新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

気に入らないカタカナ語

2019-10-06 09:53:35 | コラム
スポーツは各種競技の花盛りで流行るカタカナ語:

昨5日は余りにも多くの競技が中継放送されるので、午後からは休む暇なくチャンネルを切り替えていた。それはそれで結構なことかとも思うが、カタカナ語排斥論者としてはどうしても気になる言葉の乱用がある。別な見方をすれば「誰が如何なるカタカナ語をどう使おうとご勝手に」とも言えるのだが、あれほど頻繁に聞かされては「それはおかしいぜ」とも言いたくなってしまうのである。

それらは「メンタル」と「フィジカル」なのである。ここから先は理屈が半分以上を占めるとお断りしておくが、何処の誰がこのようなおかしな英語の言葉をカタカナ語にしてしまったのかと憤慨しているのだ。「メンタル」は“mental”が元の英単語である。これはOxfordによれば、いきなり「通常は名詞の前で使われる」とあるが、これは当然のことでそもそもこれは形容詞であるからだ。だが、カタカナ語では名詞として「精神力」を表すかのように使われている。再度言うが、「どのように使おうと勝手だ」と看做している。

だが、Oxfordに先ず出てくる意味は“connected with or happening in the mind; involving the process or thinking”となっていて、その後に“strength“を付けても「精神力」を表す為に使うのは無理があると思わせる。ジーニアス英和には[限定]として「精神の、心的な」が先ず出てきて、使用例に“metal illness”や“mental food”などというのが出てくる。どうも「精神力」の意味でカタカナ語化したのには無理があるとしか思えない。

それでは何と言うべきかなと思って検索してみると“emotional strength”だとか“inner strength”や“spiritual strength”等が先に出てきて、後の方になってから“mental strength”も登場する。思うに英和に出てくる「精神の」を見てカタカナ語製造業者が「これで精神力を表現できる」と、形容詞である事を忘れて使うことにしたのだろう。

「フィジカル」は勿論“physical”のことだろう。言うまでもないことで、これも形容詞である。ジーニアス英和の使用例には“physical strength”があり{stamina}となっているので、これはこれとして通じるが、形容詞を如何にも名詞のように「身体能力」のような意味で使っているのは頂けない。だが、もう一度言うが「カタカナ語をどのように使おうとご勝手に」なのだ。だが、文法を無視していることだけは忘れないで欲しい。

大袈裟なことを言えば、毎度同じ事を言うのだが「このような好い加減なカタカナ語を作っただけではなくここまで広めておく輩がいるにも拘わらず放置して、『英語教育を充実させて小学校から教え、国際人を養成しよう』などと戯言を言っている官庁があるのは天下の奇観である」と指摘したいのだ。