新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月15日 その3 何故ラグビーにあれほど人気が出るのか

2019-10-15 14:52:54 | コラム
サッカーの全日本代表との違い:

「サッカー界とラグビー界の相違」としても良いかだろう。サッカー出身者として本当に残念だと思うことを、以下に追加で挙げておこう。

それは、我らがサッカーの全日本代表の試合振りには「何が何でも勝ってやろう。いや、勝って見せよう」というような気迫と気力と闘志がその試合運びに滲み出てきていないのだ。何となく綺麗事で、巧みにパスを回して仲間内で「どうだ、綺麗に回ったではないか」と楽しんでいるだけに見える場合が多すぎるのだ。安全運転ばかりで直ぐに責任逃れ的に後方のバックスやGKにまで戻すのでは、相手も「上手いだけではなくて怖い相手だ」と言ったような恐怖心を抱かないだろう。換言すれば「勝利に向かっての直向きさ」がハッキリと見えないのだ。

一方のラグビーは前任者のジョーンズHCによる猛練習の指導法で鍛え上げられたことから、体力にも身体能力にも一定水準以上のの自信を持っているようで、兎に角飽きることなくボールを持っては体格と身体能力に勝る外国勢を恐れることなく突っ込み続ける精神的な強さも備えてしまっている感が濃厚だ。デイフェンスでも体格の差をものともしない積極的なタックルを挑んでいく姿勢は、観客だけではなくアナウンサーでなくとも感動するだろうと思わせている。

既に指摘したことだが、元法政大学フットボール部監督で、アンダーアーマーの販売店・ドームの社長でもあった安田氏は、サッカー選手たちの身体を鍛えるべきトレーニングの(ラグビーと比較しての)不足を指摘されて、FCイワキを創立されたそうだ。その狙いはラグビー選手並みの体格と身体能力を備えたサッカーテイームに仕上げようと企画されたではないか。事、身体能力の鍛え方では遺憾ながら、未だに我が国ではマイナースポーツの域を出ていないフットボール界が最も科学的だし、合理的な手法が確立されている。

私に言わせて貰えば、「それに引き換えてサッカーは・・・」となってしまう気がしてならないのは非常に遺憾である。是非とも改善を図って欲しい。


10月15日 その2 盛り上がる一方のラグビー人気に思う

2019-10-15 09:10:07 | コラム
最早国民的スポーツになり果せたのではないか:

メデイアが言うなれば挙国一致体制で報道して盛り上げ、官民挙ってとも言いたい支援があれば、今日の怒濤の如きマスコミ報道だし、次々と世界の強豪国を圧倒していくラグビーの人気が高まるのは当然であると思って(英語では“green with envy”などと言うが)嫉妬したいような気分で眺めている。サッカー出身者としては羨ましき限りだ。「サッカー協会よ、森保一監督さんよ、何とかしなさいよ」と言いたくもなるが、如何せん森保監督では地味すぎて、リーチ・マイケル君の個性の半分もファンを惹き付けそうな要素がないと思う。

そう言っている当方も、テレビと新聞報道で本15日にW杯予選のタジキスタン戦がアウエーで開催されると知ったほど無関心だったと反省している。報道の量でもサッカーは圧倒されていた。小学校の生徒のお子さんを持つ親御さんに聞けば「今や、子供たちにサッカーと野球の何れを選ぶかと訊けば、圧倒的にサッカーの人気が高い」と言って下さる。有り難いではないか。だが、ラグビーの人気がここまで沸騰すれば、そのうちに「ラグビー」と叫ばれてしまいはしないかと密かに憂いている。

先日も定期的に語り合っている某私立大学のフットボールファンのT教授に質問されて、答えに窮したのだった。それは「我が国のサッカー代表の試合を見ていると、先ず思い切ってシュートをせずと言うか、チャンスと思った瞬間にパスをしてしまうのは何故か。何故もっと積極的にゴールを狙わないのか」という、大袈裟に言えば肺腑を抉られるような質問だった。一つの答えとしては、何度か採り上げた、かの釜本邦茂が怒った「今のサッカーはドリブルで上がるとか抜いて出てシュートに持っていってはいけないと教えているのか」を挙げることが出来ると思う。

私がこれまでに繰り返し指摘してきたことは「ここぞという時に自分でシュートせずに誰か近場にいる味方にパスをして、絶対的にフリーになるまでシュートしないのは何故か」だった。私は彼らが子供の頃から如何なる教え方をされてきたのか知らないが「彼らは自分で敢えてリスクを取ろうとせずに他人に責任逃れのパスを回して、パス回しの為のパスを楽しんでいるのだ」と批判してきた。現在の日本代表のサッカーの技術水準は我々WMフォーメーションで育った者たちの数百倍も上だと思うが、責任逃れの技術もそれ相応に高いとしか思えないのが悲しい。

例えば、先日の対モンゴル戦では格の違いもあって大量!6点も取って勝って見せた。だが、あのような格下を相手にしても我が代表は慎重の上にも慎重な試合運びをして、直ぐに後方に向かってパスしてしまうは、例によって例の如くバックス間の横パスの交換に時間をかけて、誰かが前線でフリーになってくれるのを待つというような消極戦法ばかりだった。時には中盤から一気にGK仁摩戻すという安全運転振りだった。あれでは何らのスリルも積極的な攻撃もなく、つまらないこと夥しかった。あれで「どうだ、勝ったから人気が出るだろう」などと思ったら大間違いだ。

遺憾ながらと敢えて言うが「あのラグビーの積極的に大柄で屈強な身体能力を誇る外国人たちに向かって恐れることなく突っ込んでいくオフェンスを絶え間なく強行し、デイフェンスでも1対1では及ばないと思えば、外国人どもの攻撃にダブるテイームで恐れることなくタックルに行って止めてしまう積極性が十分に発揮されていた。あの積極性と果敢さをイヤと言うほど見せられれば、ラグビーとは何のことか解らない観客でも興奮するし、感動してみて貰えるだろう。それに引き換えバックワードパスばかりのサッカーでは、少なくとも私は感動しないのだ。

マスコミは勝って当たり前の相手に6点取って勝ったくらいで大袈裟に褒めないで欲しい。「何だ、あの出来は。10点は取れただろう」くらいの厳しさを求めたいのが、彼らにそんなことは言えないだろうな。解説者だって同様だ。オベンチャラか松木安太郎のようにアナウンサー紛いの大騒ぎはしないで貰いたい。駄目なものは駄目とハッキリ言うのが本当の解説だろう。

マスコミにサッカーをラグビーと対比して貶してくれと言うのは無理な相談だろうとは解っている。だが、偶にはあの消極的としか見えない責任逃れのパス回しや後方で無難にパス交換を続ける安全運転振りを批判せよとでも言いたくなる。このままでは野球にもラグビーにもバスケットボールにも置いて行かれるかも知れないと、昭和20年に蹴球部に入った高齢者が危惧しているのだ。


韓国の曽国法務部長官が辞任

2019-10-15 08:11:32 | コラム
辞任ではなく罷免では:

昨14日にテレビの画面に速報が出てきた時には「意外なこともあるものだ」と思わせられた。私がそう思った根拠は「曽国長官が辞任すること即ち、あれほど否定していた自らの罪科を認めることを意味するし、彼を強引に任命した文大統領は飽くまでも彼を庇い立てするものだ」と見ていたからだ。曽国氏は記者団に囲まれても無表情に辞任の弁を述べていたが、あの速報を見た途端に私に閃いたことは「文在寅大統領は泣きもせずに馬謖を斬ったのだろう」だった。何故か文大統領が慰留したという報道はなかった。後でリアルメーターでの支持率が41.4%にまで落ちたと報じられたが、そこには文大統領の自衛策の影が見えたのだった。

その結果如何なる事態が生じるかと言うべきか、文在寅大統領が如何なる手を打ってくるかには、色々と考え方があるだろう。その中で最も好ましくないのだろうことは、昨14日のPrime Newsで櫻井よしこさんが指摘しておられた曽国氏の置き土産かどうか知らないが、10月29日に韓国の国会に検察の全ての権限を奪うような「高官を取り調べる機関の設置案」が上程されると言うこと。これが可決されれば、文在寅大統領は三権のみならず検察権まで掌握してしまうことになるのだそうだ。その機関が我が国との関係に如何なる影響を及ぼすかに言及はなかった。

私は専門家の方々も報道機関も「韓国は民主主義国である」と規定されるのが不思議でならない。本当に民主主義を実践しているのであれば、国民自らが正当な選挙で選んだ大統領を大集団を作ってデモンストレーションをかけて追い落とすようなことを当たり前のようにするのだろうか。追い落とす前の選挙は何だったのかと何時も疑問に感じていた。曽国氏は国会議員ではなかったと思うが、あれほどの大人数のデモンストレーションをかけて「辞任せよ」や「罷免せよ」と圧力をかけるのが、果たして民主主義なのだろうかと疑っている。

櫻井よしこさんは何ヶ月前にPrime Newsで「文在寅大統領は大韓民国を破壊してDPRKとの統合を唯一無二の政治目的として掲げている売国の大統領である」とまで厳しく指摘された。その政治目的が些か怪しくなってきてしまった現時点で想定出来そうな権力維持の手法として最も簡単なことは、これまでの大統領たちが採ってきた「反日」と「抗日」の姿勢の一層の強化であろうと思う。彼は金正恩に突き放され、トランプ大統領には邪険に扱われ、国内の支持率が下がれば(櫻井よしこさんは別の調査では既に30%台に低迷と言われた)それくらいしか残っていないのではないか。

来週の22日の即位の礼には彼自身は出向くことなく李首相を差し向けるというのは、未だ未だ安倍総理と膝つき合わせて首脳会談をしようという領域にまで悟りが開けていないようだと見るしかないと思う。だが、その文在寅大統領が台風19号の被害と被害者にお見舞いの辞を送ってきたそうだ。仮令表面的な儀礼だったとしても、良心的ではあると思わせられる。だが、悲しいかな、私はその裏に如何なる意図があるのかと考えてしまうのだ。彼の善意を信じるのは時期尚早ではないか。