新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月10日 その3 鰻重が値上がりしていた

2019-10-10 15:53:14 | コラム
鰻重が15%も値上げされていた:

先ほどから各テレビ局が台風19号の動静をそれこそ5分刻みで流しているし、危険極まりない台風の襲来だから十分に備えよと専門家が警告しているのだ。そこでそれならばと、我が家の目の前にあるイオン系の食品専門のスーパー「マイバスケット」に様子を見に行ってきた。ところが案外に余り買い溜めをしている人もおらず、一般家庭には未だ危機意識は浸透していない様子かと判断した次第。

そのこととは直接に何の関係もないが、これまでに何度か紹介したここ新宿区百人町のサンパークホテルの極めて経済的な価格の¥850の鰻重が、10月1日から¥980と15%程の値上げとなっていた。思うに消費税率の10%への引き上げに伴った値上げと言うよりも、鰻そのものの原価上昇と供給不足が為せる業かと見ている。だが、あの品質とコーヒーまで付いてくることを考えれば、¥980になってもお徳用感は十分にあると思うのだ。

消費税率の10%への引き上げという意味では、かなり割安だと思っていた日替わり定食が¥700から¥750に値上げされたのは、もしかして便乗値上げかとも密かに疑っている。当方は未だ値上がり後の鰻重を試していないので何とも言えないが、何れ実質的な値上げかどうかを探ろうかと思案しているところ。

10月10日 その2 予想通りだったクライマックスシリーズのファイナル

2019-10-10 08:38:21 | コラム
NPBの興行の片棒を担ぐ気はないが:

9日夜のセントラルとパシフィックの両リーグの試合は、私には試合開始前から結果が読めていたし、事実その通りの展開となった。私はそもそも興行として成功して稼ぎたいとのNPBの根性丸出しのこのシリーズは気に入らないのだ。マスコミもお先棒を担いで「下克上」だの何のと言って持て囃すが、両リーグ合わせて12球団しかない我が国でアメリカのポストシーズンの真似をすること自体余り意義はないと思っている。今年などは最初から西武と読売に7試合やらせれば良いので、また辻監督が泣く場面でも見せたいのかと疑ってしまう。

昨9日の試合は「閃き」でも何でもなく、シーズン中の実績と選手層の厚さと薄さの違いを考えれば、4球団の中で何処が有力かは明らかだった。従って余りテレビ観戦する気もなかったが、TBSの報道1930とBSフジのPrime Newsが始まるまでの時間潰しにでもなればと思って、最初だけ見ることにした。

先ずは読売対阪神だが、予告先発で阪神が望月と言ったところで勝負あったと思っていた。シーズン中に1~2回見た望月は確かに球速はあるが、思うところと言うか打者の弱点をえぐるような制球力がある訳ではないと解っていたので、遺憾ながら阪神の目はないと断じていた。それに読売には今季の最悪人である広島を出て読売の優勝に貢献しただけに飽き足らず、恩義ある緒方監督を辞任に追い込んだ丸がいるのだから堪らない。いきなり丸がホームランを打ったところで見限ってチャンネルを変えた。

その変えた先では、私が良い打者であるか否かの議論の前に「ここぞ」と言うか「ここで打ったら試合の流れが決まるか変わるか」と言う重要な局面での好打者である松田宣浩がニールから2点のタイムリーヒットを打ってしまったのを見て、ここでも勝負あったと断じた。そして、安心してTBSに切り替えて8時まで亀井静香、山崎拓、輿石東が言うことを聞いていた。ソフトバンクは阪神がDeNAとの戦いで消耗しきっていたのと較べれば、選手層の厚さという優位性があったと思って見ていた。

私の予想通りになれば、日本シリーズは読売対ソフトバンクになってしまうのだが、私にとっては両球団とも好みではないのだ。どちらが勝つかは現時点では予測も出来ないし、得意の閃きも来ていない。個人的な好みを言えば、日頃ジムでお世話になっている西武に勝たせたいのだが、遺憾ながら浅村、菊池雄、炭谷に出て行かれた傷跡は、リーグ制覇は出来たが、意外に深手であり、特に投手陣が辛い。一方のソフトバンクには終盤に少し怪しくなってしまったとは言え千賀がいるだけ強みがあると見ている。


揚げ足取りではない

2019-10-10 07:55:19 | コラム
「コングラチュレーションと来た」と言われた:

旭化成の名誉フェローである吉野彰氏が、この度ノーベル化学賞を受賞された。誠に結構なことであると心からお祝い申し上げたい。遺憾ながら、私は余りリチュームイオン電池のお世話になっていない生活をしているので、この度の受賞でお恥ずかしながら初めてその偉業を知り得たほど時代遅れなのである。

そこで件名の何が「揚げ足取りではない」のかと言えば、吉野氏が「コングラチュレーションと来た」と言われたことを指しているのだ。この辺りが私が常に指摘してきた我が国の英語教育の至らなさの残念な表れであり、カタカナ語製造業者たちの文法無視の悪影響が見えているのが残念なのだ。この「お目出度う」を意味する“congratulation”という単語はおしまいに“s”を付けて“congratulations”のように複数形で言うのが普通なのである。ところが、乱用されているカタカナ語では「コングラチュレーション」のような単数形が普及してしまっている。誠に遺憾千万だ。

吉野彰氏は理工系で京都大学の大学院のご出身である。それだけ学問に集中されてきた方でも、このように複数形で使われるべき言葉を何の躊躇いもなく「コングラチュレーション」と言われた。私が知る限りのスエーデン人たちの英語力の水準は高く、電話で授与を通知された際に「コングラチュレーション」と言ったとはとても考えられないのだ。「吉野氏のご専門の分野のことではないのだから揚げ足を取るな」と言われそうだが、私は揚げ足を取っているつもりは毛頭なく、我が国の英語教育の至らなさとカタカナ語製造業者たちを非難したいのである。

今更、彼ら業者を批判しても詮無いことだが、彼らはこのように“s”を省いて複数と単数の概念を無視するし、過去形も現在形も忘れているし、英語の読み方を未だにローマ字式にするは辞書を見たことがないのかと言いたくなるほど出鱈目だし、勝手に奇妙な造語を産み出す等々、英語教育に負の貢献をすることに専念している。それを咎め立てもせずに乱用するマスコミも無教養の輩の集合体だと批判したいのだ。余計なことだが、もう一つ複数形であるべき例を挙げれば、「弔意」を表す“condolence”も複数扱いにするのが普通なのだ。

念の為、再度申し上げて置くが、私には吉野彰氏を批判する意図は毛頭ない。我が国の英語教育の至らなさと誤ったカタカナ語の乱用を戒めているつもりだ。