新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月27日 その2 イングランド対ニュージーランドのラグビー

2019-10-27 14:23:09 | コラム
強い方が勝った:

テレビと新聞の過剰だと言いたいほどのラグビー礼賛に言うなれば食傷気味だったが、イングランドというイギリスの本家対分家とでも言いたいニュージーランド(NZ)のラグビー戦を「イングランドが勝つのではないか」との閃きの下に、昨26日に観戦していた。敢えて「イギリス」という言葉を使ったが、これを広辞苑で見れば「(The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)の西方、大西洋上にる立憲連合王国グレート・ブリテン島・北アイルランド及び付近の900以上の島々からなる。面積24万4,000平方キロメートル・・・」とある。

イングランドとはその中の一つである。それを知らなかった1969年頃に、この国から来ていた人に「イングランドからお出でか」と尋ねて「イングランドではない、UKと言え」と厳しい顔で言われたものだった。ニュージーランドは広辞苑によれば「1840年にイギリスとマオリ人とのワイタンギ条約によりイギリス領となる」とある。独立は1947年とある。この試合は言わば親子間の争いかというような気もして興味深かった。我が事業部にはニュージーランド人でオックスフォード大学のMBAのマネージャー(後にSales and Marketingの副社長までなった)がいた。

私の関心と興味はイングランドのヘッドコーチ(HC)が前回のW杯までの我が代表の指揮を執っていたエデイー・ジョーンズ氏がHCであることにあった。それは、どちらかと言えばラグビーの本家であったはずのイギリスの霞み気味だった存在を、ジョーンズ氏がその猛練習というか指導法でどのように立て直しているかが勝敗の鍵を握っていると思っていた。ボンヤリと考えていた事は「我がマスコミの過剰なNZの強さの称え方があるとは言え、NZと雖も人の子である以上、そう易々とは3連覇できるものか」という疑問もあった。イングランドの試合振りはほとんど見ていなかったので、どの程度の強さかは解っていなかった。

しかし、試合が始まってみるとイングランドの勝ってやろうという気迫と、やれるところまでやってやろうじゃないかという、古い言葉で恐縮だが「張り詰めた敢闘精神」の勢いは凄まじく、キックオフ後間もなくイングランドは結果的にはこの試合で唯一となったトライを決めてしまった。NZは油断していたのか乃至はイングランドのジョーンズ氏に鍛え上げられたのであろう精神力と鋭い出足とデイフェンスの当たりに圧倒されたのか、解説の広瀬がこれほど乱れているNZを見たことがないとまで言ったほど劣勢だった。

先日指摘したようにラグビーはアメリカ系の球技のように「モメンタム」に左右される性質ではないので、一度劣勢に立たされたNZは最後まで大勢を挽回するチャンスもないままにミスと反則を繰り返して、イングランドに4本もペナルテイーキックを決められて、如何ともする術もなく敗退してしまった。私にはラグビーの微妙な技術を判定するほどの眼力はないが、両者にほとんど力の差がなかったように思う。だが「勝って見せよう」という精神力の強さ(これを「メンタル」などという妙なカタカナ語で言うな)においてはイングランドの方が上で、それが試合を決めたと思っている。

見方を変えれば「両者ともあらん限りの力を出した素晴らしい試合だった」と褒めても良いのだろう。だが、私にはNZのミスの多さが気になったし、ウエールズ人のレフェリーがTMOだかに依存した判定でイングランドのトライを2本「ノートライ」という音声が聞こえたと思うが、無効にしてしまったのは気の毒だったとついつい思ってしまう。あれをトライと判定しなくてもNZの劣勢は明らかだったと思うので。ラグビーの面白い点は、レフェリーは試合を指導しているという点で、その判定には野球の球審よりも癖というか、極言すれば独断的のように見えるということだ。

本日はもう一つの準決勝戦である「南アフリカ対ウエールズ」の対戦がある。この試合にはさほど関心がない。だが、関心はあそこまで勝ち上がったイングランドが他国よりも1日休養日が長い利点を活かして優勝できるか否かにはある。イングランドはジョーンズ氏の指揮の下に組み合わせが決まった時点から、対NZのゲームプランを練り上げて練習してきたとアナウンサーが言っていた。であれば、南アフリカかウエールズ相手のスカウテイングとゲームプランは出来ているのだろうか。あの対NZの精神力は決勝戦でも発揮できるのだろうか。その辺りに私の関心と興味がある。

言い古された表現だが「技術力が同等ならば、精神力が強い方が勝つ」というのがあり、私もそれを信じている。だが、ただ精神力だけを鍛えてあれば良いものではないのが難しいところだ。最後にもう一度言うが「メンタル」などと言う形容詞をさも名詞の「精神力」のような意味で使うのを止めろ。「フィジカル」だって同様に形容詞だ。好い加減にしろ。


我が国の経済というか景気を考える

2019-10-27 10:31:29 | コラム
景気は悪くないのか:

先頃、我が国には2期連続で貿易赤字が出たと報じられていた。Prime Newsだったかでは、第一生命経済研究所の長濱氏は昨年の11月から統計上では景気は良くないのだと指摘していた。こういう状態を見聞きして思い出したことがある。それは10年1月1日にカリフォルニア州のパサデイナで投資ファンドをアメリカの国内外で運営して成功しているML氏に「アメリカと我が国の景気をどのように見ているのか」と質問したことで、L氏の短くて要を得た答えを思い出さずにはいられなかった。

L氏は「アメリカと中国の貿易取引関係が健全に続いている間はアメリカと中国の経済は心配ない。日本の経済はアメリカと中国の関係が安定していれば、当分の間は何ら問題ないと見ている」と答えてくれた。因みに、L氏はプリンストン大学の出身で銀行等に勤務した経験を活かして独立され、我が国にも進出されている腕利きである。私が興味深いことと感じた点は、彼は当初はニューヨークに本拠を置かれていたが、現在のICT化と言うべきかデイジタル化と言うか、グローバル化とも言うべき時代に合わせて、本部をホノルルに移されていること。

それはそれとして、私は現在の我が国の経済の状況を見ていると、将にL氏の指摘が当たっているように思えるのだ。トランプ大統領があそこまで中国を叩きに出られたことは、あの国が世界全体にその気になっていて与えているだろう影響と、習近平主席の野心の表れだとしか思えない世界各国への触手の阿漕で強引な伸ばし方を見れば、当然の策だと思って見ている。だが、そのアメリカと中国の貿易戦争の影響は、間違いなく我が国の経済に影響を及ぼしているとしか見えない。

私は最早現職を離れて日常的にアメリカと接触していない身であるから、論じていることは街角景気観測的であり、永年の経験から言う皮膚感覚的なことだ。その感覚で捉えている我が国の景気が緩やかであろうと何だろうと、活気を呈しているものではないのだと思う。感覚的に言えば「我が家の周辺とJRと西武戦の線路の向こう側にあるタクシーの運転手さんがたちが『新しい道』と呼ぶ無名の道路に真っ昼間から停車して寝ているタクシーの数が増えてきた傾向は、彼らは景気の恩恵に浴していない事を端的に表している」のである。

物価という点から見れば、大久保通りや高田馬場方面の早稲田通りに行けば、消費税が引き上げられようと何だろうとデフレ傾向的な安さが続いている。ドンキホーテやアジア系の外国人どもが群がる大久保通りの業務スーパーの値段を見れば、経営者たちは決して景気が良いなどとは見ていないと一目で解る。何処の店とは言わないが「在庫一掃価格」としか思えないような安値は相変わらず出ている。それが証拠に、私がジムの風呂場で使っているフェイスオッシュなどは¥100で購入したチャンとしたメーカーの製品だった。何処かで誰かが在庫を持て余したという証拠だ。

この一例だけで「緩やかな回復」などと言えるのかとまで言う勇気はないが、この界隈に住んでいればこういう目玉商品は頻繁に出ていうるのは事実だ。得意の英語の講釈をすれば「目玉商品」は“loss leader”となっている。そういう感覚が表れている表現だと思っている。

報道によれば、野党にとっては菅原一秀前経産大臣の他に未だ攻め立てない閣僚がいるかのようだ。私から見れば、そんなことを言っている場合かということだ。野党の連中が一度でも総理に「対韓国問題の処理にどのような対策で望み、何時になれば文在寅大統領を屈服させるのか」といったような質問をしたことがあるのかと言いたい。「内部留保を吐き出させる手立ては」と質問したという話を聞いたことがない。偶にはタクシーが公衆便所がある場所を求めて路上駐車して昼寝をしたり弁当を食べにこないように景気を良くする対策を論じたらどうだ。枝野や福山の顔を見ただけで胸が悪くなる。