新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月28日 その2 我が国とアメリカの間柄

2019-10-29 15:42:55 | コラム
私は親会社対子会社の関係のようだと見ていた:

先頃、アメリカ問題の専門家であると聞く田久保忠衛氏が産経紙上で「アメリカによる庇護国である」との見方を表明していた。なるほど、専門家でもそのように見ておられるのかと思って読んだ。私はこれまでに何度何度も述べてきたように、アメリカの対日輸出に注力していた大手紙パルプ・林産物メーカーの一員として、20年以上もアメリカ人が我が国をどのように評価し、看做していたかを実感してきて来た経験から言えば「我が国を保護していたという見方を否定はしないが、それよりも皮膚感覚としては子会社のように見ていた」と言えると思うのだ。

実は、私は1972年8月にM社に転進するまでは、我が国の大手紙パルプメーカーの直轄というか直系の内販会社で17年ほど国内市場向けの営業を担当してきた。回りくどいことを避ければ「子会社の社員だった」ということである。即ち、子会社とその社員とは如何なる存在かという喜びも悲しみの経験してきたということだ。私がW社に転進してから親しくさせて頂いた大手メーカーの役員から子会社の社長に出られた常に鋭い発言をされる方は「子会社の人事権は親会社に握られているので、社長だと言われても何らの権威がないのと同然でつまらない」と言われたのが非常に印象的だった。

この社長の発言が全てではないが、子会社には「親会社の庇護の下にあって経営上の危険がないことには安心感があるが、自分たちが会社の成長と発展を目指して、その発想の下に自由気ままに動き回ることはそう簡単には容認して貰えない場合もある」のだ。私が在籍した会社では社長は親会社の常務が兼務していたが、それは形だけで専任の代表取締役専務の指揮下でかなり自主的に活動できていたし、屡々言われるような親会社からの天下りの実働する役員は不在だったし、社員でも課長が1人いただけだった。

私はこの辺りまででは、我が国対アメリカの間柄にも通じる点があるのだろうと看做している。株式は当然ながら親会社がほとんどを所有し、残りをそのグループ内の他のメーカーも保有していた。即ち、親会社のグループ企業の流通部門を担う存在だったということである。そのように見ていたので、私は我が国はアメリカの重要な同盟国であると同時に子会社的な存在でもあり、親会社としてのアメリカは我が国を他国から守る条約も締結しているのかと見てきた。

これも既に述べたことがあるが、1970年代にはアメリカの企業の中には「日本の取引先がアメリカ側の意向のままに受け入れるべきだ」などと考えている幹部がいたのも事実である。そのような現代的な私が嫌う表現の「上から目線」的な姿勢もあったということだ。

私が見た限りでは親会社としてのアメリカは陰に陽に我が国を指導もしてきたし、実務面では我が国からの輸入も懐深く受け入れてきたし、経営を指導する人材も派遣してきたし、子会社を設立して雇用も増進していた。産業を発展させ成長を促進する為に特許も与えたし、ライセンスも下ろしてきたのだと看做してきた。かく申す私も本社が採用して東京に駐在させた日本支社の一員だった。即ち、保護は防衛乃至は軍事面だけではないという事だ。

では「親会社が子会社をどのように見ているか」をアメリカに転進する前に親会社の管理職から聞かされた子会社論をここに思い出してみよう。それは「親会社としては直轄の内販会社として期待するだけの市場での占有率を確保するのは当然である。その他に重要な点は折角資本金を投資したのであるから、それに見合うだけの配当(当時は8%が最低と言われたと記憶する)が出来るような利益を確実に挙げて、先ず日本銀行の再割り適格手形を発行できるように黒字を計上して配当を3期連続することである」だった。

これが親会社全体の見方というか政策であるかどうかは不詳だが、聞かされた方は「親会社という存在は無情な見方をしているものだ」と痛感させられた。極端に換言すれば「君たちは働け、そしてキチンと配当できるように利益を挙げて親会社の投資に報いよ。それだけの責任を果たせば良い」とも聞こえたのだ。私にはトランプ大統領が公約に掲げられ、何かあれば我が国との間の貿易赤字の削減を言われるのを見ていると「日本は過剰に輸出するのは不公平である。アメリカの主張を聞き入れて削減に最善の努力をするべし」と子会社に厳しく要求しておられるように聞こえてしまうのだ。


Halloweenのこぼれ話

2019-10-29 08:24:21 | コラム
仮装が良く似合っているじゃないか:

ハロウイーンの当日に本部にいた時のことだった。急に副社長兼事業部長と外出することになって、駐車場への近道である隣の事業部の応接セットの中を「一寸御免な」と通り抜けることにした。そこには、4人の部員がそのセットで何やら打ち合わせ中だった。勿論というか何と言うべきか、全員が普通にネクタイ着用でスーツ姿だった。それを横目で見た副社長は、“You guys look sharp in businessman’s costume.”と声をかけた。即ち「ビジネスマンの仮装が良く似合っているじゃないか」である。

彼らは“Thanks. We tired.”と応酬したが、ユーモアのセンスでは副社長の勝ちだったと思う。そして大笑いに終わり、出口に向かって急いだ。アメリカ人との会話には常にこのようなユーモアというか冗談(joke)が出てくるものなので、こういう当意即妙の表現が出てくるように馴れておかないと、中々簡単に彼らの会話の輪の中に入っていくのが難しい場合がある。因みに英語の講釈だが、「似合っている」には“look smart”もあれば“look great”なども言うようだ。余り厳密に区別して使っていなかったが、後者が「立派だ」と言いたい時に使った記憶がある。