. の構文と "They say that ~." のような言い方を避けるべきだと述べた。この点は1970年代後半にW社東京事務所に派遣されていたワシントン大学(University of Washington、州立である)のMBAである日系人に厳しく教えられた。「即ち、伝聞ではなく自分の考えまたは意見を述べようとするならば、主語を自分である "I" にして動詞を "think" または "believe" とすることだ。これで貴方自身の意見を述べていると聞き手に思わせるのだ」と言われた。

私はこれは簡単なことであるが、このようにして自分の意見を主張するとそれに対する反論も意見で出来るので、多くの場合にそこから討論が始まるのがアメリカの(ビジネスの)世界だから、自分の意見を主張する以上、異論や反論に対する討論の準部と心構えが必要であると徐々に解るようになって行った。私は我が同胞は主張した結果を怖れておられる方が多いと感じたことが多々あった。

しかも、言うなればその場に10人いれば10人が皆各人自身の独特の意見というか主義主張を持っていてそれを述べてくるのだから、その討論会で負けないような「討論馴れ」というか自分の意見の理論的根拠を十分に準備しておくことが必要となる。何分にも彼等は学校教育で "debate" を学んできているから、仮令それがどれほど脆弱な意見でもあっても、それを論破するのには当初は苦労させられたものだった。

回顧談はこれくらいにして、彼等の世界は個人が単位で、その各個人が独自の意見を持って登場する辺りが我が国との大きな文化の違いである。この点が解るまでは「彼と意見が対立して議論になって噛み合わず感情的にでもなって、仲違いしてしまうことになったらどうするか」というような不安感に苛まれるものだった。だが、彼等が感情的になることは先ず考えられず、討論が終わったことは「良い議論だった」と笑顔で握手して終わるのが普通だった。

この辺りも文化の違いの一つだった。結論的は「白熱した議論をして万が一にも仲違いなどになることを怖れずに、自分を前面に出して意見を述べていく度胸を養って、言い負けしないことを心掛けていくことだ」と信じている。これが外国との交渉でも勝ち抜くための「鍵」を握っていると思う。